深津選手のWhat's in my bag『仕事用バッグを買い換えたいんだけど、荷物多すぎて入るバッグが見つからず、逆に普通の人はあの小さいバッグに何を入れてるんだろうと思ってWhat's in my bagの動画見まくってたら何故かバスケ選手の動画までおすすめに出てきた』
ポストしたらすぐに5いいねついた。分かってもらえて嬉しい。
私の仕事は金融会社の営業で、女性としてはそれなりに稼いでいる方だと思う。仕事は忙しいけどやりがいもあって、お給料もそれなりに貰っている上に営業で結果を出せばインセンティブも入るから、結構満足してる。やれ結婚だとか彼氏はとか実家はうるさいけど、私は今は仕事がしたいし、自分の力で稼いだお金で、小さなご褒美を買うのが好きだった。
仕事が終わったら、家に帰って自炊して、洗濯と掃除を一通り終わらせ、明日の仕事の準備。終わったらお風呂に入って、ベッドでSNSチェック。
いつもの自分のルーティンの中の、眠る前の最後の数十分で私は動画サイトを開く。バッグの購入を検討しはじめてから、あまりに決まらず迷走し始め、ついにはバッグの中身を見せる動画ばかり見るようになってしまった。アイドル、海外の有名女優などの動画を見まくっている。おすすめ欄もそんな関連動画ばかり。
最初はどんなバッグを使っているかをリサーチするのをメインとしていたのに、だんだん中身の方が気になってきて、たまにおすすめの化粧品とか便利アイテムを紹介しているのが面白くなってしまっている。
さて、と私は「あとで見る」リストを開く。帰りの電車で見つけた、バスケ選手のWhat’s in my bagの動画。サムネイルは、神奈川を拠点とするバスケチームの選手と「バッグの中は? 深津選手編」の文字。
最近のスポーツ界は、こういう動画やSNSの広報活動でファンを増やしているチームも多いらしい。特に神奈川のこのチームは、数あるバスケチームの中でもバスケ以外の動画投稿に力を入れているらしく、時々バズったりしていた。広報に有能な人がいるんだろうな、と思いながら、再生ボタンを押す。
ちなみに私は、バスケはほぼ興味はない。ニュースで流れているのを見て、何人か国内の有名選手を知ってるくらい。バスケのルールも曖昧だ。でも、スポーツ選手ってどんなものを持っているのか興味は湧いている。
白い背景のスタジオに、簡易テーブル。真ん中には、黒い太眉で感情の読めなさそうな顔をした、唇が厚めの選手が棒立ちしている。
「えー、こんばんは、深津一成です」
テロップに「フカツ カズナリ」と出た。この人は、バスケにそこまで詳しくない私でも見たことがあった。日本代表戦に出たりもしていたはず。表情が変わらないことで有名。
──深津選手、今日はよろしくお願いします。
「よろしくお願いします。何かわからないですけど」
テロップの文字は、おそらくカメラ外で話しているスタッフさんの言葉だ。
──サプライズコーナーです。
「うわあ…やるんですかそれ」
──深津選手で2人目です。
「選ばれて光栄です」
最初は嫌そうな顔をしていたのに、すぐにキリッとした。
返事もなんかずれてるなこの人。面白い。
サプライズコーナーは、選手がなにをやらされるか伝えられていないコーナーのことらしい。右上に小さく、「深津選手はなにも知りません」と出ている。
──チームに所属したばかりの深津選手のことをもっと知りたいということで…
※深津選手は今シーズンに移籍したばかりです
へえ、そうなんだ、と私は感心した。
移籍したばかりのはずだが、ついこの間は勝利したニュースでも取り上げられていたはず。代表戦にも出ていたし、本当に有能な選手なんだろうなー。
私は、就寝前の日課の白湯を啜りながらそんなことを思う。バスケ全然知らないけど、新しいチームで馴染むのも大変だろうに、すぐこういう広報の動画にも出なきゃいけないなんて、ほぼ芸能人だ。
──チームチャンネルに出演するのはまだ心許ないと思うので、今回は司会をお呼びしました。
「司会?」
──こちらです、どうぞ!
