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    夏 子

    @cynthia7821

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    A英とまほ晶におねつ

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    夏 子

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    ネロ晶♂
    百年後の世界、きみの秘密

    あなたの秘密(ネロ晶♂)鉄製のフライパンを手慣れた調子で振りながら、皿に盛りつけたチキンライスの上につややかな卵を被せれば、そこには黄色が鮮やかなオムライスが完成する。
    「お待ちどうさま」
    カウンターから出来たばかりの料理を差し出すと、目の前に座る客は嬉しそうな声をあげながら満面の笑顔を浮かべた。
    厄災を打ち砕き、宝石を砕いて散りばめたような濃紺の夜空から月が失われた日から百年という歳月が過ぎ去っていた。賢者の魔法使いとしての使命を全うし、賢者は元の世界へ、そして二十一人の魔法使いたちもまた、自らの生きる土地へと再び戻っていった。

    魔法舎で食事全般を担っていたネロは、慣れ親しんだその場所が解体されると知った時すこしだけ悩んだ。自分に出来ることなんて、たかが知れている。身分を偽って、どこかのレストランで雇われ料理人として働くか、それとも見知らぬ土地で自分の店を構えるか。世界を危機から救った賢者の魔法使いの名声は高く、元々排他的な東の国でさえ以前より少しは差別感情も薄らいだというが、はたして実際のところはどうだろうか。
    そんな時に、偶然にも声を掛けたのは同じ元賢者の魔法使いであるカインだった。それは、彼の古い友人が営むレストランを誰かに譲りたいという話だった。大通りの裏路地に位置しているので、賃料も半分でいい。建物だって、建て替えしてもリフォームしても好きに使ってくれて構わない。店を開ければ開けるだけ赤字となる状況で、とにかく一刻も早く手離したいのだという。カインの説明に、ネロはふたつ返事で頷いた。それなりに長くなった魔法舎暮らしで、中央の国のマーケット事情も分かっている。アーサーが政を担う国だから、悪いようにはならないはずだし、今後は自分達と同じような魔法使いもさらに増えるだろう。ネロとしては悪くない条件だ。
    そうしてオープンしたネロの店は、評判が評判を呼び、今では多くの店が集まる城下町でも人気の老舗料理屋となっていた。

