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    紫@🐏

    @purplesheep0125

    腐女子↑20。
    ここはナタ→→→ハン♂(ワイルズ)専用

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    紫@🐏

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    終章。

    熾火⑤「――ナタ、」

     淡い困惑を浮かべた青灰色の目が、やがて、背後を振り返る。
     椅子を引いて立ち上がった男の精悍な面差しは、だが――その時、僅かに表情を変えたようだった。壁際のフックに掛けられていた上着を取り、やがて、こちらへと歩み寄る。
     戸惑ったように見上げるエルヴェの頬に一度手のひらを触れた後、男は穏やかに微笑んだ。
    「……少々、用があったのを思い出した」
     声は深く優しく、見下ろす鮮緑の双眸は凪いだ海に似ている。
    「せっかく訪ねてきてくれたにも関わらず、申し訳ない」
     ゆっくり茶でも飲んでいきなさい、と男は言った。戸口を潜って出てゆく広い背中を黙って見送り、そうして――エルヴェはひとつ、ちいさな息を吐いた。
    「……入りなさい」
     迎え入れてくれた人の脇を通り抜け、数日前と何ひとつ様子の変わらぬ清潔な厨の床を踏む。勧められた椅子に腰を下ろせば、胸の前に抱えたままの布包みの中で、かちゃりと硬質の音が鳴った。
    「――朝食は? もしまだなら、簡単なものは用意できるが」
     卓の上の食器を片付けながら、エルヴェは言った。
     肩の上で片結びにした髪も、柔らかい麻地のシャツも、記憶の中にはない。結構です、と答えたナタを暫しの間見下ろし、重ねた皿を流しの脇に置く。取り上げた薬缶に清水を注ぎ、まだ消していなかったらしい火を熾して、竈に掛ける。ひとつひとつの動作には当たり前のように迷いがなく、幾度も繰り返してきたことであるに違いなかった。
    「……先生」
     顔を上げて、ナタは、目の前に立つ男を見た。
     歳月を経てなお類い希な美貌、青灰色の目の奥に滲む、淡く優しい憂いの色を。
    「急に押しかけたりして、申し訳ありませんでした」
    「それは――構わないが」
    「あの……方にも、実は」
    「……そのことも、聞いている」
     つややかな唇を微かに緩めて、俺の所為だからな、とエルヴェは言った。
    「辛い思いをさせた。いや――そんな、簡単な話ではないな。おまえは……」
    「先生……俺は、」
     がたりと椅子が鳴り、ナタは言葉を切った。
    「……僕は、」
     抱えた胸の中でまた、砕けた欠片が音を立てる。
     外れかけた革紐を引き、布を開く。それが何であるかを知っていたのだろうエルヴェはただ、微かに息を詰めただけだった。
    「――先生のことが、好きでした」
     ナタは言った。
    「優しくて強い人だと、思っていました。僕にくれる言葉も、差し出してくれる手も、全部、大好きでした。でもそれは多分、僕が見たいと思っていた――先生で、」
    「ナタ――」
    「本当のあなたがどんな人かなんて、僕は知らなかったし、知ろうともしていなかった。勝手に好きになって、勝手に恨んで、勝手に……想い続けて」
     大人として向き合うことを決めてきた覚悟など、何の役にも立たなかった。流れ出す涙を手の甲で拭い、震える喉に呼気を通す。
    「僕は子供で、求めてばかりで、あなたを、きっと……苦しめて、」
    「ナタ……それは、」
     違う、とエルヴェは言った。
     卓を回り込み足もとへと跪いた男の美貌を、滲んだ視界の中でも確かな光を湛えた青灰色の双眸を、ナタは見下ろす。かつて白い獣であった大剣の、その亡骸を掴み抱く手の上に、骨張って少し冷たい手が重ねられた。
    「助けてほしいとか、何かを手に入れてほしいとか、俺に理解できたのは、そう云うことだけだ。『できること』じゃない、存在そのものを求める感情があることを、知らなかった」
     微かに笑った顔は、どこか苦しげでもあるように見えた。
    「俺は――おまえが言ったように優しくも、強くもない」
     エルヴェは言う。
    「何も入っていない、打たれて響くだけのがらんどうで、ただ少し、丈夫だっただけだ」
    「先生は、でも、」
    「幻滅――しただろう」
    「……いいえ」
     いいえ、とナタは首を振った。
    「それは先生が望んでそうしたことではないし、隠すつもりがあった訳じゃない。僕は子供で、自分の理想をあなたに押しつけた。それだけの――こと、なんです」
     いつか、理解したのかもしれない。
     理解できぬまま、破綻したのかもしれない。選ばなかった道の先がどこへ繋がっているのかなど、誰も知らない。けれど。
     重ねられた手をもう一方の手で包み込み、そっと握り締める。
    「僕では、先生に、こんな顔を――させてあげられなかった」
     静謐な湖の色に似た色の目が、ゆるりと溶けるようだった。
     長い睫毛に纏わりついた微細な雫が、澄んだ朝の光を受けてきらきらと輝く。
    「……それだけは、判ります」
     好きなだけここにいてもいい。いつ飛び去ってもいい。
     ただ庇護し慈しむ、何も求めぬその手だからこそ、地図を持たぬ鳥に止まり木を与えることができたのだろう。
    「この剣を使うことは、もう、ありません」
     生きるための、よすがであったもの。
     手放せぬまま縛られ続けた恋の形見。
    「大剣を使うことも、もしかしたら――それはまだ、判りませんけど」
    「……そうか」
    「だからこれは、先生にお返しするつもりでした」
     でも、とナタは言った。
    「ここに置いておいて欲しいって言うのも、やっぱり、何か違うような気がして。旦那さんにも、悪いですし」
     辛うじて浮かべてみせた微笑を見て、エルヴェはただ、黙って頷いた。
    「――『なかったこと』には、しません」
     少しだけひやりとしたその白い手の、長い指先を握り締める。
     立ち竦むだけの子供を導いてくれた人の――力強く、揺るぎないもののように思っていた手は、記憶にあるよりもずっと柔らかで、そして、どこか儚い。
    「ずっと、大切に、覚えているつもりです」
     やがてゆっくりと解かれた指が、軽く頭を叩いて、離れてゆく。
     幼い頃、そうしてくれたように。
    「明日――戻ると、聞いた」
    「……はい。調査も一区切り着きましたし」
     湯の沸いた薬缶を火から下ろしたエルヴェが、茶葉を入れたポットに湯を注いでゆく。布の覆いを被せ、残った湯でカップを温める。
    「――見送りに行っても、構わないか」
     やがて差し出されたカップを受け取って、はい、とナタは言った。
     美しい琥珀色の茶をひと口含み、飲み下す。
     優しく穏やかな香りの向こうに仄かな苦味が広がり、溶けてゆく。
     ゆっくりと溢れて、押し流される。
     いつか――豪雨に閉ざされたテントで同じ手が淹れてくれた茶の味が。
     十二年の歳月が。叶わなかった想いが。
    「……美味しいです」
     流れ落ちる涙を拭わぬままもうひと口を飲み、旦那さんのお茶と同じ味ですね――とナタは言った。