カメラが振られた先にいたのは、爽やかなスポーツ刈りのイケメン。
「よう深津、よろしくおねがいしまーす!」
「いや、声でかっ」
私は思わず声に出して言ってしまった。
見た目の爽やかイケメンぶりとは真逆の声のデカさ、やかましさに、この人があの三井寿かあ、と思う。よく話題になっている人物。私が知っているバスケ選手のうちのもう1人。
──三井寿選手です!
「…やっかいなのがきたピョン」
深津選手がぼそっとつぶやいた。ピョン?
「まあそう言うなよ、ミスター神奈川のオレがチャンネル初出演の深津をリードしてやるから」
「いらねーピョン」
──お2人は大学からの同級生ということで。
「そうです、あと宇都宮の松本も」
「あいつ元気にやってんのかな」
「三井の元気さには負けるピョン」
そのピョンはなんなんだ、と思いながらも話は進んでいく。スタッフに敬語の時は出ないあたり、親しい人限定で出る深津選手の癖みたいなものなのだろうか?
──三井さん、司会を。
「あっ、そうだった。はい、これ」
ん、と差し出したのは黒のリュック。重そうだ。
「バッグの中身見せてのコーナー!」
また三井選手のでかい声が響く。ほんとこの人声デカくて面白い。
一方、私物のバッグを勝手に持ち出されたらしい深津選手は、顔を覆って伏せている。
そりゃそうだ、こういうのって仕込みなしで見るのが面白いが、やる側の方は普段バッグの中身なんて誰かに見せると想定していないから、不意打ちだと非常に厄介な企画。変なもの入ってませんようにと願うしかない。
「なにも入ってません」
「んなこと言うなよ。よし、やるぞ」
顔を上げた深津選手がなんでもない顔をして言ったが、三井選手は気にすることなく黒のリュックを大雑把にテーブルの上に置いた。
「えー、このリュックはなんてやつですか」
三井選手が司会らしく仕切る。深津選手は三井選手にだけ一瞬睨みをきかせたが、観念して口を開いた。
「わかんないピョン、貰い物」
「へえ、こんな良いものプレゼントしてくれるなんて優しいなあそのご友人」
三井選手がにやにやしてるのはなんでだろう。
と、テロップにバッグのブランド名が出されて私は目ん玉が飛び出そうになった。なんてことないシンプルな黒のリュックだが、高級ブランド品だった。確かにプレゼントでこのブランドは、ガチ感がすごい…。
よく見ると前面に小さくブランドのロゴマークがついているが、本当によく見ないとわからない。使い込まれた感じだから、質が良く壊れないんだろうが、よくこれを普段使いできるものだ。
「はい、開けてください」
三井選手が促すと、深津選手は渋々といった感じでリュックを開けた。
「はい一個めー」
「スマホピョン」
「あ、このピョンてやつはこいつのクセだから気にしないでくださいね、大学の時からです」
「高校だピョン」
あっそうなんだ。やっぱりクセ。
「はーい。スマホケースはどこのですかー」
「どこの?多分100均」
スマホケース ¥100-のテロップ。
高級リュックとの差がすごい。本人はそこまでブランド志向じゃないんだろうことがわかる。シンプルなクリアのケースだった。
「おま、充電2%しかねえじゃねえか」
「いつも充電し忘れるピョン」
「おい撮影終わるまで充電させてもらっとけよ」
──いいですよ。
三井選手が、スタッフに深津選手のスマホを手渡した。案外ズボラな人なんだろうか?
そして撮影中なのに、このゆるさ。そこが良いんだろうけど。
「次、これは?」
三井選手がバッグの中から黒い財布を(勝手に)取り出した。
「財布。ほぼ使わないピョン。カード派だから」
「あー最近はそうだよな」
ウォレットは普通の二つ折り。名の知れたレザーブランドのものだが、そこまでお高いものでもない。デザインが洗練されていてシンプルだがよく似合っていた。
──深津選手はカード派。
「これは?」
ジャラ、と音を立てて出てきたのはカギの束だった。なんか多い。
たくさんのカギは、これまたレザーのセンスの良いキーホルダーについている。
テロップにブランド名が出されている。その名前から、イタリアのブランドであることがわかるが私は知らなかった。
男性モノだが落ち着いた色味と特徴的なデザインのレザー。金文字で、「No.9」と刻印されていた。なんの数字かな。深津選手の背番号かな?知らないけど。
「てか、カギ多くね?」
三井選手も私と同じことを思ったのか、そう言って深津選手の顔の高さに持ち上げた。
「家の鍵、車の鍵、ロッカーの鍵、あと…」
「あと3つくらい鍵ついてんぞ」
「あー、実は別荘を持ってて」
「は?」
──別荘?
