来年はサプライズプランでもやるんですか?「サンディさん、来てくださるでしょうか」
もう寝るのを待つばかりの状態で、ジェイドは部屋の主へと嬉しそうに呟いた。
夜も更け、眠りを待つのは彼ばかりではない。綺麗に整えられたベッドも、縁に座るジェイドがシーツを引くと滑らかに上掛けを滑らせて、二人が入り込むのを待っているようだった。
ただ一人寝る気も無ければベッドへ近寄る事もせず、黙々となにやらテーブルで作業をしていたらしい部屋の主――アズールは、その浮かれた言葉にようやくはたと顔をあげ、ベッドの方へ振り向いた。
「……何ですって?」
「ですから、サンディさんです」
「……今日、何か商談の予定でもありましたか」
「ふふふ、いやですねアズール。聡明で多岐にわたる叡智を持ち合わせる貴方が、まさかサー・サンディ・クローズもご存知ない?」
「はああ~~~知ってますけど?」
口車に乗ってしまった自分を含めて嘆息した。対ジェイドで特に煽り耐性の低いアズールは、眼鏡のフレームを不必要に押し上げる。不必要に煽る相手にするそれは、けれど必要な説明を引き出す仕草だった。
二人の関係は、時として不必要の乗算で成立する。
鋭い爪を持つ男。かの有名なある村の王が、サンタクロースの事をそう呼んだ。その姿を凶悪な様相に見紛われた彼は、名前と相反して良い子に無償で施しをして回るのだそうだ。
「そのサンタが」
「サンディさん、です」
「……サンディが、何だって言うんですか」
「いえ、僕まだお会いした事が無くて」
「……? お前まさか――、」
信じているとでも言うんですか。そう言いかけて、僅かばかりの良心がアズールを口篭らせた。
万が一、億が一、本当に天変地異でも起きて、ジェイドが純粋にサンタクロースを信じていたら――
「もしお会いできたら、どういうシステムで何処まで期待に答える事ができるのか……色々お話してみたくて」
――と思ったアズールは全然バラして良いなと思い直した。本気で信用していないだろう、これは。
「またお前は……そうやって」
「おやおや。資金源や費用対効果があるのか…なんて、アズールも気になるのではないですか?」
「……」
確かに、気になるけれども。実際、サンタクロースを代表に立てた慈善団体もあって、そちらもメリットがイマイチ解らないので仕組みは知りたいけれども。
こういったものを純粋な善意だけとは信用できない。胡散臭いものをあえて深掘りするぐらいならば、アズールとしてはよりラウンジが儲かるクリスマスにあやかった企画でも考えている方が有益だ。
振り返った姿勢のまま背もたれに肘をかけていたアズールは、はぁと一つ大きく息を吐いてから、またジェイドへ背中を向けてしまった。
「バカな事を言っていないで、さっさと寝なさい」
「おや冷たい。アズールはまだ作業を?」
「来年のクリスマス商戦対策を書き留めてから寝ます」
「ふ、ふふ…っ、一年越しで来年に懸けるものがまた増えた訳ですね」
仕方ないでしょう。陸にはまだ不慣れなモノばかりだ。後ろでくすくすと小さく笑いを零す気配が、もぞもぞとベッドの方で動くのを背中でも感じながらそう返した。
(……ジェイドが面白おかしくしようとするから、)
結局、夢のない話にシフトしてしまった。元来人魚はロマンチストと言われるが、ことビジネス視点が介入するとどうにも……そういう空気に、甘んじるのがこそばゆい。
先に自分のベッドで待つジェイドを一人寝させてしまうのは忍びないが、今日は仕方ない。ジェイドはこういった時諦めも良いので、そのまま横になるだろう。
アズールは口実とは異なる予習のノートにペンを走らせた。
「……仕方ないですね。あまり遅くならないでくださいね」
「勿論です。明日も授業だし、さっさと終わらせます」
適度な沈黙を挟みながらこの後にももう一言、二言話して、アズールがデスクから動かない事に観念したジェイドは、アズールが見ていないのを良いことに少しだけ、柔らかい表情でアズールの方へ微笑んでいた。
「おやすみなさい、アズール。メリークリスマス」
「……メリークリスマス。おやすみなさい、ジェイド」
■■■
決して恋人同士の甘い時間だとか、記念日を気にしすぎるタイプ、では、ないと自認している。
ただ面白そうであれば行き過ぎなほど乗っかるし、利用できるものは何だって、の精神なだけで。
それでも恋人になってはじめての、恋人らしいイベントの日。無宗教の自分達には由来などどうでもいいが、色めき立つ世の中の空気に嫌でもジェイドがあてられたのは事実だった。
