ラブラブカップル♡してたら致した翌朝に前回の人生を思い出して頭を抱えるテスデイ 窓からは日が差し込んでいた。朝とは言い難い時間ではあるが、天気は晴れ、青と白のインクでざっと描きあげたような6月の空は少々目に痛い。そんな眩しさは勝るものの、清々しい一日の始まりに似つかわしくなく、男ふたりはベッドの上で頭を抱え唸っていた。
寝室のベッドで唸り声を上げているのはテスカトリポカとデイビット。彼らは恋人であり、ここらではちょっとした有名人だった。その『有名人』である理由が、彼らを打ちのめし、苦悶で顔を歪ませているのである。
「その様子だと、おまえも……」
「ああ」
デイビットが力のない声で問いかけてきたので、テスカトリポカは目線を合わせずに答えた。そこそこに平和な世界に生きるふたりは、本日めでたくひとつ前の人生の記憶を思い出してしまった。行った事への反省や後悔は無く、そのあたり彼らに羞恥を覚えるような点はない。
ただし……、彼らが思い出したタイミングが熱烈な夜を過ごした翌朝でなければ。
そして追加するなら、思い出す前が地域で人目も憚らずイチャつき愛を囁き合うことで地域で有名なカップルでなければ、である。
ちなみに、通う大学が長期休暇に入り、テスカトリポカ宅へと泊まりに来たデイビットを迎え入れたのが昨日の夕方のこと。荷物の整理もせずにリビングのソファで睦み合い、その後ふたりでシャワーを浴びつつ二回戦目を開始。ややのぼせつつ、着替えもそこそこにベッドにもつれ込んだのが昨晩の話である。頭をかち割りたくなるような砂糖まみれの愛のセリフを口にしていた記憶は、都合よくテスカトリポカの脳内から消えてくれてはいない。
土地の縁頼りとはいえ召喚を成功させた男、計画を同じくする相棒、そして楽園の住人。距離は近かったが、デイビットが割り当てられた関係を越えることはなかった。冷えきった間柄ではなかったが、お互い立場を理解していた人生と今回のジャンルが違いすぎる。何故こんな生クリームやキャラメルソースにドーナツと砕いたクッキーをトッピングされた胸焼けする人生に変更されているのか。
加えて、相手がよりにも寄ってデイビットである。ミクトランでの雑談の際には、互いに『オマエだけは無い』と明言していた程なのだ。デイビットも5分うちに記憶にしっかりと記憶していたようだし、そんな予兆はなかったはず。
とはいえいつまでもギャップに打ちのめされている訳にはいかない。テスカトリポカには明確にせねばならぬことがあり、このダメージから早急に立ち上がらなければならなかった。
「おまえが熱心に口説いて……」
「先にふたりきりで会おうと誘ってきたのはオマエだ」
先に惚れ、そして色ボケしていたのはどちらなのか。
互いを甘い菓子に例え、瞳に溺れそうだの、この出会いのためにうまれただのと公共の場で見つめあっていた。そんな二人だけの世界に入りきった自身を、蘇った記憶のせいで理性を外せないまま反芻させられる羞恥心。そんな中で互いに『コイツよりはマシだった』という唯一得られる称号は譲れない。これが前夜までの先に惚れたのはオレの方だ、いやいやオレだと今とは全く逆の言い合いをしっかり覚えている不毛な争いだったとしてもだ。
「今日は『オレのシュガー♡』と呼ばないな」
「ヴガッ」
デイビットがそう言えば、もちろんテスカトリポカも言い返す。
「どうした、いつもの『世界一素敵だ♡』のキスはないのか?」
「ヴヴヴ……」
互いの的確な攻撃によって掻きむしられた羞恥心に、テスカトリポカは歯をガチガチと噛み鳴らし、デイビットは唸り声を上げた。
「おまえを消せばどうにからならないかな」
「やめとけ。今のオレ達なら痴情のもつれにしか扱われん」
