その熱は誰のせい?――今日の練習、行けそうにない
――悪い
Fairy AprilのグループLINEに表示されたのは、一真くんの体調不良の連絡だった。
今日はもともと全員で練習の予定で、一足早くスタジオに入っていたオレたち三人は一緒にスマホの画面を見つめていた。
「一真くん、まだ治らないんだ」
美郷が心配そうに呟く。
「一真くんがいないとはいえ、貴重なスタジオ練習の機会は逃したくないよね。今日はリズム隊の精度を上げることに集中しよう」
「なんか今の葵陽すげーリーダーっぽい! まあ確かに少しでもかずまっちとの差を埋めないとだしなー」
一真くんのお陰で、最近のオレたちにはいい緊張感が生まれている。
一真くんに追いつきたい、演奏のレベルを上げたい……口には出さなくてもメンバー皆がそう感じているのがわかる。
それでも一番練習しているのは一真くんなんだけど。そんな所を本当に尊敬しているんだ。
だから、練習に出られないの、本人が一番辛いだろうな……。
――オレたちだけでも練習頑張るから、ゆっくり休んでね。お大事に!
――もし欲しいものがあったら帰りに買ってくから、遠慮なく言ってね!
一真くんお見舞いとか好きじゃなさそうだな……と思いつつ、何か力になりたくて、こう返信してみた。ちょっとお節介だったかな。まあ嫌ならスルーされるだろうし、いいかな。
「葵陽ー! こっち準備できたぞー!」
一真くんへの返信で思い悩んでいる間に、吉宗がベースのセッティングを終えたみたいだ。
「葵陽、すごく真剣な顔で画面見てたよ、どうしたの?」
美郷にそう指摘されて、なんだか恥ずかしい。
オレは、一真くんが好きなんだ。
✳︎
ギター抜きの練習は、普段は気にならない問題点……主に吉宗の細かいごまかしが浮き彫りになったりして、すごく有意義なものになった。吉宗は音を上げていたけど、集中的に練習できて苦手な部分も克服できたみたい。
こんな練習もたまにはいいなあ……なんて考えながらスマホを手に取ると、一真くんからの返信。
――食い物、あると助かる。住所は……
――金は払う
――時間があったらでいい
「葵陽ー! 俺と美郷はこの後楽器屋寄ってくけどお前どうする?」
「あっ……今日はちょっと用事があるから帰るね。また明日!」
隠すようなことじゃないけど、グループLINEじゃなくてオレ個人宛に送ってきた一真くんの気持ちを汲んで……それだけじゃなく、なんとなくオレだけの秘密にしたくなったのはどうしてだろう。
――わかった! 今から行くね!
すぐにそう返信して、一真くんの家に急いだ。
✳︎
買い物を済ませて教えてもらった住所を目指すと、一人暮らし用の小さなアパートが見えてきた。ここに一真くんが住んでるんだ……。
緊張しながらインターホンを鳴らすと、オレの好きな人が出迎えてくれた。
「葵陽、わざわざ悪かった。……ありがとな」
初めて見るスウェット姿が新鮮で少し胸が高鳴ったけど、あまりにも顔色が悪くて心配になる。
「……あんまりじろじろ見るなよ。風邪感染ると悪いし、上がらずに帰れ。金は今度払うし何か奢るから」
「え、でも……」
気遣ってくれてるのはわかるけど、少し寂しい。……なんて考えていたら。
ぐー
鳴り響く、一真くんのお腹の音。
「もしかして、一真くん何も食べてないの!?」
「……普段外食かコンビニ飯だし、……家に食い物がねえ……」
そう呟くと、一真くんは力なくオレにもたれかかってきた。
一真くんがオレに頼みごとなんて、よっぽどのことだとは思っていたけど、ここまで深刻な事態だったなんて……!
「ご飯の準備するから台所貸してね!」
そう言ってオレは、一真くんの部屋にお邪魔することになった。
✳︎
「料理までさせて、悪い」
お粥を温めて器に入れると、ベッドで横になっている一真くんが話しかけてきた。
「これレトルトだし、料理って程じゃないよー」
一真くんの家にお米があるかもわからないからレトルトにしたんだけど、もっとちゃんとした料理にすればよかったかな? とはいってもオレは肉を焼く位しかできないし、流石に病人に焼肉はちょっとね。
「熱いから気をつけてね」
「……美味い」
ベッドに座った一真くんの横に座る。二日ぶりの食事だ、なんて言いながら美味しそうにお粥を食べる一真くんの横顔を見ていると、どうしようもなく胸がいっぱいになる。
落ち着いて部屋を見渡すと、ギターがすぐに手に取れる場所に置いてあったり、他のバンドのスコアや書きかけの楽譜が沢山あったりして、努力家の一真くんらしい。
そして片隅に飾ってあるアリエスのぬいぐるみを見つけて思わず顔が綻ぶ。この決して広くない部屋いっぱいに詰まった、一真くんの大切なもの。オレたちもその一部になれてるのかな?
