星に願いを　君は多分、今一九〇兆キロメートル先にいる。もしかしたらもっと先にいるかもしれない。
　お元気ですか。変わりはありませんか。
　毎年この季節になると、君にメッセージを送る。君からの返事は段々と遅くなってきているけれど、まだ返ってきている。それで君が息災だとわかるのだ。

　二十年前、君はスペースシャトルに乗った。とてもよい人選だったと思う。君の頭脳は優れているし、人間性はもっといい。誰からも好かれて、君とのコミュニケーションはいつも円滑で、みんなが君と話をしたがる。自慢の友人だ。
　小柄な君はアジア人だった。はじめて会ったときから、そのアーモンド形の目に惹かれた。大きな吸い込まれるような瞳は、よく笑い、よく真剣な眼差しになった。
　黒い髪も黄味がかった肌も気にならなかった。そんなことは些細なことだ。それよりもよく白衣を汚すことの方が問題だった。実験器具はとても器用に扱うのに、コーヒーの入ったマグカップはよく傾ける。ボールペンは芯を出しっぱなしのまま、ポケットにしまう。君の白衣にはいつも何かの染みがついていた。だからいつもみんなが「サエキの白衣はカラフルだ」と笑っていた。そんなところも、君がみんなから好かれる所以だったんじゃないかと思う。
　そんな君は、三十歳を前にしてスペースシャトルの搭乗員に選ばれた。君は乗組員の中で最年少だった。でも誰もが君を祝福した。君は未来ある宇宙飛行士で、僕らの希望だった。
　君の送別会をした。今回の渡航は長いけれど、きっといい結果を持ってくると誰もが思っていた。アルコールの代謝酵素を持たない君は、ジンジャーエールとコーラでいろんなことを話した。夢を膨らませる僕ら地上のサポートメンバーに対しても、「相変わらず大袈裟だなぁ」と言う。僕らは「サエキがケンソンなんだ」と応じる。「ケンソン(謙遜)」という言葉は、君と同じ国の人から教えてもらった言葉だ。君の母国語ではやたらと難しい字を書いたように思う。二十年経ってもまだ書けない。
　君を乗せたスペースシャトルは無事発射して、太陽同期軌道に乗った。そこまでは確認できた。
　もしかしたら、君は頭がよ過ぎたんじゃないか、と今では思う。君があのスペースシャトルの中で何をしたのか、僕はわからない。
　わかっていることは地上で観測できることだけだ。七月七日、君の乗るスペースシャトルと交信した。定型文の連絡事項と、「変わりはありませんか。」の一文を添えた。君の乗ったスペースシャトルからは「万事問題なし。順調。」と返ってきていた。
　その後、地上の僕らは君の乗ったスペースシャトルの軌道を見失った。けれどどんなに探っても、何年経っても事故の報告はなかった。僕らの出した結論は、君たちは光速よりも速く移動している可能性だ。
　地上の僕は、もしかしたらまだ君に夢を持っているのかもしれない。毎年送る「お元気ですか。変わりはありませんか。」というメッセージの返信が、この十年以上同じものであることを本当は知っている。もしかしたらあれが君のスペースシャトルの軌跡なんじゃないか、というものも観測することがある。でも君が光速よりも速く移動しているのなら、それは過去の君の痕跡だ。
　そして僕らは君の移動速度を知らない。その痕跡がいつの君のものかもわからない。君はフィゾーの観測よりも速く移動している。
　それなら君はまだアインシュタインの理論に縛られている可能性がある。精悍な君がまだそこで頑張っているなら、僕も頑張りたい、と思っていた。
「アルベルト、熱心ね。またやってるの？」
　同僚が声をかけてきた。彼女はとてもいい人だ。聡明で、気も利く。
「ああ」と僕が答えると、彼女はとても言いにくそうに僕を見てくる。
「お疲れさま。これがあなたの最後の仕事よ」
　僕は今日、退職する。だからこれが僕から君への最後のメッセージだ。僕はキーボードを叩いて、いつものメッセージのあとに、一文を書き足した。
「サエキ、君の成功を祈ってる。」