100日後にくっつくいちじろ41日目
「うわあっ、い、一兄……!?」
「降られた!三郎!洗濯物は……!」
「とっくに取り込みました!」
「さすが俺の弟……!しごでき過ぎンだろ」
「感心してる場合ですか!もうこのままお風呂行ってください!」
降られた。夕立に。
依頼の帰り、東口で買い物をした一郎は足取り軽く帰路についていた。しかし西口へ抜けるトンネルを進み、地上に出たところでポツリ。嫌な感触。あれ、雨予報なんて出ていたっけ。そう思っていると見る見るうちに曇天から雨粒が次から次へと降り注いでイケブクロの街を濡らし始めた。ヤベェ、とここで漸く駆け出した一郎だったがもう遅い。数分で自宅の距離とはいえ、完全に全身ずぶ濡れだ。
三郎に言われるままに風呂場へ直行する一郎。勢いのままに脱衣所で服を脱いだ。洗濯カゴへ突っ込み、風呂場のドアをガチャリ、開けた。
「あ?三郎……って、兄貴」
「え」
風呂の中、湯船に二郎が浸かっていたのだ。
一郎は思わずピシャリと固まる。シャワーの音がしなかったので気付かなかった。
「わ、わりぃ。入ってたのか」
「全然いいよ、それよりなんか既に濡れてない?」
「ああ……雨降ってきて」
「まじ?寒かったっしょ。俺あと髪洗うだけだし、湯船入ってよ」
ザバッと勢いよく湯船から上がる二郎。
交代、と湯船を兄に明け渡した。一郎はというと不自然にならないよう、壁に張り付き、二郎と少しでも距離を取ろうとした。なんで、よりによって。いや、入って行ったのは自分だけれど。兄と妹でもあるまいし、男二人で風呂に入るなんて珍しいことではない。だからこそ三郎だって別に二郎が入っていようが構わないだろうと何も言わずに風呂へ誘導したのだ。ただ自宅の風呂は一郎と二郎が一緒に入るには狭過ぎるし、滅多に同時入浴などしない。
「湯船ぬるかったらあっためて」
「あ、ああ……平気だ」
「今日ちょい寒かったよね。俺も頭まで洗おうとしたんだけど寒くなって湯船挟んだわ」
椅子に座りシャワーを出す二郎。湯加減を調整し、一郎へ手渡した。軽く湯をかけて、浴槽へ入る一郎。温かい。温かいがそれどころではない。しかし平静を装わなくては。おかしく思われたら終わりだ。弟を変な目で見る変態クソ兄貴になってしまう。……いや、実際そうなのだが。
「うわっ、マジで冷たいよ」
「ちょ」
しかし二郎は大人しくしてくれなかった。
手を伸ばし、ピタリと兄の二の腕触ったのだ。ひんやりしている兄の肌に驚き、シャワーをかける。
「風邪ひかないでね、兄貴」
「お、おう。大丈夫だって」
落ち着け、落ち着くんだ。内心で呪文のようにそう唱え目を閉じ深呼吸をする。シャー…、とシャワーが二郎の髪を弾く音。やがてピタリと止まる。カシュ、カシュ、と切れかけのシャンプーポンプの音に続いてワシャワシャと髪を洗う音。……駄目だ。視界を閉ざすと余計に音に敏感になってしまう。
「シャンプー切れそうかも」
「…お湯で薄めて洗うから大丈夫だ」
「もう1回分くらいはありそうだから大丈夫だよ」
目を開けて、ただ目の前の壁を凝視した。しかし神経はどうしても真横の弟に向いている。
「兄貴、昨日の写真さあ」
「ん?」
「バイト先で三人で撮ってもらったやつ。SNS用に撮ったのかと思ったんだけどアップしないんだね」
「あ、ああ……それ用に撮ったんじゃねえんだ。普通に弟の勇姿をおさめたかっただけっつうか」
「ふはっ、勇姿!?大袈裟だな」
本当はあの制服の二郎を拡散したくなかったからだが。
再び聞こえてきたシャワーの音。すると同時に「冷たっ!」と二郎が大きな声を上げた。思わず反射的に横を向く。
「つめてー…うちのシャワーあるある。出してすぐ真水」
「は、はは……」
びびった、と文句を言いながら手で湯加減を見て頭からシャワーをかぶる二郎。一度視線を向けてしまったがために、一郎は視線を弟から反らせず固まってしまった。……筋肉、ついてるよな。スポーツしてるし、普通に普段から鍛えてるし、力仕事の依頼もやってくれてるし。当然だ。身長だって自分より少し低いだけで平均より高い。食べているものも、生活リズムだって同じなのに、自分よりどこか細く見えるのは何故なのか。肉付きだって良くないから、女の子を見て感じる柔らかさやエロスは全く感じない。それなのに、ハリのある筋肉質な体だとか、肌に張り付く黒髪だとかに良からぬものを感じてしまう。どうしようもなくそこに『エロさ』を感じてしまうのだ。肌を滑る湯を目で追ってしまう。
ごくり、喉を鳴らす。
二郎が髪を濯いでいて目を閉じているのをいいことに凝視する一郎。しかしふと目についた肩の、昔の傷を見て心が痛んだ。
「……傷」
「ん?何か言った?」
「肩の傷、隠してるのか?学校で」
「あー、うん、兄貴と三郎しか知らないよ」
あとクソ親父。そう思ったがお互いに口には出さなかった。
「お前、スポーツしてるし大変だろ」
「うーん、俺早着替え得意だからそこまで」
「はは、一瞬で着替えてんの?」
「うん、もう制服を頭から抜いたと同時にユニフォーム被ってる感じ。バサッ、シャッ!みたいな」
「じゃあ大丈夫だな」
「そうそう、心配いらないよ」
はは、と笑いながら答える二郎。しかし昔より薄くなってはいるが、その傷を見る度に一郎は胸が痛むのだ。可哀想に、今より幼くて、痛かっただろう。小さな頃の二郎が頭を掠めて眉間に皺がクッと寄る。
「……兄貴、ヘーキだって」
苦笑いで二郎が一郎を見て、目が合って、ハッとした。手を伸ばして、二郎の肩の傷を触っていた自分に気付いたのだ。パッと手を引っ込めて前髪をかき上げる。
「……そろそろ、あちぃ。二郎、早く洗って上がってくれ」
「わーっ、ちょっと待ってって!」
誤魔化すようにそう言って、浴槽の淵に腕を乗せ、一郎は参ったように目を閉じて息を吐いたのだった。
2024.12.3