ワンライ お題:ナンパ「そこの素敵なお兄さん」
きらびやかな街では、そこかしこで人々の思惑が交錯している。しかし、擦り切れたサラリーマンである自分には関係のないことだ。 ナンパか、はたまたキャッチか────何かしらの現場になるであろうこの場所から早々に立ち去った方がいいだろう。そう思って歩む速度を早めたら、背後から手首を掴まれた。
「待って、お兄さん」
「ヒッ! おおおおおお俺、ですか……?」
恐る恐る、自分を繋ぎ止めた手の先を振り返る。そろりと視線を上げると、見慣れた顔が、知らない表情で佇んでいた。
「ふふ、君のことだよ。素敵なお兄さん」
「ひ、ふみ……?」
恋人が別人を演じているかのような様子でホストとなったのは数ヶ月前のことだ。情報として理解していても、いざその場面に出くわすと違和感しかない。わざとらしく皮膚を撫でる指先に、「お前は誰だ」と問いただしたくなる。
「おや。マイプリンセスはご機嫌ななめなのかい? 僕は君とこれから楽しい時間を過ごしたいのだけれど」
揶揄するような口調。客に接するような態度。それらで神経を逆撫でされたことが思い切り顔に出てしまっていたらしい。けれど現状で媚びるように一二三のご機嫌を取るのは、まるで気を引きたい迷惑客のようで面白くない。こうなったらもうヤケクソだ。
「……あいにく、家でご飯が待っているからな。今日はこのまま直帰予定だ」
「ふぅん?」
頑なな態度を見せると、一二三の笑みが深くなった。容赦なく詰められる距離に恐怖心を感じて、体が勝手にじりじりと後ずさる。
「うっ」
背後に硬い感触を感じた。俺は壁際まで追い詰められてしまったらしい。
「お兄さん」
ガンッ、と派手な音がした。視線で音源を辿ってみれば、いわゆる壁ドンをされている。おまけに、一二三の長い足が股下に入り込んでいた。これではどうやっても逃げられないだろう。
「家にあるそれらは僕と違って移り気でね。朝食にリメイクが可能なんだ。だから、お兄さんのことは待っていないと思うよ」
囁くような声色が、耳に直接吹き込まれる。息をするのさえ苦しいのは、複雑で高級な匂いが鼻腔にまとわりつくからだろうか。あるいは、恋人に普段とも仕事中とも取れない態度で迫られているからか。
心臓が120BPMを刻んでいる。苦しくなって喘ぐような呼吸をすれば、微笑の奥で笑っていない瞳と視線が交差した。