8/30🆕💚💛(タイトルなし)「久しぶりの羅浮だけどさ、タイミング良く祭があるなんてラッキーだったな」
「ああ」
「あれ電球型ソーダだって。ライトで光ってるけど、これ中身豆汁だよな。それともフレーバー違うのかな?試してみる?」
「……ああ、」
「……俺って誰もが羨む美少女だよな」
「…………そうだな」
頷いたところで、数歩先を歩いていた穹が立ち止まって振り返った。
言葉に表すなら「むむっ」という表情を浮かべて。
「丹恒〜!」
ずんずんとわざと大袈裟に歩いて戻ってきたかと思えば、俺の両頬をむにっと掴んで唇を尖らせる。
「もうさ〜……眉間!しわ!!!だめ、ゼッタイ。かっこいい顔が台無し……にはならないけど」
めっ、と嗜める穹の手に触れると、俺はもう一度頷いた。
「そうか。ところでお前が掴んでいるのは頰だが」
「くっ……そういうとこは冷静なんだもんな〜」
そう言って頰を膨らませた穹に、少し離れた場所から声がかかる。それに手を振って応えている横顔から目を逸らした。
穹は今までの開拓の旅で、彼自身なりの人脈を築き、色々な人間と顔見知りになっている。依頼の相手だったり人助けの過程で知り合ったり、老若男女問わず幅広く。
ただ、知り合ったとしても一定のラインを超えない相手が大半だ。連絡先にまめにメッセージを送ってくる者もいるが、そう多くはない。
けれど、中には大胆にも強気でアプローチしてくる存在がいる。
少し前にも、絡まれていたところを助けたことでその女性にいたく気に入られてしまい、付き合って欲しい、と執拗なアプローチを受けたことがあった。
他には俺の調査に同行していた穹に、「愛人にしてあげてもいいわよ」なんて色目を使ってくるご婦人もいた。
もちろん、その時点で俺が丁重に断ったが、なかなか諦めが悪く骨が折れたことを思い出すと、苦い気持ちになる。
顔立ちがよくてフランクに接してくれて、颯爽と現れて窮地を救ってくれる存在に惚れないなんて無理、という理屈は理解出来ないわけではない。
だが、一方的な想いを望まない相手にぶつけようとする独りよがりな言動は許されないことだ。
実はこうして羅浮に立ち寄ったのも、遊びに来たのではなく、穹への好意がボーダーラインを超えそうな人物に忠告するためだった。
「丹恒、なのへのお土産なんだけど」
不意にくい、と袖を引かれて我に返る。穹を見ると、大丈夫か?と口を動かした。守らなければならない相手に気遣われるとは、と自省をして首をかく。
「三月への土産か?一番喜ぶのは仙人爽快茶じゃないのか」
「そうなんだけどさ、フルーツ飴にも新しい果実が増えたらしいんだよな」
差し出された画面を覗き込んで、俺は頷いた。
「……ああ、好みそうだな」
「だろ。パムにも買って行ったら喜ぶと思うんだよな〜。できれば俺も食べたいな〜」
「チラチラ見るな。昨日依頼料が入ったばっかりだったんじゃないのか」
「そうだけどさ〜そこは丹恒せんせーの奢りで!」
「はぁ、まったく……」
いつもと変わらない調子で軽口を叩きながら、俺は穹を小突くふりをする。
『きた』
覗いた画面に入力されていたのは、簡潔でありながら背筋がぞわりとする言葉だった。無意識に肩が強張る。
穹は俺の手を避ける仕草をしながら笑ってみせたが、友人との戯れを演じる表情としては、あまりにもぎこちなく強張っていた。
当然だ。
相手が女性だから。
いざとなれば力で勝てるから。
第三者がそう簡単に言ってしまえる問題ではない。
言い出せなかった期間も含めると、メッセージだけとは言え随分と長い間穹を悩ませた相手だ。