えっ別荘!?
「はい、アメリカに」
「聞いたことねえよ別荘って」
「言ったことねーピョン」
深津選手と三井選手の中の良さそうなやりとりを聞きながら、バスケ選手って稼いでるんだなあと驚く。別荘くらい持ってても驚かないが、それがアメリカというのがまた規格外。私もそれなりに稼いでいるが、スポーツ選手は本当に世界が違うのかもしれない。
「そこの鍵ですピョン。あと飼い犬の鍵」
──飼い犬。
「お前それ…」
三井選手が何か言いかけて、やめた。なんだろう、やっぱりこの2人しか知らない何かがありそう。昔からの友人だと言うから、そんな事があってもおかしくはないんだけど。
──深津選手は犬を飼ってるんですね。
「いや、猫派です。…で、あとはこの辺が、練習の時に使う…」
あからさまに話を逸らした深津選手が、愛用のアイシングスプレーやプロテインを紹介しているのを聞きながら、ミステリアスな人だなあと私は思った。
持ち物がちぐはぐだったり、言動も犬を飼っているのに猫派といったり、変わらない表情なのも相まってさらに掴めない。
「おっ、香水あんじゃん。深津こういうのつけるんだな」
三井選手がまた勝手にリュックの中を漁って、メンズの香水を取り出した。すごくオシャレというわけではないが、センスの良さは今までの私物から垣間見えていたので、香水のセレクトはなんとなく納得だ。
アメリカの香水ブランドの名前がテロップで映し出される。
このブランドは、知る人ぞ知る、というものだ。
私は、職場のアメリカ人上司がこのブランドをつけているから知っている。深津選手の香水の品番は、スパイシーで男らしい香りのものだったはず。
「ん?これは…まあ、お気に入りだピョン」
深津選手が少し微笑んだ。分かりにくい感情の変化だが、雰囲気が少し優しくなった気がする。
「良い匂いだなあ、あんまり深津からこの匂いしたことねーけど」
三井選手がシュッと香水を空中に吹いた。
その瞬間、深津選手が一瞬少し頬を染めたような…。
「普段はつけないピョン、眠れない時とかにつけたら落ち着くから持ってる」
次に深津選手が話し出した時には、その顔はもう普通だったから、先ほどのは私の思い違いだったのだろう。
それでも、深津選手にとって大事な香水であることは間違いなさそう。
「持ち物以上だピョン!」
その後何点か紹介した後に、深津選手が空っぽになったリュックの中を見せながら高らかに言った。
「変なもの入ってなかったでーす。深津のファンの皆さんごめんなさーい」
「なんで三井が俺のファンにそんなこと言うピョン」
「いやお前の私生活謎すぎて教えてくださいってオレにまでDM来るんだよ」
「教えません」
「今日はアメリカに別荘がある事と、つけてる香水が分かったから良しとするか。もうオレにDMしてくるなよ」
三井選手がカメラに向かってそう言った。
「あの香水は俺はつけてない」
えっ、俺はってどういうこと?
