Voi che sapete「もう少し、このあたりをこうして、こう」
身振り手振りも交えてみせる男の真顔を暫し見つめ、要するに、とジェマは言った。
「鍔の材質を変えて、全体を軽量化したいってこと?」
「……その通りだ」
察しがよくて助かるな、と男は微笑んだ。整い過ぎているがゆえに冷たい月のような印象すら与える類稀な美貌は、笑うと目尻に刻まれる皺の所為で、やや親しみやすくなる。
「別に急いでいる訳じゃない。他に納期の近い仕事があれば、そちらを優先してくれ」
「進捗は知らせるよ」
「ありがたい」
頼む、と片手を挙げた後背を向けた男の、肩口ではさりと翻る長い髪が、鳥の翼に似ている。均整の取れたその長身を見送った後、ジェマは作業に戻った。鉱石を磨き、台座に嵌め込む。溶接し、やすりを当てる。やがて手元に影が落ちたことには気づいたものの、声を掛けられるまで顔は上げないことにした。細かい細工物は嫌いではないが、一度中断されてしまうと、再び集中できるまでに少し時間が掛かってしまうからだ。一区切り着いたところで道具を置き、状差しに止め付けた次の発注内容を確認し、顔を上げた時。
「――ごめん。邪魔をしてしまった?」
おずおずと声を掛けてきた青年の表情は、いつになく固かった。引き締まった褐色の頬に走る傷痕が、松明の灯のゆらめきに薄らと浮かび上がっている。
「なんだ。ナタだったの」
冷やかしだけの客なら少々放置しておいても構わないだろうと思ったのだが、弟同然に見守ってきた青年ならば話は別だ。作業台に『外出中』の札を掛けて立ち上がると、いいんですか――と遠慮がちな声を出す。
「何水臭いこと言ってるの。ちょうど小腹が空いたところだったし、付き合って」
通り過ぎる際にぽんと叩いてやった肩は、出会った頃の骨細さをもはや微塵も留めてはいない。
「――肉? 魚?」
配給所の傍らに設えられた椅子に腰を下ろすと、帳面を手にしたアイルーが注文を取りに来た。戸惑った様子で視線を彷徨わせたナタが、籠盛りになった甘藍に目を止める。
「ええと……じゃあ、野菜で」
「若いんだから肉食べなよ。別にいいけど。じゃあ、魚と野菜、一つずつ。あと、蜂蜜水もね」
にゃあと頷いた給仕が去るのを待って、さてとジェマは正面に向き直った。
「何を悩んでるの」
「……まだ、何も言ってないけど」
「言わなくても判るでしょ。何年の付き合いだと思ってるんだか」
運ばれて来た飲み物の片方を押しやっておいて、よく冷えたそれに早速口を付ける。おずおずと受け取ったジョッキを両手に抱えて、ナタはふ、とちいさな息を吐いた。
「僕――」
「うん」
「先生のお役に、立てるかな」
――そこ?
と、口に出さなかったことを褒めてもらいたい。幾分しょっぱい顔になったことには幸い気付かなかったらしく、ジョッキを握り締めたまま、ナタは悩ましげに濃い眉を寄せる。
「背もそれなりに伸びたし、身体も強くなったと思うんだけど――まだ、先生みたいには扱えなくて」
敬愛する師と同じ武器――大剣を選んだ青年が、ますます鍛錬に精を出していることは知っている。そんなの当たり前じゃないとジェマはため息を吐いた。
「漸く見習いじゃなくなったところなんだから、いきなり『あれ』と同じことができる訳ないと思うけど」
「それは、そうなんだけど……」
聞き分けのよく素直な筈の青年は、だが、誰に尋ねても同じことを言われるだろう至極当然の答えに、依然として納得していないようだった。
「やっぱり弓か、ライトボウガンにしようかと」
「今更? 大剣以外は見向きもしなかったのに?」
「上手く立ち回れなくてご迷惑を掛けるくらいなら、後ろから援護できる武器のほうがよかったのかもって……思って、」
料理を運んで来たアイルーが心配そうに覗き込んでゆく程度には、青年の端整な顔立ちには苦悩の色が濃い。アイルーだけではない。先程から見習いらしい若い娘たちがちらちらとこちらの様子を伺っているし、可愛いだのカッコいいだのと囁き合う声すら微かに耳に届いていた。常に傍らで成長を見守ってきた『姉』としては、長く濃い睫毛もつややかな褐色の肌も、ふっくらとした唇も、いたいけな十三歳の少年の頃から特にその印象を変えてはいないのだが。エリックなどに言わせれば、鳥の隊は顔面偏差値エグいからねえ――と云うことらしいが、その顔面偏差値とやらの大半を担っているのは男二人なのだから、妙齢の女子としては少々ムカつく話である。ともかく。