きっかけは一目惚れだとしても、日を重ねるごとに思い込みは深くなり加速するもの。これ以上は仲間としても、穹を想ううちの一人としても見過ごすわけにはいかなかった。
祭を楽しんでいるかのようにあれこれと視線を動かす穹の傍で、時折肩越しに相手の居場所を確かめておく。
人混みの中に見え隠れしているが、確実に追ってきていた。
「丹恒?」
祭が開かれている通りから脇に抜ける道に誘導する。突然の方向転換と背中に触れる掌に驚いた穹に「静かに」と示してみせると、小さく頷いて言われるままについてきた。
そうして辿り着いた先は、宿が密集している一角だ。
まだ利用者が増える時間帯には早いからか、賑やかな広場付近ほどの人出ではないにしろ、人通りは多めだった。
とは言え、宿ではあるがいわゆる連れ込み宿ばかりだ。変に鮮やかな装飾が垂れ下がる宿の前で立ち止まった穹は、「本当にここでいいのか?」と振り返る。
人通りの大半を占めるやけに密着した二人連れの多くは、「今から内密の逢瀬がある」と顔に紙を貼り付けているようなものだ。そこに自分たちが紛れていいものかと、穹が戸惑うのも仕方がない。
先程よりは人がまばらになった場所だからか、件の人物は俺たちに追いつき、建物の影からこちらを覗いているのが見えた。
『穹に恋人がいると思わせて諦めさせるのはどう?』
三月から受けた提案は、つきまとう人間への対処法としてはかえって逆上させかねないものだった。だから最初はその案に首を振ったのだけれども。
だが、それで俺に対する恨みに切り替われば傷害事件を誘発を出来るかもしれないし、方をつけやすいかもしれないと呑むことにした。
何より、手っ取り早くていい。なるべくなら穏便にと穹は言っていたが、何か起きたとしても指一本触れさせる気はないし、万が一の時は武力行使も致し方なし、とヴェルトさんから許可を貰っている。
ただ、穹にはこのプランを伝えていない。言えばきっと「丹恒を危険にさらしたくない」と強く反対するからだ。
騙しているようで申し訳ない気持ちはあるが、俺としてはぬるい手段を選ぶつもりはない。
「へ?丹恒?」
穹の背を宿の外壁に預けさせて壁に手をつく。なに、なんだよ急に、と焦って、上気する頬を両手で包み込んだ。
「ほんとまって、なに、たんこ、」
「しー」
何をされるのかわからなくて困惑の言葉を紡ぐ唇に指をあてがうと、不安に揺れる眼差しが見上げた。唇を親指でなぞりながら距離をさらに縮める。
「……っ、」
鼻先が触れた瞬間、穹が息を詰めたのがわかった。睫毛が長い。普段から「俺って美少女だから」と冗談めかして言うが、整った顔立ちをしているな、などと不謹慎にも感心する。
互いの髪が絡み合い、どこか熱を帯びた吐息が触れて、ごくりと穹の喉が上下した。
打ち合わせのない行動にしばらく固まっていた穹だったが、見開いてた目を閉じて、俺の首に縋るように大胆に腕を絡ませる。思ってもみなかった自主的な協力に口角を上げた。
穹の腕で隠される分、カムフラージュのために手でカバーする必要がなくなった俺は、穹のうなじにてのひらをあてがい、腰に腕をまわして体を密着させるように抱き寄せる。
嘘だとばれてしまわないように鼻を擦れ合わせる角度を深く変えることも、触れ合わせていない唇を鳴らして音を奏でることも忘れない。
傍からは、宿に入るまでに待ちきれずに、恥ずかしげもなく堂々と口付けを交わす恋人たちの図に見えているだろう。
通行人が口笛で囃し立てる音に反応して、穹が小さく身動ぐ。
「……もう少しの我慢だ」
「……わかってる」
実際には唇を合わせていない口付けだ。騙すのにも限界がある。それに、こんなにも真正面から顔を近付けたことなど初めて出会った時以来で、穹の心臓の音まで聴こえてきそうだった。
