恋人がサンタクロース 呪術高専の教員の仕事のひとつに、「夜の巡回」というものがある。
なんてことはない、学生たち、そして教職員の一部が暮らしている寮の、夜の見回りだ。
だいたい山の奥に位置していて、その上天元さまの結界にも守られている高専なのだ。騒がなければならないようなことは滅多に起こらない。ただ仮にもうら若い少年少女を預かっているのだから、安全管理は徹底しなければならない。
京都高専の教師である歌姫は、この日巡回の当番にあたり、懐中電灯を持って寮の中を歩いていた。若い頃はこんな仕事ひとつとってもビビり散らかしていた歌姫だが、もうそんな頃のことは忘れてしまった。歩きなれた建物の中を、迷いのない足取りで進んでいく。
時刻はそろそろ、夜中の0時を回る頃。ふと窓の外が白く光ったような気がして、歌姫は視線を窓の外に向けた。
「あら」
窓の外へ懐中電灯を向けてみると、白い雪がちらちらと空から舞い降りているのが見えた。
「ホワイトクリスマスね」
歌姫はそう呟いた。そう、今日は12月24日、クリスマス・イヴだ。京都高専の学生たちも、今夜はクリスマスパーティーを開くのだと言っていた。当日の随分前からケーキだシャンパンだ(もちろんアルコールフリーだが)プレゼント交換だと騒いでいた。
実は歌姫も誘われていたのだが、学生たちの数少ない楽しみを邪魔するような気がして、丁重に断っておいた。
降る雪を見ながら、歌姫の脳裏をちょっとした不安が掠めた。この寒い日に、「彼」は凍えずにやって来るのだろうか。この日、歌姫の心はサンタクロースを待つ子どものようにわくわくして、そしてちょっとだけ緊張していた。そしてその緊張を振り払うように、頭を軽く振る。大丈夫、「彼」なら心配いらない。今はまだ仕事中だ。こんな日は特に注意して巡回しなければならない。歌姫は気を取り直して、学生たちの談話室へと歩を進めた。
談話室からは、予想していた通り灯りと女の子たちの話し声が漏れていた。
「あ、これおいしー!」
「それって新発売のやつ?」
「あ、ほんとだちょっと生チョコっぽくておいし!」
きゃっきゃと楽しそうな声がしている。まったく、と歌姫はため息をつくと、談話室のドアを開けた。
「あんたたち、いつまで起きてんの。もう真夜中よ」
「あ、歌姫せんせー!今日見回り?」
「先生もこれ食べませんか?」
西宮桃、三輪霞、そして禪院真依がお菓子を広げたテーブルを囲んで口をもごもごと動かしていた。教員に夜更かしを見つかったというのに全く悪びれた様子のない3人に、歌姫はやれやれとまた溜め息をついた。
「もう、パーティーはそろそろお開きにしなさい。アンタたち明日は実家に帰るんでしょ」
「えー」
3人は口を揃えてブーイングする。
歌姫は部屋を見回してこう尋ねた。
「男子たちはどうしたの」
「東堂くんは高田ちゃんのクリスマス特番見るっていって不参加。メカ丸は早めに寝るって帰っちゃった」
「加茂は?」
「加茂先輩はちょっとシャンパン……」
「霞!」
言いかけた三輪の口を真依が塞いだ。歌姫の目が釣りあがる。
「……シャンパンはノンアルコールの子供用のやつって、アンタたち約束したわよね?」
「あー、それが……」
「実は……」
西宮がそろそろと背中からシャンパンの瓶を取り出した。蓋は開いていて、ほんのちょっとだけ量が減っている。
「これ、アルコール入りじゃないの!」
「飲み物調達するの加茂くんに任せたら、間違えてアルコール入ってるやつ買ってきちゃって……。で、それに気づかず加茂くんひと口飲んで酔っちゃったみたいで……」
「はああああー……」
歌姫はまた大きくため息をついた。
「でもでも!それ以外は誰も飲んでないから!」
「そうよ!先生!今回は見逃して!」
西宮と真依が口々に言う。
