突然、新人としてやって来たアイツ (過去作部分) アイツと初めて対面したのは夏のIH予選だった。凄い一年が県内の名朋工業に入ってきたことは、耳にしていた。予選で当たるかもしれないなと、思っていたら、実際に組み合わせでその通りになった。
試合開始前、整列をして向かい合わせになる。俺から見て、斜め左側に並んだアイツを見た時、一年にしてバスケに恵まれた体格に、敵ながら素直に感心した。ただ、感心したのは試合が始まるまでだ。どんどん点差を付けられている中、ゴール下にいた俺は、アイツのダンクによって吹き飛ばされた。全身、特に背中を強打した俺は、担架で場外に運ばれる事となってしまったのだ。
最初、少しでも素直に感心した俺の気持ちを、いっそ返して欲しい。
「大丈夫か!」
俺は担架に乗せられ、全身鈍く痛みが走る中、馴染みのある声が聞こえた。ゆっくり声が聞こえた方向に視線を向ける。あぁ、牧がいる。何故、牧が居るのだろうか。彼の後ろには、真っ赤な坊主頭とキャップを被った男が見えた。牧の後輩だろうか。そんな事を矢継ぎ早にぼんやり霞んだ世界で考えていたら、また痛みの波が俺の全身を包む。その痛みと共に、怒りが腹の底からぐわっと湧いてきた。
「あの野郎許さねぇ、絶対許さねぇぞ」
まさかこんな事で、会場にすら居られなくなるとは思ってもいなかった。ダンクで吹っ飛ばされて負傷するなんて、予想できないだろう?
結局その後、我が愛和学院と名朋工業はIHで当たることは無く、夏の幕を閉じた。試合で負けた悔しさとはまた違う、別のベクトルの屈辱感が、俺の中に残った。
その後、俺は国体で再びアイツと顔を合わすことになる訳だが、しかも今度は同じチームメイトになった。仕方ない、俺とアイツは同じ愛知代表なのだから。
しかも俺は愛知代表の主将として、チームを束ねなければならない。無論、あいつとも会話をする必要があった。
「おい……森重」
「ん?」
初めて声をかけた時、俺を見下ろすアイツの表情はよく分からなかった。一体何を考えているのだろうか。俺は声をかけたものの、続きの言葉をあれこれ頭で考える。あの時以来だな、も何か違う気がする。しばらく沈黙の後、先に口を開いたのは向こうだった。
「あんた……誰」
森重のその言葉に、一気にあの時の感情が蘇った。俺の手は、微かに震えてくる。きっと怒りからなのだろう、と自分を冷静に判断する。人って、ほんとに腹が立つ時、震えるんだな。俺は右の拳をぐっと握りしめた。
「っ……諸星大。俺の事、忘れたなんて言わせないからな」
「ふーん」
アイツにとって俺は、吹っ飛ばしたその他大勢なんだろう。IH後初めて話した森重は、さして興味が無いといった反応だった。
***
あれから幾年が過ぎた。俺は大学でもバスケを続けていたが、社会人になってからはプライベートでストバスをするくらいになっていた。趣味でバスケをする、しがないサラリーマンだ。当時の仲間も大人になって、家庭を持つ者が出てき始めたり、仕事に忙しかったりと、大勢で集まることは年々少なくなってしまった。
社会人になってからも、社会人リーグに入ったりして、バスケを続けようと思ったら続けられる。でも俺は、その道を選択しなかった。別にバスケが嫌いになった訳では無い。大学の時に痛めた足の怪我が、直接の原因になった訳でも無い。ただ、バスケ一本で生きていくのはどうなのか、と俺は思ってしま った。俺は割と現実主義なのかもしれない。
だから、バスケ一本で生きている沢北の活躍をテレビで見かける度に、凄いなと感心する。沢北とあの時対戦出来ていたら、俺も何か考えが変わったのだろうか。
そういう俺も、入社七年目。新人と呼ばれる期間はとうに過ぎてる。現在彼女が居る訳でもない俺は、家と職場を行き来し、たまにバスケを挟むくらいの実にシンプルな生活をしていた。
そんなある日、俺は部長に後で会議室に来るよう声をかけられた。何の話だろう。個別に呼び出されたという事は、もしかして異動の話とか?
「失礼します」
ドアをノックして、ゆっくり開ける。部屋の中には部長しかいなかった。
「立ったままもなんだから、まあ座って」
「はい、失礼します」
俺と部長は、それぞれ椅子に座る。部長と向き合った。
「今度ね、実は新人がうちの部署に来るんだよ」
「新人、ですか」
この時期に新人とは、珍しい。確かにうちの部署は今、人手が足りていなかった。中途採用での補填ってところだろう。
「諸星君と歳が近くてね。ぜひ君に指導して貰いたい……どうだろう?」
へえ、俺と歳が近いのか。それなら指導係に俺、というのも頷ける。というか、正直この手のお願いは断る事は出来ないだろう。
「承知しました」
「うん、よろしく。新人が入ってくる事を知ってるのは、上と僕と諸星君だけだから、まだ口外はしないように」
部長がよろしくね、と俺の肩をポンポンと叩いて立ち上がる。俺も立ち上がって、椅子を長机の方に引いた。
「どんな方、なんですか?」
部長に聞くと、何故か笑みを浮かべる。部長はとっても大きい子だよ、とだけ言い残して先に歩いて行ってしまった。
(大きい子……それは見た目で? それとも大型新人的な意味で?)