薄く開いた唇から時折こぼれ落ちる吐息は、穹が飲んでいた仙人爽快茶の甘さを感じる。近すぎる距離で呼気が混ざって、まるで本当に口付けていると錯覚しそうだ。
そろそろ頃合いだろうかと思っていると、小さな悲鳴があがった。周囲の視線を疎んじるふりをして確認すると、件のつきまとい犯が青ざめて立ち尽くしている。
信じられないものを見る目に浮かぶのは、執着や嫉妬ではなく嫌悪の色だった。穹にそんな目を向ける資格があるものか、と腹の底に燻ってた怒りがふつふつと火を灯す。
今すぐにでも手ひどく捻じ伏せてやりたい。そんな負の感情の手綱を緩めそうになった時だった。
「余所見するなよ、丹恒」
甘えたような声が俺を呼んだ。拗ねたそぶりで、穹がさっきとは逆に俺の頬を両手で包むと引き寄せる。鼻先が触れて、そこで終わらずにその先の柔らかいものが唇に触れた。
演技ならば実際に口付ける必要なんてない。
嘘が本物に変わった困惑を悟られないように、仕掛けられた口付けに合わせてさっきと同じように穹の体を抱きしめる。
「ん……」
微かに漏れた声は、演じているにしてはひどく甘やかで艶めいていた。
ほんの数十秒ほど。
けれど、何分もそうしているように錯覚する。
離れた唇から、ふ、と小さな呼気が漏れた瞬間に、俺はようやく我に返った。息継ぎを挟まないで唇を重ねていたせいか、肩で息をする穹としばし見つめ合う。
僅かに濡れている唇と、上気する頬から目が離せない。
「……息をし忘れていただろう」
「いまそんなこと言う?」
よりによって口から出たのは、穹の突っ込みももっともな言葉だった。呆れたように眉を寄せると、ふい、と横を向く。
「だってしたことないから……やりかたわかんないし」
小さな声で呟く様は可愛らしかった。
「かわいいな」
「真顔で頷くなよ!てかその、照れるだろ……」
「普段はかわいいだろ、と賞賛を要求してくるのに今更だろう」
「それとは違……!」
「なんなの……信じられない……!!」
「あ」
口付けの衝撃ですっかり存在を脳内から弾いていた付きまとい犯は、こちらから距離を取るように後ずさる。
俺への怒りと、目の前で繰り広げられたシーンへのショックで唇を戦慄かせていた。
だが、次第に通行人の好奇の目に晒されてることに耐えられなくなったのか、ありとあらゆる暴言を撒き散らし、最後は捨て台詞を残して走り去る。
残されたのは、剣幕と勢いに呆気に取られた俺と穹と、修羅場を制したことへの賛辞の拍手だ。目立ちすぎた、とぼやいて穹はコートのフードを被った。
近くにいた野次馬が向けた端末をてのひらで塞ぐ俺の腕を絡め取って、頬を擦り寄せる。
「はやくいこうよ」
俺、待ちきれないんだけど、というかわいいセリフ付きで。徹底しろということなら、と流れに合わせて額に口付けると、えっ、と勢いよく顔を上げた。
「……丹恒、案外ノリがいいよな」
「今気付いたのか」
「いやまあ、前から知ってますけど……」
小声で口籠る穹の腕を外すと、ほんの一瞬だけ眉が下がった。拒んだと誤解させたかもしれない。
「どうせ密着するなら、こうだ」
離れないようにしっかりと指を絡めながら手を握る。三月の情報では、世の中ではこれを恋人握りと言うそうだ。
これでよし!とご満悦な穹は、今から祭を見に行こう、と楽しそうに歩き出した。
一頻り祭を楽しんで列車に戻り、心配していた姫子さんたちに無事解決の報告を済ませて「おやすみ」と別れた二システム時間後。
「俺、丹恒のこと好きって言わないままちゅーしちゃった!」
そう言ってアーカイブ室に転がり込んで来た穹と、膝を突き合わせて想いを告げ合うことになるのは、また別の話だ。