なんだかまた不思議な言葉をぼそっと言った深津選手が気になった。まるで、自分のものではないような。
──深津選手の新たな一面が知れたところで、締めてください三井選手。
「オレかよ!」
「三井が司会だピョン」
「しょうがねーな。えー、じゃあ、このチームでやりたいことを深津さん、お願いします」
「リーグ優勝します!」
「雑だな」
「三井も雑だったピョン」
──雑な三井選手については、詳しくはサプライズコーナー1の動画を見てください。
小さくテロップが出た。最初のサプライズコーナーは三井選手だったのかも知れない。関連動画にも出てきた。
「荷物に変なもの入ってなくてよかったです。これからも応援してください。」
「よろしくお願いしまーす!来週、試合出ますんで見にきてください」
2人が声を揃えてそう言って、動画は終了した。
変なものは入ってなかったけど、荷物の少ない男性の持ち物という感じがした。センスのいい私物も何点かある。レザーのキーケースは、オシャレだった。
あのブランド名は知らないから、検索しよう。
ついでに、深津選手面白そうだしもうちょっと調べようかな。バスケ興味なかったけど、この2人がバスケする時はどんな感じなのか、ちょっと興味ある。
動画サイトを一度閉じようとした時、その動画についたコメントが目に入った。
『香水、沢北栄治選手と同じやつだね』
動画が配信された、と広報から連絡があってからずっと嫌な予感がしていたのが、的中した。
「聞いてないんですけど」
不服そうな声でそう言うのは、遥か遠い地から電話をかけてきている恋人の沢北だった。
「お前、見るの早すぎるピョン。ファンか」
「ファンですよ!オレが深津さんの1番のファンです!」
「ファンは本人と毎週電話したりしねーんだピョン」
そう言うと、しょうがねーじゃんと返ってくる。これは、多分唇尖らせて拗ねてるな、と深津は頭の中で沢北の顔を想像した。納得できない時によくやる表情。怒ってるくせにその顔はいつも可愛かった。
「三井さんとあんなに仲良いなんて」
「仲良いって…そりゃ大学一緒だったから仲も良くなるピョン」
「前のチームにいた時はそこまで連絡とってなかったじゃん」
「同じチームでプレーしてる今はチームメイトなんだから、仲悪かったらやばいピョン」
「でもあんなに見せつけなくてもお」
見せつけたつもりはないのだが、深津がチーム移籍して初めて出演したチームチャンネルで、三井と仲良くしていたのが気に食わないらしい。
「別に、お前が心配するようなこと何もないピョン」
「確かに、プレゼントしたリュックをまだ使ってくれてるのは嬉しかったけど」
「あれ、質が良くてお気に入りピョン。ありがとう」
「…オレの香水持ってるのは知らなかった」
「……」
そこは突っ込まれたくなかった。
深津にとって、離れて暮らす恋人の香りというのは絶大な癒しをもたらすものだったから、沢北本人には言わずに自分で買って使っていたものだったのだが、こうやって明るみに出ると恥ずかしい。
沢北の匂いが恋しいと言っているようなもので。
「言ってくれたらオレのあげるのに」
「いや、別にそこまでするものじゃないピョン。それに…」
「それに?」
「お前の匂いの方がいいピョン」
電話の向こうが、一瞬静かになる。
言ってから、まずかったかなと思った。ただ、深津が言ったのは事実で、同じ香水を振っても沢北の体から香る時とはもちろん違って、何か物足りなかった。
「ハーーー、深津さん」
沢北の声が一段低くなってため息をつくから、気持ち悪い発言だったかと深津は後悔した。が。
「会いたくなるから可愛いこと言うのやめて」
真面目な声に、深津は思わず吹き出した。
「これだけで可愛いとか、判定ゆるすぎピョン」
「あっ馬鹿にしてますね?オレは年中深津さんに会いたくて恋しくてしょうがないのに!」
今度は、怒りながらも緩んでいる沢北の顔が目に浮かんだ。
深津も同じ気持ちだ。離れて暮らす恋人のことを思い出して、恋人と同じ香水を買い、持ち歩いてしまうのは同じ理由。
「俺も恋しいピョン、栄治」
電話の奥でガタガタ、と物音がした。
「もー!深津さん反則!」
ベッドから落ちた!と言う言葉に、深津も笑った。
遠距離でお互いを想い合うのは苦労する。けれども、こうやって小さな繋がりを大事にしながら愛を伝えるのも悪くない。
沢北と離れて数年、最近の深津が実感している事だった。
また一緒に、同じベッドで眠る時。
あの愛しい匂いが深津の体を包み込むのを想像する。
同じくらいの恋しさと、距離がもたらすもどかしさを電話で消化しながら、遠い地の恋人を思う。
「一成さん、大好き」
その声と言葉が、深津を1番癒してくれる何よりのもの。