普段より同期化の負荷がかかったせいで、頭が重い。あまり慣れない感覚でフラつくこともあった。何度も謝るダンテに笑みを見せるホンルだったが、口から出る言葉にトゲが残ってしまう。
本意ではない、はず。疲れているからとお互いに認知していても気まずい。他にも要因はあるし時間の解決も必要だった。
浅い亀裂で済めばいい。修復はすぐに終わるから。せめて奥深くに切れ込みが走らないようホンルなりに案じる。だから、と口数も減らし普段より大人しくしていた。物静かに辺りを眺めて口を抑えていればいいのだから。だからといって周囲が気遣うこともない。全員疲弊に溺れているので、ある程度の雑談と怒声も響くもののすぐに収まった。喧嘩の火種もダンテが全てを引き受けたおかげでもある。
鬱々しく重たい雲はいつまでも漂う。
それ程までに今回の戦闘は辛かった。
終わりよければ全てよし、と誰かが言った気がする。誰も言ってない気もした。
夜になり解散となってもホンルだけ症状が残ってしまった。頭痛はまだ止まない。これは片頭痛とは違ったものらしく、説明されても頭から抜け落ちてしまう。そうなんですねぇとホンルは受け流す。あたかも他人事のように。
それにはダンテも戸惑いを奏でていた。二人きりの車内は広いはずなのに、窮屈に思えた。
「……すみません、ダンテさん」
水を飲んでも気分は良くならない。ふとしたときに意識が飛びかける。時たまちらつく情景は煌びやかで、血生臭く、どうしようもなく暴れたくなる。今もダンテの頭に傷をつけたいなんて衝動が渦巻いてしまう。やりたくもないのに賭け事で精神を狂わせたくなる。ぎゅう、と手を丸めても心の疼きは収まらない。
もしもそんなことをしたら、取り返しが付かなくなる。怖かった。まるで自分という人格が揺らぎ、どこか遠いところへ離れていきそうな不安感が沸き上がる。
〈この状態で部屋に戻らせても……あまり良くなさそうだし、これは私の責任だ〉
「でも」
僕は平気です。ホンルは呟いた。自分自身に言い聞かせながら。早く寝て、スッキリして、このギクシャクした雰囲気を入れ替えられたらいいのに。
――でも。大丈夫と言い聞かせるほど動悸がする。目の奥でシャンデリアがチラつく。回転するボールと運を受け入れる円盤が、血色に染まったトランプがホンルを乱す。もう一人の自分自身が短剣を振りかざし、笑っている。あれは自分だけど自分ではない。切り分けたくても意識が共鳴する。繋ぎ止めてくれる鎖を探るようホンルは視線をあちこちに流す。
〈落ち着けるまで傍にいるよ。してほしいこととか、何かある?〉
カチカチとダンテが優しく問いかける。その言葉を受け入れてホンルは顔を上げた。ほんのりと頬に色が灯ってゆく。
既に一同は各自室――バスの奥に続く空間に帰っている。なのである程度の事なら応えられるだろうとダンテなりに提案した。
大事な休養時間を減らしてあげたくない。特にホンルは早起きが苦手であるし、沢山寝かせたかった。仮に寝坊したら朝から一悶着起きるし、実際に起きてしまった。囚人に負担はかけたくない。全員大切な存在だから。
子犬のような顔でホンルは考え込む。しいてほしいこと、と言葉を紡いだ。
「どうなんでしょう?」
またも他人事のように返した。小首をかしげて問いてくる。ダンテの秒針が動揺となりジジジと早まった。
〈え、ええと……〉
「僕としてはこの頭痛さえ何とかなれば良いんですけれど……でもこの状態で部屋に戻るのは止めた方がいい。そうですよね?」
〈らしいね〉
ふう、とホンルがため息をついた。吐き出されたやるせなさが二人の間をすり抜ける。
「その、ダンテさんのことを恨んではいませんよ。仕方がなかっただけです。長期戦になっただけで……」