「そんなの、あいつは全然気にしない――」
「だって!」
「うわっ」
ナイフを取り上げたところの手をいきなり掴まれて、思わず色気のない声が出た。
「ちょっと……ナタ、危な、」
「僕が後衛にいたほうが、先生も狩りに集中できるんじゃないかな。回復とか解毒とか、全部僕に任せていただいて……」
明るいはしばみ色の目が浮かされたように潤んでいる。傍目には美青年から熱い愛の告白を受けている幸運な女の図に見えるかもしれないが、実情はとんでもなく程遠い。
「あのさ、ナタ、一旦ちょっと落ち着こ?」
「落ち着いてるよ。とにかく、僕は」
大きく息を吸い込んで、ナタは言った。
「先生を、お守りしたいんだ……!」
取り落したナイフが、スキレットの上の肉にざくりと突き刺さった。
つまり。
それは。
「……守る?」
「はい」
「あんたが?」
「もちろん、今の僕にできることなんて少ししかないのは判ってます。でも――」
「守る? あんたが? 『あれ』を?」
笑うつもりはない。守られているばかりだった子供がそんなことを言うようになったのかと思えば微笑ましくもあるし、その成長ぶりを振り返ればしみじみもする。ただ、問題はその方向性だ。
「……あのさ。ナタ」
掴まれていた手を漸く取り返し、随分と広くなった青年の両肩に置いて、ジェマは言った。
「それはどっちかと言えばオトモの仕事じゃないかなあ」
オトモの仕事を奪っちゃ可哀想だろ、と苦笑すれば、それはそうですけど――と青年は唇を噛む。
「今の僕には、それくらいしか」
「だったら、早く強くなればいいじゃん」
口で言う程簡単なことではないと知っている。けれど、決して平坦ではなかった道を懸命に歩んで来た青年にとって、それが不可能なことだとは思っていない。そして、何よりも。
「――実はさ」
息を吸い込み、吐き出してから、口を開く。
「今のあんたが楽に扱える大剣を、作ってくれって」
「……どう云うこと?」
何が起きるか判っているから正直言いたくはない。言いたくはないが、生来素直で前向きな筈の青年がぐずぐずと懊悩しているのを、ただ放置しておくのは心が痛む。
「頼まれたんだよ。あんたの『先生』に」
「――え」
「まだ剣に振り回されてるところがあるから、動きに慣れるまではもうちょっと軽量化したやつで、って……」
ぽつり、と。
こぼれ落ちた水滴が、木のテーブルの天板にちいさな染みを作り、吸い込まれて消えた。続いてもうひと粒。また、ひとつ。
「うそぉ……これ、泣くところじゃなくない……?」
「……だっ、て、」
僕のために、と呟いて、ナタは涙を拭う。
「先生が……僕のことを、そんなに考えてくださっているなんて」
「そりゃ、弟子だし。ああ見えて案外、面倒見は悪くないし」
あんたのこと、すごく可愛がってると思うよ。喉元まで出かかった言葉を、すんでのところでジェマは押し返した。嘘偽りのない事実ではあるものの、意味するところはそれ以上でも以下でもない――そのひとことが、今となっては何かをとんでもない方向へ推進してしまいかねない、そんな予感がする。
「全くさあ……でかくなったってのに、泣き顔はちっちゃい頃のまんまだよね」
殊更に茶化すような口調を作ってやると、潤んだ目元を手の甲で拭って、ごめんなさいとナタは呟いた。
「……すっかり、冷めちゃったね」
「話聞くって言ったのはわたしだし、『可愛い弟』が悩んでるのを、放っておけないだろ」
片手を挙げて呼んだ給仕に料理の温め直しを頼み、そうして、ジェマはジョッキを取り上げた。
「と云う訳だから、あんたは安心して大剣を使えばいいし、もっと鍛錬してもっと強くなればいい」
「……うん」
漸く口を付けた飲み物で唇を湿した後――青年はふと、濃く長い睫毛を伏せた。
「ジェマ」
「なに」
「……僕って――変、かな」
「何が」
「…………」
暫しの沈黙を経て、やがて――何でもない、とナタは首を振った。かそけき甘い吐息をこぼした唇がその先を続けることはなく、語られぬその先を問うことのついにできぬまま、ジェマは、温くなった蜂蜜水を喉へと流し込んだ。