アルカヴェ転生現パロ その日、青年は自らの前世について思い出した。
衝撃的な出来事があったわけでも、前世に起因する何かに触れたわけでもない。それを思い出した時、青年は家族と一緒に夕食をとっている最中だったので、動揺のあまり箸でつまんだ煮物を取り落としてしまった。すぐに、失態だ、と己を律する。しかし祖母との二人きりの食卓であるが故に、思い出した瞬間に漏れ出た「あ」という言葉は当然のように祖母に拾われてしまった。
普段からそういったしぐさや態度が少ない性分故か、祖母は青年の顔を心配そうにのぞき込んでくる。おまけに煮物が器の中に転がり落ちる瞬間も見られていたようで「もしかしてお口に合わなかった?」と青年が食事に不満があるのではないかという不安まで抱かせてしまった。
もちろん、そんなことはない。
青年は祖母との食事を楽しみにしていたし、何より祖母の作る味の沁みた煮物が大好きなのだ。食事に不満などあるわけがなく、むしろ頭の中にぽんと躍り出た前世の記憶に腹立たしさを覚えたくらいである。
小さく息を吐いて己を律しながら「少し大事なことを思い出してしまって」と青年はあえて正直に答えた。詳細を話す必要などない。祖母は聡明な人だから、青年があえて伏せたことをわざわざ追及するようなことはしないとわかっている。案の定、祖母は小さく頷いて「大事なことなら、思い出せてよかったわね」と言いながら朗らかに笑った。
食事を終えて、青年は食後のコーヒーを片手に部屋に戻った。いつもなら祖母と共に静かな時間を過ごすのだが、今日ばかりはそうもいかない。何せ唐突に思い出してしまった前世のせいで、頭の中はしっちゃかめっちゃかになっていたのだ。習慣になっているミルクの入ったコーヒーを手渡されながら、考え事をしたいから部屋に戻ることを伝えれば、祖母は青年を気遣いながら相も変わらず優しく微笑んでくれたので、ほっとしながら自室で籠ることができた。
机にコーヒーを置いて、ごろりとベッドに横たわる。
今見ている天井はすっかり見慣れたものだが、前世で一番長く過ごした部屋とは何もかもが違う。木造の家は温かみがあるとはいえ、かつて住んでいた住居はもっと木のぬくもりに溢れていて、ここまでこざっぱりしていなかった。単調な壁紙と質素な部屋のインテリアも嫌いではないが、前世に住んでいた家はもっと色に溢れ、賑やかだったような気がする。
ここまで考えて青年は大きく、深く、盛大に息を吐いた。きっとこの場に祖母がいたらまた「どうしたの?」と心配そうに声をかけてきただろう。余計な心配をかけるのは本意ではないので、さっさと自室に戻ってきてよかった。まだまだ健在であるとはいえ老齢の祖母に「実は自分は別の世界から転生してきた存在で、今しがた前世の記憶を思い出した」と説明するわけにもいかないのだから。
そう。
自分はこの世界に転生してきた。しかも前世の記憶を今しがた取り戻すという具合である。
前世を思い出してから、青年の頭の中にはかつて見た景色が湧き水のようにこぽこぽと溢れ出ていた。知ろうと思ったわけでも、知りたいと願ったわけでもない。けれど、まるでそうであったことが普通であるかのように、前世の記憶は青年の記憶の中に丁寧に差し込まれていった。
記憶の中で、青年はテイワットという元素力と呼ばれる力が存在する大陸にいた。その中でも広大な砂漠と豊かな緑溢れる土地を有するスメールと言う土地で、テイワット最高峰と呼べれる教令院、そこの書記官として働いていた。
青年のかつての名は“アルハイゼン”と言った。
***
いつも通りの朝を迎えて目を覚まし、祖母が用意してくれた朝食を取って、青年はいつものように学校へ向かった。
正確には“すべていつも通り”ではなかったが、今世ですでに習慣となっている行動をすることは生きていくために必要不可欠で、習慣を変えることは多くの不都合を招き、安穏とした生活を脅かすきっかけとなることを青年――否、アルハイゼンは理解していた。
昨晩。
あれから眠りにつくまでの間に、青年はすっかりアルハイゼンとしての記憶を取り戻し「自身はアルハイゼンである」と認めるに至った。
この世界で生まれ育ってきたのは確かにこの青年としてだが、アルハイゼンとしての生と記憶も確かに存在していて、さて自分はどちらなのか、と思案すると同時に“どちらでもある”と早々に結論付けたのである。
