プロローグ
今でも目の奥に焼き付いて離れない、あの日の記憶。
驚いたように目を見開き、咄嗟にこちらへと伸びてくる白い手と、ゆっくりと地へ沈んでいく細い影。手は届かない。声を出すこともできない。ゆっくりと沈んでいくその、成人男性にしては小柄な身体は、取り返しのつかないところまで行ってしまう。
深く、紅く、落ちていく。皮肉なほどにさわやかな風と町を颯爽と照らす太陽だけが「彼」を取り残して時の中を泳いでいた。
1話
セミの声に顔をしかめながら、使い古されたドアノブに手をかけると、ギィギィという耳障りな音とともにひんやりとした空気がシャチの体を包み込んだ。いつもと何ら変わらない職場の風景。今日でお別れをする、大好きな人との思い出がたくさん詰まった場所。そんな日常の一コマ。ただ一つ異彩を放つのは、花瓶。
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