イリナャちゃんに持ち帰られる 迷い込んだみたいに自ら足を踏み入れたバーの入り口で溜息を吐いてしまっていた。落ち着いた音楽が流れているのに体は重く、今日は色々とついていない日だなぁと思いながら奥へと広がる廊下を進んでいくとこじんまりとしたカウンターやソファに囲まれたブースが目に入る。此処ならごちゃごちゃした路地裏からも目から血が出そうな位書類を見つめるあの仕事からも少し逃れられるーーそう、信じていたところだった。
「あの~お疲れのところ申し訳ないんですけど……」
バーカウンターに腰掛けようとして聞こえてくる堅い足音、こちらに近付いてくる声に何だか聞き覚えがあった。見覚えのあるダークブラウンのスーツの上着を片手に持つ上司を見かけてしまう。何も悪いことをしている訳でもないのに思わず胸がどきりとした。仕事が終わってすぐに此処に足を運んで夜と呼ぶにはまだ若い時間に他のお客さんは見当たらない。恐らく、いや確かに自分を呼ぶ声だろうに人違いであることを願ってしまった。
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