次いでグルグルと肩を回した。大きく伸びをした瞬間、ホンルの頭痛がより一層増した。目の奥を貫いて脳みそをかき乱す不快感と、胃の底から沸き上がるドロドロした欲が止まらない。
奇妙だった。バスの中にいるはずが、全然知らない所のように見える。広がる鈍痛の中。髪をかきあげてホンルは意図せず言葉を吐き出した。
「僕とダンテに運がなかっただけじゃないですかぁ」
獰猛な瞳がダンテを捉える。それは紛れもなくぽんぽん派の面影だった。ダンテの心臓がうねり、動きを増す。まるで、ここ一番の勝負に敗れたかのような錯覚が巻き上がる。悲しそうで憎憎しいと突き立てられる言葉がダンテを乱そうとする。
「……ぅっう゛あ! んっ……えほっ……~……っふ……はぁ……は、あぁ、はは……」
残り香を振り払うようにホンルは顔を左右に動かす。額を抑えながら丸くなり荒い呼吸を繰り返した。
慌てて背中を擦り、ダンテはホンルの名を呼び、刻む。戻ってこられるよう祈りながら君は君であると呼び続ける。落ち着いたのは数十秒後。まだ痛みは拭えないままで、火照っていたはずの頬には強い疲弊が上書きされている。
「ねぇダンテさん、僕は…………あはは。いえ、なんでも、ありません。なんだか今日はダメみたいなので……ああ。そうですね、今日も膝枕していただけませんか?」
把握するまでに時間を要したが、こくこくとダンテは頷く。ホンルが落ち着けるのならいくらでもしてやろう。チラつく影に若干怯えつつ肯定した。
「でも……あはは、とても細い枕ですけどね、ダンテさん! きっと僕の膝枕の方が寝心地は良さそうです、趣味じゃないのでしませんけど」
〈えっと……ほら、ホンル〉
しかしどこでやろうか。後部の長い椅子はあホンルの背丈に合わない。仕方がないので床へ座り、膝を叩いてダンテは示す。まだ青さが残るホンルはおずおずと移動し、ゆっくりと寝転ぶ。ちょっぴり嫌そうだったが文句は延べない。どうやって足を着かせようか迷ったり、服の裾を気にしたり、その仕草はほんのり優雅であった。元のホンルに戻りつつある。
「ふぅ。……悪くはありませんね~」
〈それはなにより〉
「ダンテさん、もうひとついいですか?」
〈なんだい?〉
「僕が眠っても、音を止めないでいただけませんか……? 落ちつけるんです」
〈ええと。またここで寝ると……?〉
これが一度や二度ではない。常習犯と言ってもいいだろう。何かに理由をつけてホンルはダンテで寝ようとする。ちゃんと誰もいないときに頼むが断ってきた。しっかりと寝てほしい。今の今まで膝枕で爆睡した試しはなかったのだから。
「ぼくが眠ったらいつもみたいに部屋に置いてください。あ、出来るだけ丁寧にお願いします~」
へにゃりと笑うものの、すぐに淡い影がかかる。置き去りにされた子供のような不安感を残したまま、モゴモゴと口だけを動かした。ダンテはただ時計音を刻む以外出来ないでいる。おやすみとも返せない。
太ももにかかる重みが増す。放っておけばもぞもぞと寝返りを打つだろう。窮屈そうに呻いて、目を覚まし、やっぱり部屋で寝ますねなど口にして行ってしまう。そして、朝になれば一番最後に表れて「よく眠れましたよ~」と髪を揺らす。ぐっすり寝たから遅くなった、と言いたげに。本当のところなどダンテすらも分からないが、少なくとも――
〈一人で眠れない、とか?〉
カカカと細かな音が響く。浅い寝息を立てるホンルの前髪を撫でてみた。反応はない。翡翠色を灯す瞼に触れても、ぴくりとも動かなかった。電池の切れた機械を思わせる。一瞬だけ恐怖感が湧くものの彼の口元が柔らかく動いた。
生きている。安心して眠れている。
そんな気がして、唇をつついた。
嬉しそうにはにかむ彼をもう一度撫で、たった一人のためにダンテは音を打ち続けた。