幸いなことに、アルハイゼンであることを忘れていた間、青年はいたって普通に――だがアルハイゼンに似た思考と感覚を持ち得て――育ってきていた。
歳は17で高校二年生。趣味は読書。他人と比べると好奇心は旺盛で気になることがあると暇を見つけては自ら調べ、解き明かすことを良しとしている。個人主義で他人とあえて群れるようなことはしないが、決して人と付き合うのが苦手なわけではない。あえて他人と関わることはしないが人となりは悪くないようで、学校ではそれなりに話しかけられることもある。両親は共働きで海外におり、高校進学と同時に祖母宅に住み始めた。高校を選んだ理由は“祖母の家から近かったから”だが、それなりに学力がないと入れない場所なので当然のように勉強はできる……とまあ、これが今のアルハイゼンの生である。
昨日に比べると幾分違いはあるだろうが、アルハイゼンが記憶が戻る前の青年の通りに振舞えば、きっと誰も彼の変化に気づくことはないだろう。記憶が戻ったとはいえ、今までの記憶が消えているわけでもなく、それらはきちんとアルハイゼンの頭の中に存在しているのだから、余計なことをせず今まで通りにすればいい。
実に単純、且つ、明確な方法である。
もちろん、自身の身に起こった事象について気になる点はいくつもある。だが、それらの疑問を解消、または証明するための手立てが今のアルハイゼンにはないに等しかった。いくら検証しようとしたところで、手がかりがまったくない状態で結論へ至ることはいくら優秀な元学者であっても難しい。現状を踏まえた結果、アルハイゼンは仮説のみを立て、日常生活を送りながら少しずつ必要な情報を集めていくことにしたのである。
学生生活が終わるまで残り一年と少し。
都会から少し離れた町の片隅で、アルハイゼンは歩きながらこれからのプランを考える。
記憶は戻ったばかりだが、何も手掛かりがないわけではない。アルハイゼン自身が持ち得る情報は少なくとも、青年の記憶の中には手がかりに繋がりそうなものがきちんと残されていた。まずはそこから当たってみる。それを足がかりに少しずつ検証を進めていけばいいだろう。
それから、とアルハイゼンは記憶の片隅に置いたままの憂いを拾い上げる。
思い出したのはつい昨日のことだが、最後に彼と会ったのは随分と昔のような気がした。実際、それなりに年月を重ねているのだが、共にいた時の記憶は色鮮やかなままで、今も褪せることなくアルハイゼンの記憶に残っている。
自分がこの世界に転生してきたように、果たして彼も、この世界に転生してきているのだろうか。
願うわけでも、祈るわけでもなく、アルハイゼンはかつて星と例えられた輝かしい彼の姿を思い浮かべ、そっと記憶の引き出しにしまい込んだのだった。
緩慢で退屈な授業を終え、チャイムと共に昼休みの時間が訪れると、それは烈火のごとくやってきた。
アルハイゼンが祖母に持たされた弁当を鞄から取り出すのとほぼ同時に、教室中に響くような大きな声で名前を呼ばれ、ついそちらに振り返る。片手に弁当を携えた彼はアルハイゼンの元までやってくると、にやりと不敵な笑みを浮かべ、上着のポケットからカードを出して巷で有名なカードゲームの主人公と同じポーズをとった。
「リベンジマッチだ!」
「弁当のあとでな」
自分の弁当を持って淡々と答えながらアルハイゼンが立ち上がる。
友人の横を通り過ぎて教室を出ると、彼もアルハイゼンと共に教室を出て隣を歩きはじめた。廊下の端へと進み、階段を昇り、到着した空き教室に無断で立ち入る。元々は施錠もされていたがどこかの誰かが鍵を壊してしまったらしく、侵入し放題になってしまったこの場所で二人はよく昼食を取っていた。校舎の上階はあまり人通りがない上に、廊下の突き当りという場所は人が寄り付きづらい。残念なところはイマイチ掃除が行き届いていないところくらいで、それ以外は普通の教室なので昼休みを過ごすだけなら申し分はない。到着するなり控えめに窓を開けて教室の換気を促すことだって、最早慣れたものである。
更に付け加えるなら、机や椅子があり静かで邪魔されにくいこの場所は、アルハイゼンにとっての隠れ場所でもあった。
