ポカぐだ♀『炎のブレスが来ます!マスター!逃げてくださいッ!』
『逃げるって言っても……!』
シャドウサーヴァントと組み合う最中、テスカトリポカはカルデア支給の通信機からの少女たちの緊迫した声を聞いた。
ぎりりと奥歯を噛み締め、組み合っていた敵兵を薙ぎ倒した。背後に控えていたシャドウサーヴァントをも巻き込み、ひと息に周囲の敵を一掃させる。
安全を確認し数百メートル先に展開していた右陣へと目を凝らした。彼らはシャドウサーヴァントや円環に囲まれて身動きがとれなくなっていた。突破口を探っているようだが、敵陣の層が厚い。自軍のサーヴァントたちの背後にオレンジ色の頭を見とめ、舌打ちを落とした。
最初から胸騒ぎがしたのだ。彼は眉間に皺を寄せ表情を険しくした。
強大な敵と相対するならば彼女の隣には必ず自分がいるはずだった。しかしその存在が、今日に限って隣にいない。マスターに別働隊の指揮を命じられてしまったためだ。
『プトレマイオス!円環を撃破する!突破口を開くよ!』
『わかった!必ず突破するぞ!』
マスターが低く叫んだ。腹に力を込めた戦士の声だ。危機が迫っているが、マスターは怯えることなく最善を尽くそうとしていた。
彼女の命令にサーヴァントが応じる。雄叫び、敵を斬り裂く斬撃の音。通信は苛烈な戦闘を伝えてくる。
マスターが呼ぶはこの地に召喚されていたアーチャーのサーヴァントであって、我が身ではない。
何故オレはここにいるのか。オレだったらすぐさま敵陣を斬り裂くことができるのに……!
今から彼女のもとに駆けたとしても、間に合わない程の距離がある。敵陣抜けブレスを回避できるよう祈るしかない。
どうにもできない現状を突きつけられ、我が身を焦燥感がせき立ててくる。
テスカトリポカは平静を取り戻そうとを深く長い息を吐いた。
右陣にて敵を引きつけ、その間に左陣が戦場を駆けテュフォンに一撃を喰らわせる。それが彼がマスターから託されたオーダーだった。
ブレスの後は警戒が薄くなるはずだ。好機を逃すワケには……マスターからのオーダーを失敗するワケにはいかないのだ。
『円環撃破した!行くぞ!!』
『マスター!演算の結果ブレスまであと30秒です!』
テュフォンの周囲には視認できるほど濃い魔力が渦巻いている。この力を使って放たれるブレスとなると、敵味方関係なく大ダメージを負うことになりかねない。
特に人の身であるマスターにとっては命にかかわる攻撃となるだろう。
逃げろ。無駄死にするな。
ここも戦場とはいえ、おまえさんの死地はここじゃあないだろ?
テスカトリポカは彼のマスターに向け念を投じた。
テュフォンはブレスの攻撃態勢に入った。口が大きく開かれる。喉の奥から光が溢れ出した。
途端、周囲の温度の上昇を感じた。距離があるにも関わらず真夏のような暑さだ。
吐き出される炎は灼熱のマグマ並の熱さなのではないか。人の身ではすぐさま存在が消えるほどの熱だ。
しかし、逃げ切れればなんとかなる。
テスカトリポカは手を握り込み、右陣の行方を見守った。
『プトレマイオス!先行って!』
「な……ッ!?」
耳を疑う声だった。
テスカトリポカ目を瞠った。回避へと向かう右陣の仲間へと目を凝らす。
マスターがアーチャーの背を押すのが見えた。サーヴァントたちに守られていたはずの小さな背中が、障害物なくはっきりと見えた。
何故と思考する暇はなかった。
テュフォンが俯き、炎を勢いよく放出する。足元の大地を焼き、シャドウサーヴァントを飲み込んでいった。真っ直ぐと、炎の渦がマスターに向かって襲いかかった。
「立香!!!!!」
テスカトリポカは喉が裂けんばかりに自分のマスターの名を叫んだ。
マスターへ向け手を伸ばす。しかし彼の指先は彼女に届くことはなく。
小さな背中は烈火に呑まれてしまったのだった。
立香は重々しいため息を吐いた。
聖杯戦線から帰還しメディカルルームでメディカルチェックを受けているのだが、椅子に腰掛けた彼女の腹にテスカトリポカが腕を巻きつけて張り付いているためだ。
身体が重く、身動きが取れないのだ。
男は立香の腹部に顔を突っ伏し、腰をぎゅうぎゅうに抱きしめている。何を言ってもこの調子だ。
目の前に立つネモナースがくすくすと笑いメディカルルームから退出してしまった。
ネモナースは問診後の体のチェックのために待機していたのだが、彼に離れる気配がないため空気を読んでふたりきりにさせてくれたのだった。
立香は再びため息を吐いた。
「ごめんて。」
金髪の頭部に向かって謝罪を告げた。しかしやはり彼はピクリとも動かない。
彼女は金の髪を撫でた。ピクリと肩が揺れたが顔を上げてはくれない。
立香は苦笑した。
「強耐火熱仕様にしてもらってたの、言ってなくてわるかったなって思ってるよ。」
彼女の魔術礼装はタイミングよく改良が完了していた。ミクトランパ第九層シバルバーでのマントルの熱に魔術礼装だけで立ち向かえなかったことは天才たちのハートに火をつけてしまったらしい。ミクトランから帰還後しばらくして、得意満面の二人に呼び出されたと思えば新しい礼装を披露されたのだった。溶解炉に沈んでも二度はサムズアップして耐えられる仕様らしい。
金の髪はさらさらと手触りがよく、だんだん心が弾んでくる。立香が夢中になって頭を撫で回しているとぼそぼそと籠った低い声がした。
「オレの手が届かない場所で、勝手に死ぬなよ。」
不貞腐れたような物言いだ。それに腹部に感じる口の動きが、息がくすぐったい。
立香は我慢できずに噴き出した。
「笑い事じゃねぇよ。」
少し顔を起こしたことで久しぶりに見えた顔は、険があるが瞳はいつもの自信に満ちたものではなかった。
心配してくれている事、死ぬ時にも共にいると思っている事。彼の想いを受け止めて、なんだか胸がくすぐったい。思わず頬が緩んでしまう。
笑うとまた機嫌が悪くなるかもしれないと思い、立香はテスカトリポカの頭を抱き込んだ。
目を閉じて、耳元へ静かに囁いた。
「ごめん。
いつも一緒にいてね。
さいごまで、わたしの生を見届けてね。」
耐久性は聞いていたとしても立香も恐ろしかったのだ。一番頼りになる相棒がいない事に、このまま死を迎えるかもしれない事に。
微かに香る、すでに鼻に馴染んだ紫煙のにおい、何度も梳いたさらさらの髪。
心を許したひとが胸の中にあることで、張り詰めていた心が解けほかほかと胸があたたかくなってきた。
抱えた頭をぎゅっと胸に押し当てる。テスカトリポカはギクリと体を強張らせたが、すぐに腰を抱く腕に力を込めた。
立香はくすりと微笑んだ。思わず笑みがこぼれてしまったが、今度は彼はむくれることはなかった。
ふたり隙間がないほど抱き合っていたふたりは、戻ってきたネモナースの咳払いが聞こえようやく我に返った。
苦笑するネモナースを前にふたりはバツが悪そうに顔を引き攣らせたのだった。