ふたりの出会いは昨年、とある知り合いからの紹介だった。故郷である日本を離れ、海を渡って勉学に励む男――藤丸立香は『なんとなく、ポカニキとデイビットは気が合うと思ったんだ』と根拠もなくふたりを引き合わせた。
記憶はないはずなのに人脈に溢れたこの男は、いつも様々な縁を結びつけているので何かしらの直感が働いたのだろう。その目論見通り、いや想定を吹き飛ばす勢いでテスカトリポカとデイビットの仲は発展した。
社会人と大学生である自分たちがふたりきりで会うようになり、時間の許す限り愛を語らい、目があえばキスを交わし、腕を組み、腰に手をまわして寄り添う。そんな恋人という関係に収まるまで1ヶ月もかからなかったのである。
如何に相手が自分に惚れ込んでいたのかの根拠として、そんな出会いの記憶をほじくり返し、日々あらゆる場所で繰り広げた愛情表現を引っ張り出す。そんな第三者からは惚気にしか見えない戦いが一時間を越えようとした頃、デイビットの腹がきゅるりと鳴った。互いに起床してから何も口にしておらず、胃が空腹を訴えるのも最もなことである。互いに何を言うでもなく立ち上がり、適当に衣類をひっつかみキッチンへと向かった。
テスカトリポカはメインの食事を、デイビットがそれ以外を用意するいつも通りの光景。トーストは8枚切りを2枚ずつ、うっすら焦げ目がつく程度に。ベーコンを焼いているといいタイミングで皿が渡されるので、横目でコーヒーの準備をしている姿を眺めながら卵はデイビット好みのサニーサイドダウンにする。最愛の人♡運命♡なんて言い合っていた相手の好みを把握していないわけが無い。そして一夜で忘れた振りも出来なかった。
スムーズすぎる朝食作りが終わり、互いに用意したことへの礼を伝えあうと各々食事を始める。コーヒーを一口含めば、砂糖とミルクの分量はいつもと同じ自分好み。朝は酸味の強い豆を使って、糖分補給に砂糖をひと匙だ。
デイビットが目玉焼きとベーコンをトーストにのせ、大きな口でかぶりつく様子はいつもと変わらない。気持ちのいい食べっぷりだった。
「時間は?」
「おっと。もうこんなに経ってたか」
余裕を持って起床していたはずが、舌戦と静かな食事を終える頃には時刻は午後二時を過ぎていた。前日に起てた予定では、午前中をふたりでのんびり過ごし、昼過ぎにどうしても外せない案件のために出社。夕方にデイビットと商業施設の映画館で合流し、レイトショーを楽しむはずだったが、これは有耶無耶にすべきだろうか。
悩みつつも立ち上がり、ざっと食器を片付けて身支度を整えていく間も今日の予定への答えは見つからない。玄関へ向かうテスカトリポカの後ろをデイビット着いてきていたので、何か用があるのか振り返ったタイミングで首へと腕がまわり、引き寄せられた。
むに、と唇が押し付けられる。
さすがのテスカトリポカも驚いたが、デイビットがやってしまったという顔をしているので、これまでの癖が出てしまったというやつなのだろう。そういえば、相手を見送る際にはいつもハグとキスをしていた。なんなら一緒に出かける際にすらやっていた気がする。遠い日のように感じる記憶を思い出しながら、それでテスカトリポカも、どうしてだか揶揄わずにそのまま離れずにキスを仕返した。
「……」
「何だよ」
お互い何も無かった顔を作っているが、これはさすがに厳しい。なんとも言えない空気が漂ったが、テスカトリポカが口を開く。
「あー、予定していた映画なんだが」
「……別に作品に罪は無いだろう」
「そうだな、前々から気になってたやつだ」
「お互い予定もない」
「じゃ、後で」
「うん」
そうそう、その通り。テスカトリポカには行かない理由が無い。……本当に?