「スイカもあるから、切ってくるね。」
「スイカ……!」
一真くんの表情が少し明るくなった。
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「今日の練習、行けなくて悪かったな」
「風邪だもん、仕方ないよ。吉宗なんて、かずまっちとの差を埋めるぜーとか言いながら張り切ってたよ」
「あの野郎、そういうことはミスしないで弾けるようになってから言えよ……」
「美郷のリズムがちょっと走る癖も、意識して随分抑えられるようになったみたい」
「お前の方でも周りと呼吸合わせる感覚掴めよ」
二人でスイカを食べながら、今日の練習の報告をする。
「一真くんがいないと、普段どれだけ一真くんのギターに助けられてるかわかるねって三人で話してたんだ」
「ようやく気付いたのかよ……」
そう言いつつも一真くんはどこか嬉しそうだ。
やっぱり、音楽の話をしている時の一真くんが一番楽しそうで、かっこよくて、好きだ。
……早く一真くんのギターに合わせて歌いたいな。
✳︎
「本当に感染ると悪いし、そろそろ帰れ。ボーカルに風邪なんてひかせられねえ」
「うん、長居してごめんね」
「それじゃ、次の練習は行くから。お前も帰ったら手洗ってうがいしろよ」
「お母さんみたい」
「うるせえ」
名残惜しいけど、そろそろ帰らなきゃ。
「……スイカ」
「え?」
「その、嬉しかった」
少し照れたようにそう言った一真くんがなんだか可愛くて、不謹慎だけど、本当に不謹慎だけど、頼ってもらえて嬉しいって思っちゃった。ごめんね。
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あいつらと出会ってから、格好つかねえことばっかりだ。
葵陽を見送り、再びベッドに横たわる。
熱で身動きも取れず、食い物も底をつき、正直途方に暮れていたところに、葵陽からの見舞いの申し出。
前の俺だったら頼るなんて選択肢はなかっただろう。
人前に立つ自分は常に完璧でありたい。
そう思い始めたのはいつからだろうか。
そうじゃない姿を見せたら……周りの奴は幻滅して離れていくだろ。でも――
葵陽はそうじゃないって、一緒にいると嫌が応にも理解させられてしまった。
いつも他人の「シアワセ」の事ばかり考える、底抜けのお人好し。
もちろん吉宗や美郷も俺が風邪で弱っていたところで別に幻滅したりはしないだろうが……いや、吉宗は延々とネタにはしてきそうだが……。
ともかく、熱で朦朧とした頭に浮かんだのが葵陽のあの――あの笑顔だったなんて、本当にどうかしている。
さっさと治してギター……触らないとな……。
✳︎
「お、かずまっち完全復活って感じだなー?」
次のスタジオ練習の日。俺の風邪はすっかり治り、いつも通り吉宗が軽口をたたく。
「……休んで悪かったな」
「あら、素直!」
「うるせえ。俺がいない間少しは上達したんだろうな?」
「モチのロンよ! 本気見せちゃうぜー?」
葵陽が言ってた通り、吉宗の細かいごまかしは大分マシになり、美郷のリズムも安定してきた。ボーカルとの息も合ってる。
「どうよどうよー? 俺たち才能開花しちゃっただろー?」
「調子に乗るな。……でも随分良くなったんじゃねえの」
「葵陽の提案でね、一真くんが来るまでに怪しい部分は徹底的に練習しようって。すごく的確に指示してくれたんだ」
「美郷……そんなことないけど、でも、少しでも一真くんに追いつきたくて、皆で頑張ろうねって」
頼りないリーダーだと思っていたが、少しは自覚が芽生えてきたらしい。
✳︎
「この前はありがとな」
練習帰り、葵陽に声をかける。
「どういたしまして。病み上がりだし、あんまり無理しないでね」
「ああ。……お前、変わったよな」
「え?」
「練習仕切ったりとか」
「えへへ、一真くんの見よう見まねだけど……。でも、オレたちがちゃんとしなきゃ、一真くん、安心して風邪のひとつもひけないもんね」
「葵陽……」
「それにね」
「?」
「今までは楽しく演奏するのが一番大事だと思ってた。でも、上手になればなるほどもっと楽しくなるんだって、一真くんが教えてくれたんだ。美郷と吉宗もきっとそう思ってるはずだよ」
一丁前のことを言う。
「デスティラール……頂点はこんなもんじゃねえぞ」
「うん、わかってる。一真くんが目指す場所はとんでもない高みにあるって。でも……隣を歩いていきたいんだ」
「……百年早えよ。まあ、志は良いんじゃねえの」
その言葉があまりにも真っ直ぐで。
少し頬が熱い。これは病み上がりのせいか、それとも――