100日後にくっつくいちじろ100日目
「三郎、ちょっといいか」
良い子で宿題のテキストを物足りなそうに解いていた三郎は、当番の洗い物を終えた二郎に肩を叩かれた。高性能のノイズキャンセリングイヤホンをつけていることを知っていたからだ。三郎は片方の眉を上げ、イヤホンを片耳外した。
「なんて?」
「ちょっといいかって、言った」
「なに」
改まって何だよ。
三郎は訝しげにもう片方のイヤホンを耳から外した。二郎は三郎の正面に座る。どこか緊張した面持ち。カラカラになった口で二郎は意を決して声を絞り出した。
「兄貴の、ことなんだけど」
ああ、と三郎は察しがいった。
漸く考えでもまとまったか。三郎は再びペンを手に取り、手元のテキストにそれを走らせた。
「一兄が何だよ。今日帰ってくるな」
「お、おう……その、さ」
「なんだよ」
ちらりと二郎を見ると、ごくりと聞こえてきそうなくらいあからさまに唾を飲んだ。そしてキッパリと言う。
「俺、兄貴を好きになっちまった」
三郎は5秒程、黙った。二郎からその続きの言葉があると思って待っていたのだ。しかし「言い切った」と言わんばかりにそれ以上、二の句を継がない。はあーっ、と大きなため息をついて三郎が口を開く。
「一兄なんてみんな好きだろ。僕だって好きだ」
「ち、違う。そういうんじゃなくて……その、付き合いたい」
「……それを一兄に言ったのかよ」
「え、いや、まだ」
「じゃあそれを僕に言ったって仕方ないだろ。僕は一兄のお仕事のマネジメントやスケジューリングなら何でもやるけど恋人の管理まではしてない」
「そ、そういうことじゃねえ!そりゃ兄貴には伝えるつもりだけど……その前に、お前に言いたくて」
「……馬鹿じゃないの」
いつもなら「何だと」と噛み付いてくるところだが、今回ばかりは「悪い」と小さな声で肩を落とす二郎。
「一兄とお前の話であって、僕を巻き込まないでくれるかな」
「巻き込む……とかじゃなくて、それ以前に、家族だから」
「はっ、その家族に恋愛感情を抱いておいて、僕に許可を得て自分はスッキリして、手放しで喜んでほしいって?都合良すぎるんじゃない?僕が気持ち悪い思いするのは良いわけ?」
「……だって」
「だって?お前に反論の余地なんてないと思うけど?」
強く言い過ぎただろうか。しかし一郎を「兄弟とは違う形」で独り占めしようとしているのだ。そのくらいは許されるだろう。三郎は考えなくても容易く解けるような計算式に答えを記入しながら二郎の反論を待った。すると、まさかの回答が二郎の口を飛び出した。
「お前、兄貴には“俺に好きって伝えろ”ってメッセージ送ってたじゃん」
三郎は固まった。自分が泊まりで天体観測へ行っていた日のことだろう。まさかあれを二郎に見られていたなんて。流石に絶句して顔を上げるとバツの悪そうな二郎が頭をかきながら言葉を続ける。
「それがなかったとしても、俺は三郎に隠し続けて兄貴とどうこうなりたいってことは思わねえけど……」
「……僕に反対されたら、やめられる程度の気持ちってこと」
「いや、それは逆だ!」
「逆……?」
ばんっ、とテーブルを叩いて立ち上がる二郎。拳を握ると力強く言い放った。
「確かにお前が嫌だっつうなら俺は諦める!けど、だからこそ、そのくらいの覚悟を持ってお前に話してる!」
「いや、主旨がズレてるだろ!?僕に伝える覚悟の話をしてるんじゃなくて、お前の一兄への気持ちの話をしてるんだ!」
「え、ズレてるか?」
「ズレてるだろ!」
「だあっ、つまり俺が言いたいのは、兄貴のことはスッゲェ好きだけど、お前のことも同じくらい大切だって話なんだよ!」
「きっ、キモいよ!急に何言ってんだボケ!」