首を傾げながら車に乗りこみ、疑問符を浮かべながら運転し、職場に到着した後も言語化できない謎が頭の端に引っかかっていた。
何事もなく映画を観終わってしまった。
制作費の大半をつぎ込んだというカーアクションは、テスカトリポカも満足いくものだった。デイビットも、横目で見た際には終始スクリーンに夢中だったので楽しめたのだろう。バターがたっぷりかかったポップコーンとピザが夕食代わりなのは一言申したいが、なかなかいい時間だ。そんなことを考えつつ、感想を言い合いながら閉店時間をすぎたモールを歩けば、あっという間に駐車場と地下鉄へと向かう分かれ道がきた。
デイビットはこのまま別々に帰るのだろうか。
テスカトリポカが仕事をしている間に、広げることのなかった荷物をそのまま纏め、自分の借りる部屋に戻っている可能性が高い。なにせ結局のところ、甘ったるい時間を過ごした“彼ら”と“自分たち”は違うのだから。
「ミクトランでのオマエのドラテクもなかなかだった」
「通信教育が役に立ってよかったよ」
「あれならオレたちだって負けたもんじゃない。だろ?」
「うん、あれば楽しかった」
勢いよく感想を言い合っていたせいか、デイビット頬はうすく紅潮していた。非常灯と一部だけ灯る通路の明かりがその横顔を照らしている。ぼんやり暗がりに浮かび上がる姿に、オレ があれほど熱心にコイツを口説いた理由がわかる気がした。昔の話をする自分たちは、きっとひとつ前の人生でも、この人生でもした事のない表情をしているのだろう。
(振り払われたらしばらく凹むな)
そう思いながらのばしたテスカトリポカの手は、拒まれることはなかった。
手首を掴んで駐車場へと向かう途中でも、止まることなく懐かしい思い出話は続く。何も無いように着いてくるデイビットに、なんだコイツは一緒にいるつもりだったんじゃないかと、テスカトリポカは勝ち誇った気持ちになった。デイビットはテスカトリポカと離れがたく思っているのだろう。とても気分がよく、テスカトリポカはデイビットを助手席へ乗せ、自身も車に乗り込んだ。
すると、やけにいい笑みを浮かべたデイビットが頼みがあると言い出した。
「寄って欲しい所がある。そう遠くは無い」
「なんか切らしてるもんあったか」
「いや、オレの部屋に」
「……オマエの部屋に?」
「ああ。おまえが不在の間に、うっかり荷物を置いてきてしまったんだ」
「……」
「まさか引き止められるとは思わなくてな」
あー、クソ。釣られた。
なんと当初の予定通り、デイビットはテスカトリポカ宅に4泊した。本日はその最終日、デイビットが父親の待つ地元に帰省する日である。形容の出来ない関係であったが、視座があうのか会話が弾み退屈にはならなかった。むしろ快適で落ち着いてしまったことにテスカトリポカは頭を悩ませていた。とくに何かが後退した訳でも発展した訳でもないのだが、この感情をどうすべきなのかテスカトリポカは持て余している。
目線の先で、デイビットは荷造りを淡々と進めていた。さほど荷物を持たない男だが確認は念入りにしているのだろう。次にこちらに戻るのは、新学期が始まる前の前だと言っていた。前 の テスカトリポカは会いに行くと約束していたようだが、さてそれもどうなる事やら。
てきぱきとパッキングを終えたデイビットは、家主の横をすり抜けてさっさと玄関へと向かう。施錠をしなくてはならないので、テスカトリポカはのろのろと後を追った。
「おい」
「んだよ」
別れの言葉なら引き伸ばさずにさっさと口にすべきだ。二度と来ないでも、中指をたててもいい、わかりやすければそれで。
湿っぽいのも縋るのもテスカトリポカの好みでは無い。玄関で仁王立ちするデイビットが口にする言葉を、ただ受け入れようと思った。
「見送りの……はないのか」
会えない時間が寂しいという気持ちと、相手の安全への祈りを込めて。あのべったりと引っ付きあっていた恋人たちは、そんな言い訳を掲げて離れる度にキスとハグを繰り返していた。目線を合わさず耳を赤くした男がそれを求めている!三秒の後に気づいたテスカトリポカは、勢いよくデイビットの頭を掴んで唇を押し付けた。
頬に瞼に額に、最後に唇に。
「うーん、かわいい男だなオマエ」
「『世界一素敵♡』の間違いだろ」
「そうか?マ、そんな気がしてこなくもない」
「うるさい、帰省中に浮気したらわかってるだろうな」
サービスで久しぶりに頭も撫で回してやったのに、デイビットからの返しは鼻先への噛みつきだった。浮気なんてしようものなら噛みちぎるという脅しがなんとも可愛らしく思えて、肩をいからせながらタクシーに乗り込む後ろ姿を笑って見送った。
デイビットはきっとこの家にまた泊まりに来るだろう。
そしてテスカトリポカのことを考えながら選んだ土産をふたりでつまみながら、特別でもない、いつもの時間を共に過ごすのだ。