首を捻りつつ、俺は自分のデスクに戻った。
***
それからしばらくして、例の新人がやってくる日を迎えた。朝、出勤して部署に向かうと、フロアがざわざわとしていた。同期の中井が、俺の元にすっ飛んでくる。
「おいおい諸星、見たか? 新人君! すっげー背高いぞ!」
大きい子ってそっちなのか、と自分の中で答え合わせをする。というか、背が高いだけでそんなにはしゃぐなんて、子供みたいだなと俺は笑う。マジなんだって、と中井も笑う。そんなに背が高いのか。
「俺あんま知らないんだけど、バスケしてたらしいよ。あ、来た来た」
バスケ経験者なのか、それならいつかワンオンワンでも出来るかも、などと思っていると、部長と共に新人が歩いてきた。
「は?」
俺は思わず、間抜けな声を出してしまう。すぐに分かるその背の高さ、そして表情の読めない眼差し。だんだん部長と一緒に近づいて来て、ぴたりと止まった。
「諸星くん、こちらが今日からうちの部署に配属になった、新人の森重くんだ」
なんなんだ、一体何が起きている。何故あの森重が、よりによってうちの会社に入ってくるのか。腐れ縁、と言うにはあまりにも形容し難い複雑な感情が、俺の心をすり抜けていく。
バチッ、と森重と目が合った。森重はゆっくり口を開く。
「はじめまして、森重寛です」
はじめまして、だと。俺の頭は、鈍く痛くなっていく。単に俺という人物が思い出せないのか、それとも人にそもそも興味が無いのか。いやいや、たった一度の試合で顔を合わせただけならまだしも、幾らか顔を合わせて会話をしている。
「……諸星大だ」
ここは会社だ、冷静に対処しなくては。俺はとりあえず合わせて、初対面の体で挨拶をした。部長が、後は案内よろしくと言って離れていく。すると森重は、口角を僅かに上げフッと笑い、俺にしか聞こえない位の小声で耳打ちしてきた。
「どーも。お久しぶりです、諸星さん」
バッと、顔を上げる。森重の顔は明らかに笑っていた。コイツ、分かってて初対面のフリをしたな!
「森重……さん、行きますよ」
俺はグッとこらえて、オフィスの案内に専念する。その後の森重は、思ったよりも素直に話を聞いていた。少しは大人になったのだろうか。
***
結局、一日を通しても森重は普通に素直だった。なんだか拍子抜けする。この日は、業務の流れを教えて終わった。
部長が、親睦を兼ねて飲みに行かないか、とフロアの皆を飲みに誘う。すると、森重は突然、俺の腕をぐっと掴んだ。
「今日はパスでいいですか。諸星さんと飲むんで」
何言ってんだ、と言いかけたが、俺はあっという間に森重に引っ張られていく。マイペースな森重の発言に、呆気に取られた部長やフロアの職員の顔を見渡しながら、俺と森重はオフィスを後にする。
すぐに来たエレベーターに乗って、一階に降りてすぐ、また腕を掴んでぐんぐん歩こうとする森重に、俺は精一杯腕に力を加えて踏ん張った。
「おい、森重!」
「……なに」
「お前なぁ、印象悪いだろ! 初日にあんな……」
俺の抵抗も虚しく、また引っ張られる。俺は諦めて森重に従った。
五分ほど歩いたところに見えた居酒屋に、俺たちは入った。店の中は、会社帰りであろうサラリーマン達で賑わっている。入口に少し屈んで入ってきた森重に、一瞬一斉に注目が集まった。森重はそんな視線などお構いなく、店内を進んでいく。
店員に案内された席に、ドカッと座った。俺が後に続いて座ると、森重はすぐに店員を呼ぶ。
「ジョッキの生1つ」
先に注文した森重が、俺をちらりと見た。アンタは、と俺に振る。おいおい、俺の方が先輩なんだぞ、一応。
「……あー、グラスの生1つで」
オーダーを受けた店員が、伝票に書き込み去っていく。森重はというと、ペラペラとメニューをめくって眺めていた。さて、どうするか。
「おい、森重」
「んー、何」
森重の顔はこちらを向くことは無く、メニューを見た状態のまま、返事をする。あぁ、思い出した。コイツは国体の時もこんな感じで、マイペースな人間だったな。
「あのな……森重、初日からあんな風に飲みの誘い断ったら良くないだろ?」
俺は怒らず、出来るだけ諭すような声色を意識して、森重に話しかけた。森重はむくりと顔を上げた。真正面から見た森重の目は、思ってたより澄んで見えた。
「だってアンタと呑んでみたかったから」
「あ……そう」
俺は、何も言えなくなってしまった。そんなに今まで、森重とは言葉を交わして来なかったが、良くも悪くもストレートな人間なのかもしれない。
店員が、ビールを運んできた。ゴトリと机の上に置かれたビールを、それぞれ持つ。森重はそのままジョッキに口を付けるかと思いきや、そのままの状態をキープしている。
「じゃあ、乾杯」
「乾杯」
ジョッキとグラスがぶつかる、軽いガラス音が空間に響く。ごくごくとビールが喉に流れていく。森重に対して、俺の心に怒りではなく気づきが芽生えた瞬間だった。