「し、仕方ねえだろ!」
いつのまにか三郎も立ち上がり、二人でテーブルを叩きながら議論を繰り広げていた。ふうふうと息をしながら三郎が少しトーンダウンして話す。
「ていうか、そんな調子のいいことばっか言って、僕の機嫌を取ろうとしたってそうはいかないぞ」
「え、お前、俺に好きとか大事とか言われて上機嫌になんねえだろ」
「なんねえよアホ!」
「何でキレんだよ!」
馬鹿と話すと馬鹿が移る、という言葉を思い出して三郎は一旦、着席する。
「ていうかさ、お前、最初に“好きになっちまった”って言わなかった?」
「それがなんだよ」
二郎も座る。
「なっちゃった、って言い回し的に、後悔してる口振りじゃないか」
「茹で足取るなよ」
「揚げ足だろ!茹でるな!」
「怖……」
「そ、それに、お前は流されやすいし、一兄の気持ちを知った上で一時的に自分も好きなのかも、とか思ってるんじゃないのか?」
「いや、それ俺も気になったんだよ」
「ハ?」
「あの山田一郎だぜ?あんなん全人類好きじゃん。そりゃそんな男に告られたら調子に乗るし、俺もそうなのかと思って、ダチにそれとなく聞いたんだよ」
「はあ?なんて」
「意識してなかった奴から告られて、そこから好きになることってあるか?って。そしたら……」
「そしたら?」
「普通にあるって。そこから意識しはじめるくらい普通だってさ」
「い、以外と客観視して他人に意見求めたりできるんだなお前……」
「キャッカンシって何だよ」
「黙れ低脳」
二郎はどうやらヤケになって反論してきているわけではないようだ。三郎はだんだんと頭が冴えてきた。霞が晴れるようにスッキリして、自分が抱えている問題が瑣末に思えてくるほどであった。
「それで?僕がオーケーしたら、どうするのさ」
「今日、兄貴が帰ってきたら告ろうと思って」
「お前から?」
「おう、兄貴からは、なんつーか、ちゃんと言われたわけじゃねえんだよ」
「ふーん」
「でも待ってるだけなんて男じゃねえだろ!自分の気持ちも分かったことだし、俺からガツンと言ってやる」
殴り合う前のように、手のひらを拳でパンチする二郎。三郎は全て記入し終えたテキストをパタンと閉じると頬杖をついて二郎を見つめた。
「まあ、いいんじゃない」
「さぶろー……」
「何だよ」
「俺の我儘、聞いてくれてあんがとな」
へらっと笑った二郎。三郎は少しだけ面を食らって、テキストでその頭をぽこんと殴ったのだった。
▼
▼
▼
「兄貴!」
「一兄!」
車が車庫に入る音がした。弟達は上着も羽織らずバタバタと外へ出る。車から荷物を下ろしていた一郎は驚いて顔を上げると、嬉しそうに笑って二人を呼んだ。
「二郎、三郎!ただいま」
三郎が一郎に抱き着く。身長差で、ばふっと兄の胸へ顔が埋まった。
「お前ら寒いのに上着も着ないで!」
「へへ、車の音が聞こえたので」
「んー、もう3日分の疲れ飛んだわ」
わしゃわしゃと三郎の頭を撫で回し、栄養素を手のひらから体から、全身で補給する一郎。ふと、三郎をハグしたまま二郎と目が合った。
「おかえり、兄貴」
「おう、ただいま」
三人は弟達特製のカツカレーを食べながら、依頼の話を聞いて盛り上がった。一郎が携わった古民家リノベーションのビフォーアフターを見せてもらったり、依頼人が昼に連れて行ってくれたラーメン屋の話をしたり。たかだか3日離れていただけだったが、その間の話は尽きることがなかった。
風呂に入り、一郎も疲れているだろうから、と寝る支度をする。歯磨きをしながら一郎が尋ねた。
「二郎、明日は何時くらいに帰って来れそうだ?」