しかし、なんとなく押しかけてみた恋人は自分が部屋に訪れてからも殆ど机に向かったままで、甘い空気どころか振り返ることも殆どない。ようやく振り返ったと思えば胡乱な顔をしていて、それはそれはいつも通りである。
(期待はしていなかったにしろ、せめて一緒に眠るくらいは……と思ったんですが)
横になったままアズールの背中を眺める。視線がうるさいと怒られてしまわないよう、少しだけ。
さらさらとペンの走る音が次第にまどろみを連れてくる中、ジェイドは苦笑しながらゆっくりと視界に帳を下ろす。
(……僕の来年のクリスマス対策は、もう少しお誘いを上手にすること、ですね)
サンディさんにお願いすれば、こういう願いも聞いて貰えるのでしょうか。思い浮かべた赤と白の装いが印象的な紳士は、微笑むばかりで是非はわからない。流石にそういうのは、ダメですかね。ほとんど自問自答で笑いながら、次第に呼吸もゆるやかになっていく。
ジェイドは決して、非ロマンチストではない。
サンディだって調べればすぐ出てくるような実在のパフォーマーではなく……もしかしたら本当に居るのではと、ほんの少しだけ思わないこともない。
ただ、ロマンティックなものを自分だけ意識しているだなんて状況が――小恥ずかしくて、未だにアズールには、上手く言えずにいる。
■■■
「――――、」
急激に海面から身体が地上に出るような感覚。重力を感じて、揺蕩う心地が瞬時に覚める。
何かに起こされたのかというほど寝起きよく目覚めたジェイドは、ふと自分の頭がしなやかな腕に抱かれている事に気がついた。
「……っ?……、……」
状況が解った途端びしりと全身を緊張させ、ひゅっと吸い込んだ息を咄嗟にそのまま飲み込んだ。
恐る恐る見上げた至近距離に、アズールの顔があった。アズールに抱きしめられる姿勢で眠っていただなんて聞いていない。
途端に慣れていない状況にエイトビートを刻む心臓を一刻も早く引き離そうと、普段圧を全力で発揮している大きな身体をいっとう小さくしながら、すすす…とアズールの腕から抜け出した。
「…、ふぅ……」
充分に距離を取ってから、ようやくジェイドは小さく息をつく。先に寝ていたとはいえ、この状態に気付かなかったなんて、我ながら図太すぎる。きっと疲れていたんですね、僕。
誰に言うでもなく言い訳を心で唱えながら、そもそもアズールが進んでこんな距離で寝るだなんて珍しい状況に、ジェイドの口元が緩みながらへの字を描く。どうせなら起きている時に近付いてくれれば、自分のほうがいくらでも両手を広げて抱きしめて差し上げるのに。されるのには心の準備が数時間は必要そうだが、する側であれば話は別だ。ジェイドの感覚はやや変わっていた。
「もう……、…?」
そうして言葉もなく、ハグ待ちポーズでニヤニヤとアズールを誂うシチュエーションを妄想して勝手に溜飲を下げたジェイドは、ふとそのアズールの近く……正確には自分が寝ていた枕元に、クッションや枕とは違う物がある事に気がついた。
「――――、これは……」
見紛うまでもなくプレゼントの包みだった。
赤地に白いオーガンジーと金の糸でデコレーションされた不織布の袋に、濃い緑のサテンリボン。リボンと一緒に付けられていたタグに、短く書かれたメッセージ。しっかりと、この日ならではのラッピングだった。
慌てて、けれど近くの贈り主を起こさぬようそっと包みをあけると、ジェイドの愛用している茶缶が入っていた。フレーバーはどうやら冬の限定モノらしい。
誕生日から間もないうえ忙しいこの時期に、わざわざ取り寄せが必要なものを用意してくれていた。自分の好きな、自分の喜ぶものを考えて。
そっと添えられたタグを手にとって、もう一度読み返す。
――My sweet moray,
Why would you need Sandy when you’ve got me
「……僕のサンディさんは、随分とキザなようですねぇ」
律儀にベッドのうえで正座する膝にそっとプレゼントを置いて、ジェイドは両手で自分の頬を持ち上げる。そうしていないと、顔がへたってしまっていけない。
「……ふふふ、」
ああ、どうやってお返ししましょうか。ジェイドは屈辱を受けた場合は当然だが、嬉しい時も意趣返しを行うのがモットーだ。
如何にして赤面か満更でもない顔を引き出せるか。さまざまな策に思いを馳せながら、このサプライズの為わざわざ夜更かししたらしい、身近なサンディの珍しい寝顔をもう少しだけ……けれどじっくり、堪能してやることにした。
"僕の可愛いウツボへ
僕がいるのに、サンディなんて必要ですか?"