人形は歌わない アズカバンの囚人 X 夕食後、寮に戻るために大広間を出た。何かやらかした生徒のせいで、いつもの帰り道が使えず、外に面する廊下を通ることになった。寒さに身を震わせながら、沢山の生徒たちが早足で通り過ぎていく。ふと、珍しく雲のない宙を見上げた。瞬く星、満月が終わって、不完全な形の月が明るくホグワーツを照らしている。
『シリウス』
『何て?!』
『今日はよく見える』
『なんだ、星のことか』
まだ幼かった私がかつてしたように、外にふらりと出て、星を眺めた。あれがシリウス、北極星はあそこで、プロキオンと……
『おや、みんな揃ってどうしたんだい?』
『あ、ルーピン先生』
『咲夜が、星を眺めてるんです』
『先生、今日顔色悪かったけど、大丈夫?』
背後で皆が繰り出す会話。あのかまくらでブラックに教えてやった星空だ。規模は違えど、ほぼ縮尺率とかは同じにしたはず。しかし、本当の夜空の方が、やはり格別に美しい。犬って、人間と見えてる世界、どういう風に違うんだっけ。色が違うんだったか、何だったか。
じーっと夜空を見つめていると、ひょこっと、背の高いルーピン先生が視界の隅に映った。差し出された手、その手にはチョコ。
『寝る前にチョコとは、なかなか罪深いことしますね、先生』
『偶にはいいんじゃないかい』
『まあ……』
最近、日本にいた時のように、全然運動できていない。いや、ホグワーツ城が滅茶苦茶広いから、確かに歩く距離はむしろ伸びた気がするけども、足以外の筋肉はたるんできたし、脂肪も全体的に増えてる気がするのだ。日本の食文化さまさまである。あと、給食が強かったな。とはいえ、この肉体じゃ、あの時のようには歌って踊れは出来まい。
でもまあ、偶にはいいかも。礼を言って、先生の手からチョコを受け取った。先生は甘さ二百パーセントのチョコがお好きなようだ。いや甘いなこりゃ。
『ちょっと、咲夜何泣いてるの!』
『え?………おお』
『いや、おおって何さ。何かあった?』
『うちの上級生にいじめられたか、名前は、特徴は__』
『特定する気満々だなぁ。ずっと目、開けてたから、乾燥しただけだよぉ……皆はさ、願い事が一つ、本当に何でも叶うとしたら、何をお願いしたい?』
ちまちま食べていたチョコを、ぱくりと全て口に放り込み、飲み込む。急な質問に、皆がきょとんとして、こちらを見ている。私は笑った。
『私ね、私だったらね、普通の身体をください、って言う』
『普通の、身体』
『そうです、普通の身体。気管支に異常も無く、目の、視力も良好で、大きな傷も無くて、体力も年相応、若しくはそれ以上。そんな身体』
背後でルーピン先生が呟いた。私は気にせず、ある一点を指さした。一番輝いている星、一等星を指さした。
『あの星々の中でもね、あのシリウスは、まだ比較的結構近いところにある星なんだよ。だから、一等星の中で一番明るいし、太陽の次に明るい。んで、実は連星と言って、正確には二つの惑星が近くにあって、地球からは一つに見えているだけなの。おおいぬ座や冬の大三角を形成する星として有名だよね』
『物知りだね』
『……でもね、私たちは生きていないけども、これから数万年の間に、少し地球に近くなって、また遠くなっていくって言われてる。その時地球があるかはわかんないけども、地球から見たらどんどん、暗くなっていくんだって』
『本当に詳しいね、天文学が好きなのかい』
好きじゃない、愛してた、の方が正しい。もう私は、あの星々を、純粋な目で見れない。また溢れ出しそうになる涙。気にしないふりをして、廊下へと足を向けた。
『あ、咲夜、待ってよ』
『星と普通の身体の関係は結局何なんだ?』
『宇宙飛行士に求められているのはね、宇宙に行くために必要なのはね。ある程度の社会経験と、それ相応の学力、全ての事象に対応できる判断力、そして過酷な環境で働くための体力と円滑なコミュニケーションに必要な英語力なの』
早口で、一部、言えない部分がありながらも、私は言い切った。完全に屋内に入り切って、私はやっと振り返る。
『この目で、シリウスがどんなものか、見たかったなー!って。それだけ。じゃあ、みんなおやすみっ』
『ちょっと、本当に待ちなさいよ!先生、ハーマイオニーたち、おやすみなさい!』