「明日はサッカーないから、あー、でもダチがなんかポテト奢ってくれるとか言ってたからちょい寄り道して……5時くらいには帰るよ」
「お腹いっぱいにしてくるなよな」
「ぜってぇ平気だって。ポテトくらい余裕、ヨユー」
「おっし、じゃあ帰ってきたら誕生日パーティーだな」
照れくさそうに笑う二郎。三人とも歯磨きを終えると一郎がリビングの電気を落としていく。
「ほら、全部電気消すぞー」
消灯し、三人とも就寝の挨拶を交わし、部屋におさまった。
二郎も誕生日前夜の少しそわそわした心地のまま、一旦、部屋へ入る。
「ふーっ……」
深呼吸をして、鏡で髪を整えて。言うことを頭の中で今一度、整理した。そして、いざ、部屋を………出ようとした。しかし。
「二郎、ちょっといいか」
コンコン、とノックされたドア。ハッとしてドアを開けるとそこには一郎の姿。
「あ……」
「わり。話聞くって言ってたから」
「ごめん、俺も今から行こうと思ってたんだ」
「まじか。じゃあ俺の部屋くるか?」
「どっちでもいいけど、うん。兄貴の部屋いく」
二人は言葉少なに、一郎の部屋へと移動した。
パタンと閉まるドアが一郎と二郎を二人きりにさせる。一郎がベッドに腰を下ろすと、隣を手で叩いた。座れということらしい。すとん、と腰を落ち着ける。
「……話、聞いてもいいか?」
「う、うん」
「悪い、お前から来るつもりだったのに急かしたみたいになって」
「ううん」
「……仕事中も、すげぇ、ずっと気になってた」
苦笑いして二郎に顔を向ける一郎。その表情が少し苦しそうで、しかしどこか期待を孕んでいるように見えた。二郎は数時間前、三郎と話をした時と同じくらい緊張しながら口を開く。
「あの、昼間、三郎に話したんだ」
「何を?」
優しい声色。思わず、全く泣く場面ではないのに無性に泣きたくなった。ぶんぶんと顔を左右に振って熱を逃すと手元に視線を落として続ける。
「俺の、気持ち。三郎には絶対に伝えたくて……」
「……うん」
「それで、……ごめん、兄貴。結論からハッキリ言わないの、男らしくないよな」
えっ、と素っ頓狂な声を漏らす一郎。そして、ふっと笑う。
「そんなん気にしねえよ。ゆっくりでいいから聞かせてくれ」
「わ、分かった。えと……それで、どこまで話したっけ」
「三郎には絶対伝えたくて、ってとこ」
「あ、ああ。うん。それで、三郎がもしも嫌だって、やめてほしいって言ったら俺は今日、兄貴に話したかったこと、キャンセルしようと思ってた」
その言葉を聞くと一郎は、こくりと頷き「ああ」と相槌を打った。二郎が続ける。
「三郎には怒られたよ。そのくらいの気持ちなのかって。でも、俺は……俺には、三郎の気持ちを聞くのが、そのくらい大事なことで……」
ああごめん。まとめてきたつもりなのに全然うまく言えない。
そう言った二郎の背中を一郎は強くさすった。僅かにその背中が震えていることに気付く。
「分かってる」
俺もそうだ。そう言わんばかりの声色。二郎はいよいよ目頭が熱くなってきた。泣かないけれど。
「三郎は、まあいいんじゃない、って言ってくれた。俺はそれだけで、それが何より、嬉しくて……だからこうして、今、兄貴と向かい合えてる」
「悩んだんだ。あれから色々。兄貴の気持ちを知って、最初はどう接していいか分からなくなって、でも全然、嫌じゃなくて……それどころか、いつしかすっげぇ俺も意識するようになって……これは三郎にも言ったんだけど調子に乗って、そう錯覚してるだけなのかもって思ったんだけど、そうじゃないって言うか……」