「はああー……。全くもう。これは没収!」
歌姫は瓶を取り上げた。三輪がおずおずと上目遣いで歌姫を見ながらこう言った。
「あの……、よかったらそれ歌姫先生に差し上げますので……、よかったらそのう……、学長にはできれば内緒に……」
「先生……」
「お願いします……」
西宮と真依も揃って上目遣いで歌姫の方を見る。歌姫ははあ、と今日何回目かわからないため息をついた。
「もう、今日は大目に見てやるから、アンタたち片付けて早く寝なさい」
「わーん、ありがとう!歌姫先生大好き!」
西宮が大袈裟に歌姫に抱きついた。歌姫はぽんぽんとその背中を叩く。
「はい西宮も早く寝ないと。アンタ年末アメリカ行くって言ってなかった?」
「うん、一旦日本の実家帰ってからパパの地元に帰るの」
「真依も三輪もでしょ」
「ったく、私はあんな家全然帰りたくないのに」
真依が鬱陶しそうに言う。三輪がまあまあと手で真依を宥めながらこう尋ねた。
「先生も明日ご実家に帰られるんですか?」
「私も年末帰るけど、明日はまだ高専にいるわよ」
「えー、先生、まだ仕事ですか?」
三輪がいかにも気の毒だ、というように声を上げる。歌姫に抱きついていた西宮がようやく離れ、意味ありげににやにやしながら歌姫を見上げた。
「違うよー、霞ちゃん。歌姫先生にはね、今夜サンタクロースが来るの」
「え?」
「サンタクロース?」
歌姫はまた目を釣り上げて西宮を見るが、今度の西宮には効かなかった。
「そ。恋人がサンタクロース♪だよねー、せんせ」
「えーーっ」
「恋人⁉︎」
「はいはい、じゃ、このシャンパンはもらっていくわね。おやすみ、ちゃんと片付けすんのよ」
歌姫はそう言うと、さっさと談話室を出て扉を閉めた。背後からはまだ女の子たちの黄色い声が聞こえている。別に隠しているわけではないが、学生の前で大っぴらにすることでもないので黙っていたのだが。西宮め。新年明けたらがしがししごいてやろう。そう決めて歌姫は一人、寮の自室に戻っていった。
ちらちら、ちらちら、雪は降り続いている。歌姫は念の為酔っ払ってしまったという加茂の様子を見にいってから、自室に戻ってきた。気軽な部屋着に着替え、さっき学生たちから没収したシャンパンを傾ける。まあ、学生からのクリスマスプレゼントだと思っておこう。教員としては決して褒められたことではないが。
歌姫のクリスマスの夜は、こうして更けていく。浮き浮きとした学生たちを見守り、こうやって一人酒にほろほろと酔いながら、西宮のいう「サンタクロース」を待つのだ。
さて今夜はいつ現れるだろう。何を携えて来るのだろう。歌姫は子どものようにわくわくして「彼」の到着を待つ。
いよいよその時がやって来た。こんこん、と歌姫の部屋の窓硝子を叩く音がする。歌姫は腰掛けていたベッドから飛び降りて、窓辺へと急ぐ。
窓を開けると、大きな白い人影が部屋へと入り込んでくる。歌姫はしっかりと、その人影をその胸に抱きとめた。外から入ってきたその人は、もともと白い髪の毛に加えて、雪に降られたせいで本当に全身真っ白だった。
「……さっむー」
その大きな人は、しばらく歌姫の胸に顔を埋めた後、ようやく口を開いてそう言った。
「なんでこんなに雪だらけなのよ。術式は?」
「歌姫に抱きしめてもらうために切ってた」
「もう」
くすくすと笑いながら、歌姫はその人の頬にそっと手を添える。
「……メリークリスマス。今年も、お疲れ様。五条」
「メリークリスマス」
そしてそっと、お互いの唇を重ね、もう一度抱きしめ合う。
「ね。明日は一日ベッドの中でもいい?」
「さあ?どうかしらね」
そういって笑いながら、抱き合ったままベッドに倒れ込んでいく。
世界で一番幸せなサンタクロースが、こうやって毎年歌姫のもとにやって来るのだ。