ポカぐだ♀ / シリアスっぽいチビーネは炎のブレスを吐けるようになって、そして今、角が一本生えてきた。
目を細めてはしゃぐチビーネがかわいい。見守るみんなも笑顔だ。わたしももちろんうれしい。
何にでもなれるのって、いいなって思う。
ビショーネはサーヴァントだけど、彼女が望めば何にでもなれるんだって思う。コレは推量とかじゃなくて確信ね!
サーヴァントはこの世界に生はないとしても。現界は流星のように一瞬の輝きかもしれないけれど。
その時感じたこと、経験したことはゼロになるワケじゃない。
確信だってハッキリと言えるくらい、サーヴァントみんなのことをずっと見てきたのだ。
可能性はゼロじゃない。それってすごいステキなことだよね。
じゃあわたしは……?
不意に浮かんだ疑問に胸が軋む。
わたしの足下以外の地面が崩れ落ちて、孤立したような心地になる。
ロクに学校に通えなかったわたしって、何になれる? 戦ってばかりだったわたしは、ふつうの生活を送れるのかな?
それに数百騎のサーヴァントと契約をした人間だよ? そんなの封印指定対象では?
そもそも。そもそもなんだけど……わたし、戻れるのかな?
心がざわざわして落ち着かない。
水の中をもがいて溺れかけているような感覚に陥ってしまう。
目を閉じて、長くゆっくりと息を吐く。
心の奥からあふれる囁きをシャットアウトする。
納得したじゃない。
だって、戦えるのはわたししかいない。わたしが戦うしかないんだもの。
もしカルデアに来ることがなかったら、世界はすでに焼却されてしまっていたかもしれないんだから。わたしも誰も彼も、存在していなかったかもしれないのだ。
だからそう、しょうがないんだ。
落ち着かなきゃと思えば思うほど焦ってしまって、息が上手く吸えない。呼吸が浅くなって、ますます焦る。
どうしよう。どうしよう。
混乱してどうしようもなくなって、今にも叫び声を上げてしまいそう――!
「ねぇねぇ、テスカトリポカ」
わたしの前に立つテスカトリポカの袖を引いた。戦闘は無事に勝利。簡易召喚で来てもらった彼はきっとすぐにカルデアへと還ってしまう。焦りから思いの外強く引っ張ってしまった。
振り返った彼は白い眼球にまん丸い瞳を浮かべ、わたしを見下ろしている。なんだ? と視線で問いかけてきている。
「あの……」
わたしは彼と視線を交わしたまま口を開て閉じてを繰り返した。口に出していいものかと、目を泳がせ逡巡する。
でも悩む間にも焦燥感に駆り立てられていってしまい、一度躊躇した言葉が口をついてしまった。
「わたしって今から何になれるかな?」
口を滑らせてから必死さが伝わらないよう取り繕うように、にへらりと笑う。
取り繕う成果もなく、テスカトリポカの見開かれていた目は細く眇められ、眉間に皺が寄った。
「はぁ?」
声も低くておっかない。
……あ。これって、何にでもなれるよって言ってもらうの待ちに聞こえちゃう?
