死という概念がなくなったらどうなるのか「では、今日の授業はここまでです。速やかに退出するように」
4限の授業が終わり、放課後の時間。開いていたノートPCをカバンにしまい、俺はいつも通り部室に向かった。
「おいハック。今日はボクと一緒に幻影遊園(ファントムパーク)散策と洒落こもうではないか」
「……」
「聞いているのか?なぁ、ハック?」
気づいたら真後ろにいたサブローくんが俺の肩を叩いた。
「あ、サブローくんいたんすね」
「ボクは幽霊(ファントム)と会話したい訳じゃないんだよハック……」
なにか気の利いた事を言ったんだろう。でも、その話はいつものように右から入ってそのまま左に抜けていった。
この通り言っていることは理解していないが、雰囲気からなんとなく何かしらに誘われていたのはわかる。まぁ、どちらにせよ面倒くさいので断っておく。
「俺部活っすから、今日は付き合えないっす」
「フッ……そうか、行くのが怖いんだな……?」
サブローくんの挑発を無視して部室へと足を進めた。
「そうかそうか、怖いのか……なら、仕方ない、な……」
少し寂しそうな余韻を残してサブローくんは俺についてくるのをやめた。たまに部室まで来るが、面倒くさいので助かった。
なんやかんやありつつも部室に到着し、引き戸のドアを開けた。
タブーさんは武器を磨き、キリンさんは奥の会議スペースでのんびり本を読んでいた。
「今日は調査しないんすか?」
「……今日はこれを読んで過ごすつもりだ」
「珍しいっすね。何読んでるんすか?」
キリンさんがエロ本以外の本を手に持っているのはなんだか新鮮だ。月刊モーかと思いちらりと覗いてみたが、文字がびっしり書いてあるような本だった。
「"死という概念がなくなったら"……っすか?」
「あぁ、そう、それが本のタイトル。こういうの動画のネタになるかと思ってさ~」
「ふーん。一応部活らしいことはしてるんすね」
「ハックもなんか調べたらどうだ~?」
「俺は月刊モーを読むっす」
俺は本棚からモーの旧刊を取り出し、ネッシーのページを開いた。いつも読んでいるページだ。別段内容に変わりはないけれど、何故かこのページが好きだと思う。
ソファの空いているスペースに腰をかけ、チョコポールを口に運びながらじっくりと文字を追った。そこでふと、ある言葉が目にとまった。
「幻の……未確認生物……」
「幻」の字を見て何故か「ファントム」という言葉が頭をよぎった。どうしてだろう、普段使わない言葉のはずだ。
最近どうも、こういう風に妙な単語が思い浮かぶ現象が起こる。俺の知らないうちに頭に練り込まれているような感覚だ。これも一種のオカルト現象だろうか?もしくは幽霊?
「キリンさんって幽霊いると思います?」
ふと、キリンさんに話しかけたくなって声をかけた。
「は?急になんだ?……まぁ、いた方が楽しい気はするな」
「いるとは断言できないんすね」
人間は死んだらどこに行くのか。それは人類永遠の謎で、死んだ人にしか分かり得ないこと。
「ゆ、ゆーれいなんているはずないだろ!」
「まーた怖がってんのかタブー?」
不自然に会話に入ってきたタブーさんに、ニヤニヤしながらキリンさんは聞いた。
「なんだよコノヤロー!ぶっバラしてやる!」
タブーさんは顔を真っ赤にしてチェーンソーを振り回した。そちらから会話に入ってきておいて理不尽この上ないが、こうなってしまうと誰が怒らせた関係なく襲われる。俺も逃げなくてはならない。
「ちょっとタブーさん!落ち着くっす!」
「そぉんなに怖いのかー?」
「あぁ!もうっ!キリンさんも煽らないでくださいっす!」
「ギャパ~~~!!!」
部室内で生死をかけた追いかけっこが始まった。
オカルトや都市伝説の調査するには命のリスクを伴う。ただ、常に崖っぷちというわけではない。
オカルト研究部員としてあまりこういうことは言いたくないのだが、怪奇現象や未確認生物については事実証明できないのがほとんどである。調査した結果、人々を驚かせたり教訓として語り継ぐために捏造されたものばかりだった。
あるいは科学的に解明されており、身も蓋もない論理的な解説がなされているものもある。
しかし、ときどき"ホンモノ"を掘り当てることがある。キリンさん風に言うとこれが超エキサイティングゥ~なのだ。
ホンモノに出会うということは、それはすなわち死と隣り合わせるということ。
――死という概念がなくなったら?
死の恐怖に怯えず、オカルトを楽しめるのだろうか?……いや、死ぬことができないのであれば、俺は一生「死んだあとの世界」という最大級の謎には辿り着くことはできない。
キリンさんはいったい、何を考えてあんな本を読んでいるのだろうか?