「何か劇的なことがあって、兄貴の見る目が一発で変わったとか、そういうのはないんだ。そうじゃなくて、意識しはじめて、そこから兄貴の見たことない顔とか、一面とか見えるようになって、そしたらもっと色んな、兄弟としてじゃない、兄貴も見たくなって……相手は俺じゃないと嫌で、あと、会えないと声が聞きたくなったり、女の子と喋ってるとムカついたり……」
指折り伝えたいことを口に出していく。もう気持ちを伝えたも同義だが、一郎は言葉を止めず、静かに傾聴を続けた。
「でも、兄貴は、あの日、三郎がいなかった日。たまたま俺がメッセージ見ちまったからさ、本当は俺に伝えるつもりはなかったんだろ?」
「それは……」
「だから、兄貴は俺とどうこうなりたいとか、そういうのはないんじゃないかって思った。やっぱ隠しておきたいことなんだろうなって」
「ちが……っ!」
「だけど、さ」
二郎は、ばっと顔を上げ、強い瞳で一郎を見据えた。思わず固まる一郎。そして、膝の上に乗っていた兄の手に、自身の手をそっと重ねる。
「俺は、兄貴と、恋人になりたい。兄貴がどう思ってても、俺はそうなりたいんだ」
自分勝手でごめん。照れるでもなく、泣くでもなく、二郎は理路整然とそう口にした。
ピピピ、一郎のスマホが鳴った。
午前0時にセットしたアラームだ。2月6日を迎えた。二郎の、最愛の弟の誕生日だ。片手でアラームを止めると。再び部屋に静寂が戻った。
「……二郎、お前さ」
「……うん」
「……いい男に、なったな」
「へ……?」
がくり、と脱力したように二郎の方に頭を乗せる一郎。突然のことに右往左往と慌てる二郎。え、話変わった?告白聞いてた?とハテナを頭にたくさん浮かべるが、一郎はそれこそ見たことのない、表情で二郎を見つめ、こう言った。
「弟としてじゃない、山田二郎が好きだ」
分かっていた。知っていたけれど、受け入れてもらえるかは分からなかった。二郎は口をポカンと開けて、自身の額に手を当てた。
「え、と、誕生日だからと特別サービスとか……じゃなく?」
「なんだよそれ」
「いや、誕生日だからオッケーしてやるか、みたいな優しさ……なのかと」
「じゃあ俺は明日になったらお前を振らなきゃいけねえのか?絶っ対、ムリだ」
がばっ、と抱き締められ、思わず小さくウワッと声が漏れる二郎。
「せっかく捕まえたんだ。離してやるもんか」
おもちゃを買ってもらった子供のように嬉しそうに笑って、一郎は二郎を犬ころのように抱きしめて、頭を撫で回した。これじゃ兄弟の触れ合いと変わらないな、と二郎は笑いながらも嬉しくて、負けじと一郎の腹へ抱きついた。二人でベッドに倒れ込む。
「俺達、恋人?」
「おう、文句あるか?」
「ねえ!」
嬉しそうに笑った二郎が可愛くて、そのままキスを………しようとしたが。
「いやそれはまだ無理!」
思い切り顔面を手のひらで遮られた一郎。顔を真っ赤にして起き上がると、二郎は立ち上がった。
「おおおおれ、マジで兄貴みてえに慣れてないから、そのへんよろしく!」
「はは、なんだよそれ」
「とにかく!今日は解散!じゃ!おやすみ!」
バンッとドアを開けると、弾かれたように三郎の部屋のドアがバンッと開き「うるせー!」と鬼の形相で二郎に食ってかかった。二人の小競り合いがはじまり、一郎は笑いながらいつものように仲裁へ入ったのだった。
「二郎、誕生日おめでとう。ほら、三郎も」
「……おめでと」
二郎は、二人の肩に腕を乗せると、にひっと嬉しそうに笑ったのだった。
「サンキュー、兄貴、三郎」
100日後にくっつくいちじろ 了
happy birthday Jiro!
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
途中更新が飛んだりグダグダでお恥ずかしい部分もありましたが、楽しかったです。