    「エルヴェさん! 来てくれたのね!」
    「ノノ――ここ通路だから、迷惑だよ」
     ぴょんぴょんと飛び跳ねるノノの服の裾を掴んで、漆黒のアイルーが顔を顰める。もの珍しげに近づいたセレネーが、うわあ真っ黒だねえ! と声を上げた。
    「初めまして! ボク、セレネー! よろしくね! それと、元気でね!」
    「ええ……」
     黒いアイル――ニクスと云う名であるらしい――の困惑をものともせず、その手を掴んでぶんぶんと振り回すセレネーを見下ろして、相変わらずだなとナタが笑った。
    「今はサポート班にいるんだってな。ちゃんとサポートできてるのか?」
    「あったりまえでしょぉ! ボク、こう見えてベテランなんだから! ナタこそちゃんとハンターできてる? ハンモックから落ちてない?」
    「いつの話だよ」
     セレネーと小突き合い笑い合う青年の横顔は、朝陽にその陰影を拭われて、少しだけ幼い。
    「せっかく会えたのにもう帰っちゃうの、つまんない! ねえエル、たまには遊びに行こうよぉ」
    「……会えなかったのは、おまえがあちこちふらふらしていたからだろう」
     だってえ、と頬を膨らませる白いアイルーの頭をわさわさと掻き回しながら、そうですよとナタが言った。
    「ジェマだって、先生に会いたがってると思います」
    「会うのはいいが――叱られそうだ」
    「それはそうでしょう。心配してましたから。じゃあ、旦那さんと一緒に」
     考えておこう、と応えて、エルヴェは微笑んだ。
    「おまえの弟子にも会ってみたい。ミナ――だったか。まだ、歩き始めた頃のことしか知らないからな」
    「そっか。そうよね。きっとびっくりするわよ。すっかり生意気になっちゃって、ナタくんにだって平気で口答えするの」
    「ああ云うところ、さすがきみの姪って感じだよ」
     なんですってとノノが振り上げてみせるこぶしを掻い潜って、ナタは笑った。明るい陽光を受けたはしばみ色の瞳が、不意に――こちらへと向けられる。
    「……俺もまた、会いに来ていいですか」
    「――もちろん」
     汽笛が鳴った。急がなきゃ! とノノが飛び上がり、荷物を乗せた二頭のセクレトの手綱を引いて、慌ただしくタラップへと向かう。
    「じゃあまた来ます! 次はクナファのチーズ、持ってくるわね!」
    「ダメだよノノ、そんなに日持ちしないよ」
     ぶんぶんと手を振るノノの隣で、ニクスが呆れたように髭を震わせる。まったねー! と跳ねるセレネーの手を握り、こちらへ向かっては一度黙礼して、ナタは背を向けた。タラップを上がってゆく背筋の伸びた長身が――だが、不意に足を止める。
    「……ナタくん?」
    「ごめん、ちょっと――待って」
     荷物を抱えて上がってゆく船員の脇をすり抜け、走り下りるその姿を訝しく見守るうち、やがて――真っ直ぐにこちらへと駆け寄った青年の腕に、気づけば抱き締められていた。
    「ナタ――」
    「先生、」
     戸惑うエルヴェの背を強く抱いて、あなたは、とナタは言った。
    「これからも、ずっと、僕の――たった一人の、先生です」
     僅かに掠れた声の向こう側に、揺れる微かな感情が淡く、仄かに瞬くようだった。
    「お別れもですけど、お礼も言わせてくれませんでしたよね」
     最後に一度だけ縋りつくように力を込めた腕を解いて、青年は笑う。
    「ありがとう――ございました」
    「……ああ。また、な」
     差し出された手を握ったエルヴェの視線の先、はしばみ色の目を滲ませるきらめきを指先で払ったナタが、やがて、振り切るように息を吐く。
    「――本当に、大好きでした」
     翳りのないその笑顔は、遠い昔の幼かった少年の面影を確かに湛えていた。
     ナタくん早く! と叫ぶノノに手を振り、今度こそ振り向かず駆け戻ってゆく。
     タラップが引き上げられ、出港の汽笛が響き渡る。
     やがてゆっくりと動き出す砂上船を見上げれば、吹き抜けてゆく風はどこか懐かしい、乾いた砂の匂いを含んでいた。
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