春風陸奥記 「どうしましょう、経清さま」
そっとあなたの頬に手を添える。時に優しく、時に厳しく己を導いてくれた腕はない。
「あなたが死んじゃったら、俺はどうやってあなたを追い越せばいいんですか」
ガタガタな首の断面を撫でる。力強く地を蹴る足はそこにはない。
「聴いてますか」
夜空を閉じ込めたびいどろのような瞳が暗くなる。この人の世界に自分はどこまで入り込めたのだろうか。
「なにかいってくださいよ」
薄い唇が色を失う。紡がれたはずの声は空気を震わせただけだった。
「きこえないです、きこえないですよ。ごめんなさい俺が投降しろなんて言ったから。本気で一緒にいられると思ったんです。貞任にとられっぱなしじゃ嫌だったんです」
左頬に流れ落ちる雫を掬う指がくずおれる。額と額をくっつけても、温もりを与えることはもうない。
「経清さま」
あなたの首を抱え体を折り曲げる
「俺、どうすればいいんですか」
*****
「義家殿」
飛び跳ねるような声に振り向く。見れば、つい先日弟と共に、自分に投降してきたばかりなのにやけに懐いてしまったあの方の息子がこちらを見上げている。くるくるとよく移り変わるその表情は見ていて飽きない。
「弓比べしてください!今日こそ、今日こそは感心させてみせますから!」
先日弓の腕を酷評されたのを気にしていたらしい。
あの方は矢継ぎ早も黒当ても完璧だった。少しばかり血に期待していたのだ。
鼻息も荒く庭に向かう息子殿に引き摺られながら、ふと覚える既視感にぼんやりと思いを馳せる。時折顔を覗かせるそれは、ああそうだ。
左頬の傷に指を這わせる。
自分はもう、憧れるあの人の背を両の目に映すことすら叶わぬのだ。