机を動かして互いに向き合う様につけて並べると、まずは腹ごしらえだな、と二人は弁当を広げて昼食を取り始めた。二人とも食べ盛りなので重箱のような弁当を机いっぱいに広げるが、ぎゅうぎゅうに詰められた色とりどりのおかずは次々に胃袋の中へと消えていく。腹を満たしながら、目の前の友人は相変わらずカードの話を楽しそうに話しているので、アルハイゼンも相槌をうちながら彼の話に耳を傾けた。
「……きみは変わらないな」
独り言のようなアルハイゼンのつぶやきは、忙しなく動かしていた友人の口を止めた。
元々静かな教室に沈黙が降りる。
弁当を食べていた友人の手も止まっていた。
「……アルハイゼン」
「あぁ」
「そうか。お前も思い出したのか……」
先ほどまでの愉快な友人が、喜びとも安堵ともとれる表情を浮かべる。友人の中に懐かしい面影が見て取れる。今目の前にいる彼は青年の友人の一人ではなく、アルハイゼンのよく知る大マハマトラのセノで間違いなかった。
「いつ記憶が戻ったんだ?」
「昨夜。何の予兆もなく突然戻った。そういう君は、いつからセノの記憶を持っている?」
「俺は赤ん坊の頃からずっとだ。ただ、記憶を取り戻した転生者を見たのは、アルハイゼン……お前が初めてだ」
「ほぅ……?」
早々に空になった弁当箱を片付けながら、今度は二人とも制服のポケットからカードの束を取り出した。記憶が戻ったばかりで転生という現象への興味は尽きないが、アルハイゼンの体はルーチンというものに大変忠実らしい。頭の中を駆け巡る疑問と質問の数々をどうにか片隅に追いやり、すっかり習慣となっている友人とのカードバトルにむけて着々と準備を進めた。
テイワットにいた頃も流行っていたカードゲームがあったが、まさか転生後の世界でもまたいそしむことになるとは。かつての記憶から同様の思い出を引っ張り出してみると、当たり前のように現れるその姿を見つけてしまい不意に手が止まった。
自分以外の転生者の存在も確認できただけに、彼もまた転生している可能性がゼロではないことになる。
やはり彼もこの世界に転生しているのだろうか。
転生してるとすれば、今は一体どこで何をしているのか。
そして、再び相まみえることがあるのだろうか、と。
気になることが増えてしまい、つい思考の波にのまれそうになる。
だが、今は友人とのゲーム中である。彼がこのゲームを真剣に楽しんでいることは、毎日こうして相手をしているからこそ理解していた。だからこそ手を抜くことはできないのである。
実のところ、二人にはさして共通点がなかった。
クラスも違えば、入っている部活も違う。かつて通っていた学校も、住んでいる場所も違えば、ひとたび学校の外へ出てしまえばほとんど会うこともなかった。偶然同じ学校に在学していて、たまに廊下ですれ違う程度の相手である。ただ、カードゲームという共通の楽しみだけが二人を繋げているものだった。
そんなささやかな繋がりのおかげで、アルハイゼンはいとも簡単にセノというかつての友人と邂逅することができた。これは明らかに幸運なことである。そのきっかけがカードにあるのなら、それを疎かにすることがいかに愚かであるかくらい簡単に理解できるものだ。
止まっていた手を動かし、準備を整える。アルハイゼンが使うデッキは昨日と同じで、戦法を変えるつもりもない。対してセノのほうはこちらのデッキの対策をした上で挑んでくるだろうから、昨日のように勝利を収めるのは難しいだろう。まあ、そのためのリベンジマッチでもあるのだが。
互いに準備が終わると、すぐに勝負は始まった。
案の定、アルハイゼンの手札を知っているセノの優位で勝負は進み、アルハイゼンは主力を失いあっという間に追い込まれていく。だが昨日は見せなかった手札を駆使して食い下がれば、セノも上手く機転を利かせて応戦してくるので二人は一進一退の攻防を繰り広げた。最終的に終盤ぎりぎりに切り札を引いたセノが勝負を決め、本日の勝者となった。勝負の良し悪しに興味はないが、過去一番苦戦した戦いだったとセノが語るのできっとそうなのだろう。
「ところで君は、俺たち以外の転生者を知っているのか?」
無事に勝負を終えた二人がカードを片付けながら雑談を交えている途中、アルハイゼンはタイミングを見計らって改めてセノに転生について訊ねた。
勝負が始まる前、セノが言っていた言葉を振り返る。記憶を取り戻した転生者を見たのはお前が初めてだ、と。言葉の意味通りに取れば、セノは自分たち以外に転生者がいることを示唆しているが、まだそれを確かめていなかった。