やば。なんか、かまってちゃんみたいじゃない。
そんなつもりはなかった。ただ何かに縋りたかっただけだったんだ。
なんでもない。そう言おうと慌てて再び口を開く。しかし言葉を発する前にテスカトリポカの低い声がその場に響いた。
「知らねぇよ」
ぞんざいな口調で告げられた言葉はまるで、突き放すよう。
冷や水を被ったようにざっと頭が冷える。喉がひくりと鳴った。からだが動いたのはそこだけだったのに、たったそれだけのはずみでコートの袖を摘まんでいた指先が勝手に解けた。
ただテスカトリポカと対峙する。サングラス越しにわたしを見下ろす瞳は静かで、冷ややかだ。
「オレは全能ではあるが万能ではない。それはオレが断定することではない。おまえさん次第だ」
続く言葉は瞳と同じように冷静で、わたしに言い聞かせるような響きがある。
テスカトリポカの低い声に紡がれる言葉を一つ一つ胸に落とし込ませ、わたしの心は次第に平静を取り戻していった。
まったくもって、テスカトリポカの言うとおりだ。これは彼に答えを求めるようなことじゃない。わたしがどうあるかは、わたしが決めることだ。
完全に悪手だった。
「……ごめん。ほんとうにそう。困らせてごめん」
がっくりと頭を下げた。
心は落ち着いてきたけれど、嫌悪感で胸が苦しい。
なんであんなこと言っちゃったんだろう。チビーネもビショーネのことも応援したいのに、胸がざわつくのを止めることができなかった。
言葉ひとつに振り回されすぎだ。
ひとり反省会をしていたわたしの頭上にテスカトリポカの声が落ちてきた。
「知らねぇが、おまえさんがどうあっても戦いの中で死ぬさだめなのは変わらん。オレとの契約が成立しているからな」
当然だろう? とでも言いそうな声。
「あ……」
そうか。そうだよ。そうだった。
そう、頭のもやが晴れたみたいに、視界が開けたみたいな心地になる。
跳ねるように頭を上げ……ようとしたのだけれど、大きな手がわたしの頭を鷲掴みにした。そのままぐわんぐわんと大きく円を描くように大きく揺らしてくる。
「えっ、ちょ……」
乱暴に扱われて目が回る。ようやく手が離れても、しばらくぐらぐらと頭が揺れてしまった。
平衡感覚を取り戻しながら瞳をぐるりと回してこうした張本人を探す。掻き乱された髪の隙間からテスカトリポカの輪郭が視界に入った。
前髪を梳いて、口元まで見えるようになった。その口元は、あまり見ない、穏やかな笑みを形作っていた。
薄いくちびるがゆっくりと開いた。
「はやく戻ってこい」
髪を後ろに払い開けた視界で一瞬だけ捉えた瞳は、言葉と同じくらいやさしいものだった。
テスカトリポカはそれだけ言って光の粒子となって消えた。
「はー……。ひどいんだか、やさしいんだか」
わたしはテスカトリポカが消えた場所を見つめたまま呟いた。
あの神様は何になれる? と聞いても、何にでもなれるさなんて無責任なことは言わない。夢も何もない、現実を突きつけてくる。
でもそれって真摯でやさしいなと思う。
今を生きて、世界を取り戻すためにわたしは身に余る力を得た。だからその代償を払うべきだ。わたしはきっと、「何にでも」はなれない。代償を払う時……死ぬまでにできることは限られるもの。
でも、それでいいんだと思う。だって、何にでもなれるかもって、あれもこれもとふわふわ曖昧に過ごしていたら注意力も散漫になって、きっと自分が納得する死に際まで生きていられないと思うから。
テスカトリポカはわたしのアンカーみたいだ。
荒れ狂う海の大きな波にさらわれてどこかへ流されてしまいそうになるのを、留めてくれるよう。
なんか、やり方は乱暴だけど。ざっくりと腕を切って、溜まっていた膿を掻き出されたみたいな?
ホラもう安心だろ? って言われてもめちゃくちゃ痛いんですけど! みたいな。
でも、錯乱しかけたわたしをストンと落ち着かせて、気を奮い立たせてくれた。
「はー。ほんと、やさしいんだかなんなんだか」
呆れを滲ませるつもりが、口をついた言葉は浮かれが混じっている。頬も緩んで、きっと締まりがない顔になっているだろう。
だって。だってさ?
戻ってこいって。
戦場がわたしの死に場所だとしても、それはここじゃあないだろう? もっと相応しい場所があるんだろう? って、彼も思ってくれているってことだ。
そりゃあもう、わたしって何になれる? なんて考えている場合じゃない。
生きて帰る。それだけを考えて、それだけを優先して、テスカトリポカが待つカルデアへと帰らなければならない。
背後からわたしを呼ぶビショーネの声がする。
振り返ってみなに手を振って応える。
さっきまでの、足下以外の地面が崩れ落ちてしまった感覚はすでにない。
わたしは爪先に力を入れて地面を思いっきり蹴った。
uploaded on 2025/05/28