緑谷出久が雄英高校に戻ってから数週間後、曇り空を晴らす勢いで皆が必死で頑張っていた。
それは爆豪勝己も同じで必死に変わろうとしていた。
「デッ、出久、今いいか」
日が沈み、橙に染まる校舎で勝己が呼び止める。
「何?」
出久が振り返った瞬間ガシリと頭を捕まれとっさに目を瞑る。
「髪、長い」
「っあ。本当だ、切ってる時間が勿体なくて」
今度は逡巡し触るぞと宣言してからくるくると毛先を弄ぶ。かと思ったら髪の流れに逆らうようにかき上げたり、光の反射具合を眺めて吟味する。
スッと手を離すと共同スペースへ向かうように目で促す。
椅子に座らされ、あれよあれよとてるてる坊主のようにされる。
スッと散髪ハサミを取り出して切れ味を確認するように2、3度手を開いて閉じた。
「切ったる。いいか」
聞くように促すように問いかける。
「逆に良いの?勿論」
出久はカット台に乗せられた犬のようにまじまじと勝己を見つめた。
勝己が出久の髪を梳かす。太く柔らかな髪はブラシに従って左右に分けられていく。
出久は後頭部を梳かされるとくすぐったいのか肩を竦め、気持ち良さそうに目を細めた。
「笑顔で救けるヒーローになんだろ。笑顔見えるようにしねぇのかよ」
前髪がシャキリと切られる。
はらりと鼻に落ちた髪を見ながらそうだね、と噛み締めるように呟いた。
ハサミで切る合間途切れ途切れの会話をした。出久は勝己の瞳を鏡越しに見つめていた。視線が交わる度に小さく鼓動が速まった。
その後も勝己は出久に対し尽くした。出久の一番の理解者である彼は言葉にしなくても彼の求めることをした。
出久は最初違和感がありその都度椅子から転げ落ちたり顔を腕で隠したり忙しなかったが、ある日の夜晩御飯で勝己がドレッシングを取ってくれたとき一言目に自然とありがとうと言えた。勝己も出久も一瞬瞳を瞬かせた後ふと笑ってクラスメイトとの会話に戻った。
幼稚園の頃から敏い勝己は小さいことに良く気がついた。泣いてる子を見つけたら邪魔だ!と声をかけたり先生のハサミが落ちてたら片付けも出来ないのか!と先生に渡したり。乱暴で利己的ではあったがみみっちかった。
そんなある日幼稚園で出久は様子が可笑しかった。ふらふらと歩いたり座り込んでボーッとしたりしていた。
「何してんだ?」
「かっちゃ、僕眠い」
出久は目を擦り欠伸をする。
「寝るな!ヒーローごっこするぞ」
出久の手を引っ張って立たせようとする。
「あっつ!お前……個性でたのか!熱くなる個性?いや手から火を出す個性か!」
目を爛々とさせ両手で出久の手を包む。いつもより二、三度高い。
「熱くなるだけ?あんまりヒーロー向きじゃないな。もっと熱くしてみろ」
勝己がぎゅっと出久を抱き締める。
「冷たくて気持ちいい……」
真っ赤なほっぺたを勝己のほっぺたに付ける。出久の息が少し荒い。
「お前、風邪引いてんのか」
少ししてから勝己は気付いた。
すぐさま先生に知らせめーわくなんだよ移すな風邪菌!と迎えに来た引子と出久を見送った。
(そっか、元々そういう人だった)
出久は幼稚園の頃を思い出しながら、自室の布団にくるまっていた。
(君は変わらない。僕の見方が変わっちゃっただけなのかも。切島くんの方がきっと知ってる)
棚の端から十分の一勝利のオールマイトフィギュア、一等くじC賞サマースタイルオールマイトフィギュア、usiコラボオールマイトランダムアクリルキーホルダー。順々に眺める。
(でも)
枕を抱き寄せる。
(どうして僕は飛び上がるくらい嬉しいのに少し寂しいんだろう)
虐められていたかったわけではない。断じて。ただ勝己の赤い瞳に映った自分は遠く感じた。
(君にとって一緒にやってる訓練も髪を切ってくれたことも贖罪だとしたら?嫌いな人の髪でも切るの?僕らの関係ってそれだけのこと?)