あれこれ考えて眠れない夜を過ごし朝になった。今日も大学へと向かう。
「よおハック、奇遇じゃないか」
道中、曲がり角で死角になる場所からサブローくんが現れた。奴は奇遇と言うが、俺からしたら必然だ。
「サブローくん」
「鎮魂歌(レクイエム)だ」
「……偶然を装ってるのは丸見えっすよ?」
俺はサブローくんの持っていたあんパンと牛乳を指さした。
「……?それがどうした」
「いや、完全に張り込みじゃないっすか。きっとカバンの中にはカツ丼が入っているっす」
「何故それを!?」
驚くサブローくんに俺はため息をついた。
「俺の口を割らせようとしたって無駄っすよ。カツ丼なんかで揺らぐような精神じゃないっす」
「クッ……別に言質を取るとかそういうわけではない!カツ丼はボクが食べるために買ってきたんだ!ただ、貴様に用がないわけではない……」
サブローくんはそこで口をつぐんだ。
少し俯いてもにょもにょしたかと思えば、再び顔を起こして真面目な顔付きで口を開く。
「……人間が生まれた瞬間から決まるのは、最後は必ず死ぬってことなんだ。いいか、それを忘れてはならない」
「……は?」
その瞬間、道の先から爆発音がした。
「なんなんすか!?」
「車の衝突事故だ。かなり激しいな」
「……こうなること知ってたんすか?」
俺がそのまま先へと進んでいたら一溜りもなかったかもしれない。サブローくんと話したことによって無傷でやり過ごせた。
「運命を変えてみたいと願ったら夢で未来を教えてくれたんだ」
「予知夢……?」
サブローくんは小さく頷き、俺に歩み寄った。
「ハックの死ぬという運命をボクが変えたんだぞ?」
「……別に、あんなのに俺は巻き込まれないっす。……でも一応感謝はするっす」
俺は言葉を発するのに少し躊躇った。
「……ありがとうございまっす」
「……!」
サブローくんの瞳がキラリと煌めいた。
「礼には及ばないさ……」
心底満足した様子でそう言うのだった。
部室に着くとキリンさんは今日も先に来ており、昨日と変わらず例の本を読んでいた。
「おはようございますっす。早いっすねキリンさん」
「よぉハック。なんとなく落ち着かなくってさ~」
「怖いことでも書いてあるんすか?」
「いや別に~」
キリンさんは取り乱してもいなかったので、本が怖いというわけではなさそうだ。でも、なんというか、少し違和感を覚える。
「なぁ、男ってさ、生命の危機に瀕しているとき、本能的に性欲が高まるらしいぜ」
「はぁ……急になんなんすか……」
俺は心底ため息をついた。
「生き物は子孫を繁栄させるために生命活動を行っているっす。人間には娯楽があるから必ずしもそうとは言えないっすけど、本能自体は子孫繁栄を求めているはずっす。だから、死の危険が迫ったら子種を残そうと本能が働きかけるんすよ」
「じゃあ、俺の性欲が強いのって、死の危険が迫ってるからなのか!?」
「死の危険が迫っている自覚がない時点でその可能性はないっす……」
「な~んだ面白くねぇの~」
俺の発言に、キリンさんはつまらなさそうに口をとがらせた。
しかし、俺はある可能性が頭をよぎって少しだけ焦っていた。もしかすると、キリンさんには自覚がないだけで、本能的に危険を察知しているのかもしれない。
キリンさんはどうして、「死という概念がなくなったら」なんて本を読むんだ?
「お~いハック、どうしたんだよ?」
「キリンさんって死ぬの怖いんすか?」
「そりゃお前、あったりめーだろぉ!?」
まるで当然かのようにそう返される。でも、あのキリンさんが常に死の恐怖に怯えているなんて思えない。そう、あのキリンさんが。
「……このサークルの活動、楽しいっすか?」
「なんでだよ?」
「割と命懸け……だから……」
「楽しいに決まってんだろ~!?むしろ生きてる実感が湧いてくるからな~」
「怖くはないんすか?死ぬの怖いんすよね?」
「おいおい、今日のハックは変だなぁ?どうした?そんなに俺のこと気になるのか~?」
キリンさんは困ったように眉を下げた。
この人はいつだって自然体で、上手に嘘がつけない。死ぬのは怖いけど、このサークルでの活動を楽しんでいるのは本当なんだろう。
でも、俺が感じるこの危うさは何?
「キリンさん」
「おう、なんだよ改まって……」
「道を踏み誤らないでくださいっす」
「……本当にどうしたんだハック?」
奴の言葉を借りるようで癪だが、キリンさんが"死という概念"を本当に消してしまったら大変なのである。俺が止めなきゃならない。
「キリンさんの死という運命は俺が変えるっすから」
キリンさんは理解できないというような表情で渋々頷いた。
「なぁ、ハック」
「今日はなんすか」
「ボクはひとりで幻影遊園(ファントムパーク)へと赴いた。どうだ、すごいだろう?」
「ファントムパークって……あぁ、今開催してるプロジェクションマッピングの展示会っすか?あんなカップルの巣窟みたいな場所にひとりでって……まぁ、ある意味すごいっすね」
「ふん、そうだろう!」
演技がかった口調で大仰に振る舞うサブローくんに、共感性羞恥を感じて。居心地が悪くなる。
「それで、苦楽を共にした戦友であるハックには土産が必要かと思ってな……」
「お土産っすか?」
おもむろにガサガサとカバンを探ると、真っ黒な小包を取り出した。ストラップか何かであろうか。そもそも、デジタルアートの展示会など、何がお土産になるのだろう。
サブローくんは小包を俺の方に差し出した。
最終更新ここまでorz