ワンライお題:一途、不眠 時計の秒針と俺の息遣い。新聞屋のバイクが走る音。雑に締めたカーテンからうっすらと漏れる生まれたての光。
「…………はぁ」
動き出した街をよそに、また俺だけ夜と朝の堺へと取り残されてしまった。
分かっている。大丈夫。一二三はそんなことはしない。薄情じゃない。けれど、頭で理解していても、ホストクラブという煌びやかな場所の記憶が俺の中の不安を駆り立てる。
一二三は今日も仔猫とは名ばかりの猛獣達を制して無事に帰ってくることができるだろうか。彼女達は見目こそ華奢で無害そうに見えるが、一度獲物に噛み付いたなら、何が何でも手に入れようとする執念深さがある。野生に現存する肉食動物よりも苛烈で周到な存在だ。そんな中に毎日提供される極上の餌────もとい、俺の恋人である伊弉冉一二三。毎日一二三からの特別な愛が欲しくて、数多の美人がお金を溶かしていく。
夜の帝王さえその気になれば、枕やら色恋やら、やりたい放題ができるのだ。
「……うぅ」
寝返りをする際に己の体を確認する。
ただ細いばかりでメリハリのない体。胸は平たいばかりで寸分の膨らみもない。それなのに骨張っているから、抱き心地は非常に悪いだろう。その上、俺はいい年した中年だし、声だって太い男性のものだ。こんな体を好きにしたって、面白いのか甚だ疑問である。
「……どうかしてるよな、俺は……」
友達の時は、そんなこと気にならなかった。仔猫さんが心配で不眠症が悪化してしまったのは、閉ざしたはずの恋心が実ってからだ。
あの夜、仄仄と対峙してから一二三は大きく変わった。ジャケットを着なくても女性を前に発狂しなくなったし、地に落ちていた自己肯定感が上昇したのか自己犠牲を良しとはしなくなった。そして、なぜか俺に告白をしてきた。学生時代から一二三に片思いをしていた俺にとって、青天の霹靂と言える出来事だ。今でも何かの間違いなのでは? と思うことがある。両思いになったは良いものの、ずっと一二三に向いていた俺の恋心は中年にあるまじき経験不足だ。毎夜初恋を拗らせた女学生のように悶々としてしまう。
「────マイプリンセスは今日も眠れなかったみたいだね。ただいま」
「あ……一二三。お帰り」
思考が迷宮壁のラビリンスウォールに陥っていた俺は、一二三の帰宅に気付かなかったらしい。ベッドに腰掛けられてようやくその存在に気付いた。
「僕は昔から独歩君一筋だよ。家族愛にしなければと抑えていたタガが外れただけ。だから安心して眠りについて欲しいのだけれど……」
ヒュッと喉が鳴った。なぜ一二三に俺の思考が露見しているんだ? コイツは凄腕のエスパーか?
「ネガティブモードの君は一心不乱に思っていることを呟いているなとは思っていたけれど、まさか無意識だったなんて驚いたよ。それはそうと、カーテンを雑に締めるのはいただけないね」
それってほぼ全部聞いてたじゃないか! 俺のしょうもない本心を知った一二三に嫌われてしまったらどうすればいいんだろう。生きていける気がしない。
嗚呼、一二三が溜息を吐いた。こんな俺に呆れているのだろうか……。
「独歩君。どうせ君は眠れないだろう? それならば、僕の愛を受け止めて?」
そうして俺は、博愛主義だと、俺を残して簡単に死ぬんじゃないかと思っていた男のねちっこくも情熱的かつ執念深い愛情を、休日を丸々使って思い知らされてしまった。
◆ボツの🥂サイド↓
「良かったんスか、一二三さん」
新人君が後方でポツリと呟いた。
僕が主役と後付けされた、今宵のパーティーは幕を閉じた。
少し前まで熱気に包まれていたフロアは、間延びした会話と運ばれるグラスの擦れる音しかしない。だから、非難するようなその声を聞き逃すことはなかった。
「何がだい?」
鷹揚な声を出しつつ振り返ると、僕の姿を真正面に捉えた新人君は怯んだようだった。いけない。僕としたことが。気が急いているせいとはいえ、表情管理を忘れるなんて。
にこりと人畜無害な笑みを浮かべると、案の定、後輩君は心に溜め込んだ不満を口に出し始めた。
「後半、誰がラスソンを歌うかじゃなくて、一二三さんがラスソンを歌うためにどの客が一番貢献できるかの争いになってたじゃないっスか」
「そうだね」
事実なので肯定する。この店では特段珍しくないことだ。
「あの時の……アフターしてくれるならもっと高いボトルを開けるっていうお客さんの提案、何で断っちゃったんです?」
すぐさま提案してきた彼女の顔形を脳内で甦らせる。彼女は確かにそのようなことを言っていた。僕の気を引きたくて仕方なかったのだろう。可愛らしい仔猫ちゃんだ。
「僕は売掛をしないからね」
「どうして!?」
新人君には難しい問題らしい。先輩としてヒントを教えてあげた方が良いみたいだ。
「彼女の靴やバッグ、洋服は安価な物だった。それに、以前の来店時も同じものを着用していたことがある。数少ない一張羅なのだろう。会話の中で、奨学金の返却が大変だとも言っていたかな。勤め先も一般的な企業。うら若きOLの給料から考えると、余剰なお金は多くない。そんな彼女が一晩で60万売掛したら? 締め日までに払えるかい?」
「最悪、飛ばれる……っす」
「ね? 互いに甘い夢を見るのは構わない。けれど、度を越すと悪夢になってしまうんだ。────それに」
「……そ、それに?」
「アフターにはそもそも行くつもりがなかった……なんて言ったら怠慢かな。僕を悪夢にさせない唯一の存在が、眠れない夜を悶々としているはずだから」
この意味をつまびらかにするつもりはない。ポカンとする新人君に背を向け、僕は店の裏口へと歩き出した。