    「はぁ、うまかった。ごちそうさま、ネロ」
    オムライスをぺろりと平らげた高齢の男性客は、代金を手渡しながらネロに声を掛けた。忙しいランチタイムもようやく波が引き、彼が本日最後の客である。
    「子どもの頃から通っているが、お前さんのオムライスを越える味にはやはり出会えないな」
    「ははは。そりゃ、こっちは何百年もこの道で生きているからな」
    「今度は孫も連れてくるよ。お前さんも、そろそろホールを雇ったらどうだ? さすがにひとりじゃ色々とキツイだろ」
    「今更だ。雇えてもこの狭い店じゃひとりだろうし、さすがに気づまりしちまうからな」
    ネロは、苦笑いをしながら空になった皿をさげて会計を終える。客が店を出たことを確認して、大きく伸びをした。シンクに山積みになった食器や、散らばった卵の殻、汚れたフライパンを見てやれやれと肩を竦める。手早く片づけを終えて、十席程度しかない狭い店内を見渡した。必要最低限の装飾しかない、まるで明日にでも消えてしまえるような、いたってシンプルな空間だ。
    ずいぶん昔、まだ自分が賢者の魔法使いだった頃、当代の賢者といつかの未来について話したことを想い出す。ささやかな夢を叶えた自分の傍にいない人。もう、名前も顔も思い出せないが、彼との思い出だけはまるで降り積もった雪のようにネロの心の内にある。それは不意に、例えば今この瞬間のように、時折心臓をぎゅっとしめつけて、苦しいような、切ないような、ひどくたまらない気持ちにさせた。じぶんのことなどお構いなしで、いつも他人の事ばかりを気にかけていた優しいひとだった。二十一人の魔法使いに平等に愛を与える役目を担っていたのに、銀のスプーンひとさじ分、ネロは彼からの愛情を他の魔法使いよりも多く受け取っている自負があった。
    何しろ、彼と自分は、秘密の恋人同士だったから。
    もう二度と会えない。仕方ないと諦めるしかない。名前も顔も覚えていない(たしか、とても可愛かったと思うけど)彼とは、そもそも生きる時間だって違うのだ。厄災を砕いたあの日から百年、当たり前のことだけれど、すでにこの世を去ってしまっているだろう。ぐちゃぐちゃになる感情から目を背けるように、ネロはキッチンに立つ。ろくに休憩も取らず、夜の仕込みのためにカゴに積んであった野菜をひとつ手に取った、その時だった。
    からん、ころん、とドアベルが鳴った。
    ネロはハッとして顔を上げる。そういえば、表看板にクローズの札を掛けるのを忘れていたことを思い出した。慌ててキッチンから飛び出し、入ってきたばかりの客に声をかける。
    「悪い、もうランチは終わってて」
    そこまで口にして、ネロは大きく目を見開いた。ドアの入り口に立っていたのは、ひとりの青年だった。首元が大きく開き、ゆったりとした白いシャツからのぞく、細い鎖骨にドキリとする。
    ネロを見上げた紫紺の瞳が、ぱちりと瞬いた。
    「……あ、そうだったんですね。残念……」
    俯き、力なく独り言ちたそれは、その瞬間ぐぅう、と店内に鳴り響いた腹の音にかき消された。青年は驚いたようにパッと顔を上げ、まるで熟れたトマトのように頬を赤く染める。
    「す、すみません! 朝から何も食べてなくて。まだランチをやってそうなお店を探していたら、いい匂いがしたから、つい」
    照れ笑いを浮かべる青年を前に、こくりと、喉が小さく鳴った。心臓が、とくとくといつもより早い速度で音を刻む。なんだ? わからない。整った顔立ちをしているが、ヒースクリフやミスラのような目を引くような派手さはない。けれど、ネロは不思議と彼から目が離せなかった。
    彼がどんな風に笑って、そして、自分の料理を食べたらどんな顔をするのか、気になって仕方がない。
    「余った食材で作ったヤツで悪いけど、それでも良かったら食ってく?」
    「えっ、いいんですか」
    「俺の料理につられて来たのに、腹ペコのまま追い返しちゃ可哀想だしな」
    ほら、と椅子を引いてやる。青年は、遠慮がちに店内に入り、おずおずと辺りを見渡しながら席についた。
    ランチで使い切れなかった野菜を刻みフライパンで炒めながら、二人分の茹でたパスタと共に特製のソースとオイルを絡める。料理をしながら、ちらりと青年の様子を伺えば、何やら熱心にネロが料理をつくるところを見ているようだった。そして、何やら手元に置いた手帳に書き記しているようだ。少し気恥ずかしい。俯きながら平皿にパスタを盛りつける。「お待たせ」と声を掛けて、青年の前に皿を置いた。
    冷やしておいた酒をグラスに注ぎながら、「あんた、酒は?」と問えば、青年は小さく首を横に振った。
    「お酒は、あまり得意じゃなくて」
    「そっか。じゃあ、これをどうぞ」
    「なんですか? 綺麗な色……」
    「ルージュベリーのジュース。さっぱりとしてて、オイルパスタに意外と合うぜ」
    「わぁ、ありがとうございます!」
    右手にフォークを持ち、湯気の立つパスタに具材を絡めながら口に運ぶのを、そっと横から見守る。妙にどきどきとしてしまって、こくりと喉が鳴った。青年は、もぐもぐと咀嚼しながら小さく目を見開いて、ぱっとネロに顔を向けた。
    「お、美味しい……!」
    その言葉に、息を吐く。自分の料理にはそれなりに自信があるし、こんな小さな店でも中央では人気の料理屋だ。当然、賛辞を受けることなんて日常茶飯事である。
    それなのに、なんで自分はこんなにも緊張していたのだろう。彼が、どんな反応をするか、少しだけ怖かった。けれど、そんなネロの憂いなどおかまいなしで、青年は目をきらきらとさせながらパスタを口に運ぶ。ネロも、ようやく自分の分を食べながら、内心ホッと胸を撫でおろした。

