貸し借り精算はお早めにゆらゆらと、思考が揺れる。
身体がだるくて重たくて、上手く頭が回ってくれない。
「……、……?」
誰かの声がするのに、目を開けることも出来なければ指の一つも動かすことが出来なくて、それはまだ起きたくないとごねる朝の感覚に似ていた。
額に手のひらが触れる。自分の掌よりもずっと大きくてひんやりとした掌が、体温を確かめるように数秒置かれた後に離れていった。この掌の主を自分は知っている。薄っすらと目を開くと毛先がぼんやりと白く染まった青色の髪が見えて、ああ、と息が漏れた。星の目の前でどうしたものかと溜息を吐いている相手は、サンポ・コースキその人に他ならない。
「……さ、」
声が上手く出ないまま名前を呼ぶも、此方の意識が微かに残っている事に気付いていないらしいサンポの腕がそっと星を抱き上げた。薄暗い通路から、街灯のある通りへ。行先はナターシャの診療所だろうか。抱きかかえられたまま進んでいるせいで震動が眠気を誘う。薄っすらと開いた目の隙間からサンポの横顔を捉えて、次の瞬間、星はゆったりと意識を飛ばした。
◇ ◇ ◇
「……とにかく、サンポが君を運んできた時、君は息も絶え絶えの状態だったのよ。サンポがまた何かやらかしたのかと思ってたのだけれど……」
ナターシャの言葉に、はて、と星は首を傾げた。フックたちとかくれんぼをしていた時に路地裏に隠れた事と、中々見つけてもらえなかった事は覚えている。それに、誰かに運んでもらった記憶が全くない訳ではないのだが──如何せん意識がはっきりしていなかった為、ここまでサンポが自分を運んできてくれたという事自体が現実か夢かも分からないのだ。
──あのサンポが、見返りも無しに自分を助けるなんて。
星の表情から言いたい事を察したのか、ナターシャも「そこだけは同意するわ」と相槌を入れてくれる。何故ならサンポという男はよくも悪くも商売人で、利益の事を最優先にするような男なのだ。星を見返りなしに助けてくれる筈がない。その筈だ。
けれど二日、三日と時間が経とうがサンポから助けた見返りを請求される事もなければ、いつもの詐欺だと見え透いているメールが送られてくる事も無く。裂界生物を倒して回っている時に何処からともなく現れて星に話しかけて来るサンポが何処にもいない。助けられたばかりの星は人の事を言えた立場ではないが、もしや何処かで倒れているのではないかと疑ったくらいだ。
心配している訳では、無い。
ただ星はサンポに借りを作っている状況がむず痒くて、はやく金なり依頼なりで借りを返してしまいたいだけで。
補給物資の受け渡しに協力していた星は、三日間飲まず食わずで倒れただけとはいえ念のため経過観察もかねてナターシャの診療所を訪れていた。新品の包帯などが入った木箱を机まで運んだ後、ナターシャが星の顔色などを順番に確認してくれる。数日前に鉱山の方で騒ぎがあったとか何とかで、怪我人の対応に追われているナターシャは目の下に隈を作っており、正直なところ星よりもずっと体調が悪そうに見えた。
「ナターシャ、大丈夫? 何か他に手伝えることはある?」
「そうね、今のところは……ねえ、今から空いてるかしら?」
「空いてるよ。必要な物資があるなら追加で取りに行くけれど」
「いいえ、物資は運んできてくれた分でひとまず足りるわ。代わりに様子を見て来てほしい患者ならいるわ」
はいこれ、と手渡された袋に入っているのは解熱剤。追加で薬を届けるついでに病状を見て来てほしいとはいうが、星に医学の知識はない。手伝いたいのはやまやまだが人選ミスではないだろうか、と食い下がる星に薄く微笑んだナターシャが患者の名前を口にする。
「サンポよ、届け先」
「……サンポ?」
「商売だの何だのって言うけれど、郊外で色々あったらしいわ。顔を見せに来ないから治ったのか悪化してるのかも分からないし、とりあえず必要そうならその解熱剤を渡しておいてもらえる?」
丁度サンポと何か話したい事でもあったんじゃない? と言ったきり病人の看護に戻ってしまったナターシャの背中を見つめたまま、星は押し付けられた解熱剤の袋を手に立ち尽くしていた。ご丁寧な事に住所まで書いてある。建物名には星も見覚えがあったが、金にがめついサンポが住んでいそうな建物かと言われたらどうしてもそうは思えない。
「……無駄足にならないと良いけれど」
半ば押し付けられたようなものだが、袋を受け取ってしまった以上は引き受けたも同然だ。腕の中でかさりと音を立てる紙袋に視線を落として、星は診療所を後にする。これで借りを返せるのなら丁度良いだろう。
◇ ◇ ◇
「本当にいるし本当に体調悪そう……」
「久々の対面で第一声がそれですか!?」
元から鍵が無いのか、もしくは壊れているのか、そもそもかける必要がないのか。ともかくメモに書かれていた住所に着いてドアノブを捻れば、それは抵抗することなく回って星を部屋の中に通してくれた。
「誰です? ……な、」
扉が開く音で警戒したのか部屋の奥から聞こえて来る声は冷たかったが、姿を見せたのが星だったことでサンポの顔に一瞬だけ戸惑いと焦りが滲んだように見える。一部だけが散らかってそれ以外は生活感がないほどに綺麗な部屋の中、星が放った第一声が前述の通りだ。
「その袋を見て大体の事情は察しましたが、ナターシャさんにでも頼まれて来たんでしょう?」
「うん。顔を見せに来ないから治ったかどうかも分からないって」
じっと見つめていると、確かにサンポの顔は熱が出ているせいかほんのりと赤くなっている。言葉にも普段のような快活さが無く、表情こそ明るく振舞おうとしているものの背は汗でぐっしょりと濡れていた。星が何も言わないことで痺れを切らしたのか、サンポは星が持っている紙袋をさっさと受け取ると中身を確認する。
「そのうち治ると言ったんですが……まあ、解熱剤はありがたく頂いておきます。あと貴女は何故ちゃっかり椅子に座っているんです?」
「ナターシャに病状を観察してきてほしいって言われたから」
「つまり居座る気でいると」
「ある程度ね。サンポが大人しく寝たら帰るよ」
ここらへんで解釈違いを色々と起こしたのでギブアップでした
「サンポって、黙ってたら結構格好いいよね」
「僕は褒められているんですか? それとも貶されているんですか?」
「両方かな」
「両方ですか~!」