カードをひとまとめにしてがらんとした机の隅に自分のデッキを置き、セノは眉間にしわを寄せながら悩まし気に答える。
「……あぁ。だが向こうはおそらく前世の記憶がない。だから俺も、本当にそうなのか確認しようがない……が、見たところそうだとは思う」
断定的ではないが、セノ自身もきっとそうであると思っているのだろう。
何せ、アルハイゼンが彼を“セノ”だと見抜くことができたのは、その容姿がどことなく前世に似ているせいもあった。それはおそらく双方が知り合いだからこそ判断できるものであって、片方からの視点では転生者であるとの断定が難しいのだろう。これは、セノが記憶のないアルハイゼンをアルハイゼンだと断定することができず、ただの高校の友人と割り切っていた点からもわかる。
「確かに、記憶のない相手に前世の話を切り出したところで、理解はしてもらえないだろうな」
「俺は生まれた時から記憶があったが、全員がそうでないことはそいつに会ってから気づいたんだ。おかげで、親戚からは暫く変な子供扱いされた」
昔のことを思い出しているのか、両腕を組みながら語るセノの姿は実に不満そうである。その様子を見るに、どうやら随分と理不尽な目にあったらしい。
それで、とアルハイゼンが次の話を切り出そうとしたとき、校内にチャイムが鳴り響いた。授業開始五分前を知らせる鐘だ。二人は急いで机を片付け、窓を閉め、教室に鍵をかけて後にする。自分たちの教室に戻る最中、アルハイゼンは改めて先ほどの質問をセノに問うことにした。
「それで、君が知っている記憶のない転生者は誰だ?」
「キャンディスだ。今は俺の親戚のお姉ちゃんだ」
「……そうか」
さらりと告げられた事実を反芻しながら、アルハイゼンはそれ以上の追及を辞めた。
互いに軽く別れの挨拶をしてそれぞれの教室に戻り、席に着きながらアルハイゼンは記憶の中をさらっていく。自分の家族、親戚に、彼がいるのではないか、という期待と不安が入り混じる。結局、いくら記憶をたどっても青年の知っている親族に彼の面影を見つけることはできず、アルハイゼンは静かに息を吐いた。
やはり、そう簡単には見つけられないらしい。この学校でセノと出会えたことは幸運だったのだ、と改めて思い知らされる結果となった。
食後の満腹感と午後のうららかな陽射しを浴びたことで、アルハイゼンはだんだんと思考が緩やかになっていることに気づく。授業も始まり、教師がテストの範囲について語っている中、それすらも背景音楽に置き換えてアルハイゼンの意識はゆっくりと夢の中に落ちていった。
それから、アルハイゼンはセノのカードゲームに付き合いながら転生についての情報を集めた。
といっても一介の高校生に集められる情報と言えば、インターネットの海に漂う不確かで出所不明な情報とオカルトに近い書籍やエッセイに論文、そして友人からのささやかな近況報告くらいで、実際のところほとんど進展がない。立てた仮説もいくつかは棄却され、そのたびに新しい仮説を立ててみるも、それを証明する手立ては見つからないままである。
現状だけをみれば、手詰まりと言わざるを得ない。
しかし生活は至って快適なので、アルハイゼンは与えられた新しい自分の立場をたっぷり謳歌していた。
決まった時間に学校に行き、適当に授業を受けて、時間になれば帰宅し、あとの時間はほとんど趣味に費やす。ルーチンだけ見れば、かつての自分と近い生活をしているといっても過言ではないかもしれない。
そんな生活の中で、特に祖母の存在は大きかった。身の回りの世話はもちろん、食事はいつも手作りでアルハイゼンの好きなものをたっぷり用意してくれるし、知識欲旺盛なアルハイゼンにいつも小さな新しい知識を授けてくれるので、それらは単調な毎日を送る高校生のアルハイゼンにとってささやかな彩りとなっていた。
ただそれでも、どことなく物足りない、と感じるのだ。
共に意見を交わし、議論を重ね、自分の視点だけでは見ることができない別の側面からの解釈を持つ、鏡のような――――そんな存在を、無意識のうちに心のどこかで求めてしまう。そんなもの早々見つかるはずがないとわかっているのに、未練がましく、ずっと思いを抱えたまま、転生先にまで持ち込んでしまっている。
彼も転生しているとは限らないというのに、どうしたってその思いは捨てられそうになかった。