「違うだろ」
勢い良く起き上がり部屋を出た。
深夜一時。出久が勝己の部屋を小さくノックする。起きてなければ諦めようと考えていた。
三秒後勢い良くドアが空いた。瞬時勝己は出久の両腕を掴み壁に叩きつける。
「がっ」
「何」
何してんだよ、こんな時間に。なんか用か。
「話したいことがあるんだ、部屋に入ってもいい?」
勝己は部屋まで力を弱めないまま腕を引いた。鍵を閉める。
「腕」
「いつまた手紙残してくとも分からねぇからな」
嫌みたらしい言葉を真面目に吐く。
「もう、しないよ。誓う」
「出久の約束は信用ならねぇ」
ギロリと睨む。
「俺が勝つためになんでもするようにお前は救けるためなら約束も破る」
出久は肩をピクリと動かし口を引き締める。
「図星だろ」
「そう、だね」
ケッと言うと出久に次の言葉を促す。
「そういえば手紙読んでくれた?」
「破り捨てた。直接言え」
出久を強めに蹴る。
「いて…。話なんだけど」
部屋の空気がヒリつく。勝己の緊張が火花を浴びせるように出久に伝わってくる。
「この戦いが終わったらアイスを半分子しよう」
「は?」
緩んだ勝己の手を出久が握る。
「今は余裕無いから。あと僕の好きなカツ丼屋さんに行こう、そこはエビフライと唐揚げも美味しいから二人で分けよう」
爪を立てるように強く握る。
「君の好きなお店も行きたい、登山も初心者向けのコースでお願いします!あとオールマイトコラボカフェも行きたい!」
ぺちん。
勝己が出久を打った。
「真夜中に話があるっつうからわざわざ招き入れてやったっつーのに……。ドアタマから爆破すっぞ!」
「かっちゃんの料理も食べたい」
ぺちん。勝己が出久を打った。
「僕もりんご飴作るから、何なら辛いりんご飴作るから」
「やめろ、料理初心者がアレンジ加えんなカス」
勝己は往復ビンタを食らわせた。
出久が勝己の両手を押さえ込んだ。
「君と半分こしたいんだ」
「轟とでもすればいいだろ」
勝己の視線がさ迷い、落ちる。出久は首を振った。
「飯田でもいいだろ」
「違う」
「麗日でも」
「君がいい」
勝己が肩を震わせる。
「君と目が合わせられたら、最初はそれだけだった。でもそんなの嘘だ。本当は君を越えたくて競い合いたかった、もっと」
ギラギラとした深い緑の瞳が勝己を焼く。出久の眼差しに反射的に目眩がして、鳥肌が立つ。
出久の瞳は雑木林を思い出す。
夏の暑い日1人で登山した。日差しを遮る木々は心地よく、山道はどこもかしこも新緑で囲まれていてふと木々の間の暗がりに目が行った。山の一部になったような、結局山にとっては異物であるような感覚。安心と緊張が一重になった空間。
登山に行くと必ず出久を思い出す。
木漏れ日に目を細めるように、ふと来た道が分からなくなるように。喉がずっと乾くように。
(お前からしたらそうなんだろう。でも俺はずっと嫌だった。お前が俺を見るほど自分の弱さを知って、目を合わせなかったのはお前だ)
「クソッ目を合わせなかったのは出久だろ!」
「っ!……君の近くに、ずっと居たいって思って」
「お前は俺なんか見てなかった、お前は俺と並ぶ未来の自分を見てた」
「違う、僕はずっと君を見てたよ。
でも君は僕を遠くに眺めてた。それは君が僕に負い目があるからだと思った」
「そうだ」
「それでもいい、君がそうありたいなら。だから僕が走ってくよ」
出久が2歩前に進む。
「君が見つけてくれたように」
「っ!お前はそうやって俺の全部を掬いとる。俺の最低なとこも弱いとこも」
勝己の表情がスッと消える。視線をさ迷わせ出久の腰を力無く掴む。
「かっちゃんはずっと眩しくて目が離せなかった」
出久は彼の静かな眼差しを愛しそうに眺め、勝己の頬を優しく擦る。
「罪とか償いだけじゃないんだよ、僕達。僕はね、君のことになると熱くなってしまう、君は僕じゃないのに」
「告白か?」
「からかわないで」
出久は照れ臭そうに下手くそに笑う。
「アイスもクソみてぇなことも半分子、最高なことは2倍ってか」
「からかうなってば!」
「実際アイスみたく上手く出来てねぇ、クソみたいなことはお前といると3倍になるし最高なことは半分子だ」
勝己は拗ねた子供のように床に視線を落とし足の指で絨毯を撫でる。
「…っ、僕はそれでも!」
勝己が顔を上げる。
「誓います」
勝己は目蓋を閉じ出久の手を掴んだ自分の手の甲にキスを落とした。
出久にはスローモーションに見えた。窓から覗く夜空を背に勝己が屈む。目蓋を縁取る星屑のような睫毛が自分の手の甲を優しく擽る様を眺めていた。
「出久の返事は要らねぇ」
「え、ちょっと!」
出久が驚きその場でずっこけた。勝己が腕を持ち立たせて外に放り出す。
「ななな何を誓ったの」