    ルージュベリーのジュースを飲み干した青年は、照れたように微笑んだあとに、ぺこりとネロに向かって頭を下げた。
    「ランチの時間も終わっていたのに……ありがとうございます。ごちそうさまでした」
    「いーえ。味は大丈夫だった?」
    「正直、こんなに美味しいパスタを食べたのは生まれて初めてです!」
    「はは、ずいぶん大袈裟だな。あんた、もしかしてこの街の人間じゃなかったりする?」
    「はい。実は、キャラバンで各国を移動していて、この街には昨日到着したばかりなんです」
    「へぇ」
    「中央の国は、すごく賑やかなところですね」
    青年は、肩に下げていた革製のカバンから一枚のチラシを取り出してネロに手渡した。さっと目を通せば、どうやら中央の国では簡単に手に入らないような珍しい薬草や鉱石を取り扱う雑貨屋らしい。
    「俺は、晶といいます。お名前、聞いてもいいですか?」
    「……ネロ・ターナーだ」
    「ありがとうございます。お店にきてくれたら、俺の名前を伝えてください。少しだけ、値引きできるようにしておきます!」
    茶目っ気たっぷりに笑う晶に、ネロは少しだけ戸惑いながら頷いた。あきら、口の中で聞いたばかりの名前を転がしてみる。不思議な語感だ。ネロは、賢者の魔法使いとして中央の国に召喚されるまで、それこそ色々な場所を放浪していたが、彼のような名前を持つ人間に出会ったことはない。それなのに、なんだか妙に懐かしい、おかしな心地がした。
    晶が金を払おうとするのを断って、店の外まで見送りに出る。申し訳なさそうにへにゃりと眉を下げたが、まかない料理で金をとるだなんて料理人としての矜持に関わる。
    「いいから。この国にいられるうちに、良かったらまた食べにきてよ。せっかくならちゃんとメニューにあるもん食って欲しいし」
    「はい、絶対にまた来ますね。ネロ」
    晶は、ぺこりと頭を下げて、名残惜しそうに手を振りながらネロに向かって背を向けて、あっという間に人波に紛れて消えてしまった。
    店内に戻り、すっかり空になった皿を片付ける。ふと、カウンターの上を見れば、そこにはボロボロになった分厚い手帳が置き忘れていた。一度ランチのオーダーを終えた時にはなかったから、おそらく晶が忘れていったのだろう。昨日この街に来たばかりだし、店にもまた食べにくると言っていたから、その時に渡せば大丈夫だろうか。ネロは、それとなく手帳の表紙を捲ってみる。そこには、お世辞にも上手とは言えない、まるでみみずがのたくったような文字が並んでいた。幼い頃のリケが書いたのも、こんな感じだったな。少しの罪悪感を心の中で燻ぶらせながら、文字をなぞる。おそらく、これは文字の練習を兼ねた、晶の日記帳のようなものみたいだった。

    ××××暦××月××日
    じぶんのなまえいがい、
    なにもおぼえていない。
    厄災にうみおとされた、こども。
    かも、しれない。だって。
    冗談だよと、ボスがわらう。
    どういういみか、よくわからない。
    もじがわからないの、ふべん。
    れんしゅう、がんばる。

    慌てて、手帳を閉じた。
    心臓が、どくどくと鳴る。無意識に、ネロは右手で口元を覆っていた。しまった、と思った。これは、興味本位なんかで踏み込んでいいようなものではなかった。何も見なかった振りをして、あした晶に届けに行こう。きっと、失くしたことに気が付いて慌てているに違いない。
    残りの片づけをしながら、ネロの視線は無意識にちらちらと日記に向けられる。脳裏に、ネロの料理を食べて嬉しそうに笑う晶の顏が思い浮かんだ。がしがしと、頭をかきむしる。中央でも名の知れたネロの店には、数多の客がやってくるが、ネロが魔法使いだと知った上で、美しいオンナに声を掛けられたり、誘われたりすることだって珍しくない。
    ただ、ネロは百年も前に恋人と別れてから、いっさいそういう欲を抱くことがなくなっていた。顔も名前も忘れてしまったくせに、彼といた時のあたたかな感情だとか、嬉しかった気持ちだとか、そういう形にならない温度だけは失われることなく傍にある。
    だからこそ、どうしてこうも初めて出会ったばかりの晶がネロの心を揺さぶるのか、なぜこんなにも気になってしまうのか、ネロ自身にもよく分からなかった。

    キャラバンの一員としてこの街にやってきたと言っていたので、きっと瞬きをする間にいなくなってしまうに違いない。夜空みたいな紫紺の瞳、やわらかそうなクセのない黒い髪。まぶたの裏に、晶を形づくっていた色彩を描きだす。
    「晶は、魔法使い……なのか?」
    いや、それはきっと違うだろう。晶からは、何の魔力の気配も感じなかった。でも。
    手帳のいちばん最初に書かれた日付、それは、百年前。賢者と二十一人の賢者の魔法使いが厄災を打ち砕いた年だった。厄災が産み落とした子ども。彼に手帳を与えた誰かが、そんな笑えない冗談を言ったのだ。

    一瞬の迷いの後、手帳を手に取り、そっと厨房にある戸棚の奥へと隠すようにしまい込んだ。代わりに、晶にもらったチラシを眺める。
    「城下町のマーケット、か」
    ネロはつぶやき、金色の目を静かに細めたのだった。
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