『おやすみなさい!先生もまた明日!』
『……うん、おやすみ………普通の身体、か』
「あの黒い犬はいいとこのお坊ちゃまくん……?」
『咲夜ー?』
「え、待って待って待って、情報過多で笑い転げそう」
『咲夜、流石に日本語は分からないって』
『あ、ごめんごめん』
『ハリー、来年度から俺がホグワーツに__』
『来るな!!』
『せめて最後までは言わせてくれ。ムーニー、リーマスの助手としてホグワーツに正式に就職するんだよ。あ、それと、君のお目付け役も兼ねてな』
『咲夜の通っている高校との橋渡しを代わるんだって。ほら、スネイプもなんだかんだで多忙らしいし、代わりに』
「ちぬ……」
「何あの首!何あの首!!」
『クリーチャー!何で後で処理するために箱に入れたのを戻した?!すまない』
『あー、咲夜、何て言ってるかわかんないけど、大丈夫……ではなさそう』
『あいつは後でぶん殴るとして___』
『殴っちゃダメ!この方たちもちゃんと埋葬して!これじゃあんまりよっ』
『らしいよ、シリウス』
『こりゃ参った。よし、とりあえず部屋に行こう。入る前に一度確認してからな』
『一応謝りはする、ごめんなさい。でも事実だとは思い続ける』
『ちょ、咲夜』
『本当のことでしょ!何かが違えばもっと被害が多かったかもしれないけど、逆にもっと被害が少なかったかもしれない!ハリーがあんな家で過ごさなくてよかったかも!』
『咲夜の言う通りさ。そして彼女が言っている通り、もちろんそれは全部、もしもの話』
『ああもう、部屋に戻る!!』
『……どうも彼女に泣かれると、参っちまう』
『パッドフット、彼女、ハリーより年上とは言え、凄く未成年だからね。その顔していい年齢じゃないからね』
『そんな凄い顔か?』
『そりゃあもう、今すぐそこの床でも壁でも天井にでも張り付けるか埋め込んで、拘束しといたほうがいいんじゃないかと思うぐらい』
『人の趣味に口を出す義理は無いけど……それは無いと思うよ、シリウス』
『ハリーに言われるほどか?!』
『あれ、タトゥー入れてるの?シリウスって、指に』
『首とか胸にも入ってるよ』
『なっんでお前が言うんだ、ムーニー!』
『どこ?あ、それを隠すためにいっつもそういう服着てたのか』
『ああもう!ったく、そうだよ、ほら、宿題』
『すぐ終わるよこんなもん……』
『日本人では珍しいんだっけ?タトゥー』
『珍しいというか、あまりいい顔されない、ヤバい職業の奴ってイメージ強くて。最近は入れることを言う人も多いけど、制約も多い』
『見たいってさ』
『いや見たいとは言ってないよ?!』
『いいじゃないか、見て減るものではないし。ねえ?』
『だから、何でムーニーが話してるんだ……首は収監される時に彫られたから少し別だが。ほら』
『うわぁお………痛い?』
『正確には痛かった、だ。もうずいぶん昔に入れたからな……顔には何もないだろ』
『あ、ごめん、日本でよく見る黒髪だからよく親近感持つんだけど、目は綺麗な灰色なんだなって、日本じゃそうそう見ない組み合わせで。それを別にしてもきれいなんだなぁと』
『咲夜』
『どうしたの、ハーマイオニー』
『シリウスが困ってるから、やめてあげて』
『え、私何か変なこと言った?!わー、ごめん、シリウス!』
『シリウス、耳真っ赤っか!』
『言わないでくれ、ハリー、頼むからっ』
『『『ちょー可愛いー!』』』
『何見て……クリーチャー!おま、どっこからアルバムを、おい逃げるなー!』
一瞬で消えたクリーチャー、逃げ足が速いなと笑うが、すぐに私たちの視線は手元に戻った。ブラック家秘蔵のアルバムをクリーチャーから貸してもらったのだ。完全に現ブラック家当主への当てつけ目的である、草しか生えん。
ブラック家として、そしてシリウス本人が作ったアルバムもある。若かりし頃のウィーズリー家のご両親や、ハリーのご両親も時折写っていて、とても楽しい。
『あ、これスネイプ教授じゃない!?』
『目つきそのままじゃん』
『何か文句でも?』
『『『ありませーん』』』
何故か遊びに来ているスネイプ教授。遠くから投げられた言葉には適当に返事をして、ページをめくる。その瞬間、悲鳴が上がった。
「バルス!バルス!リア充撲滅!リア充退散!」
『シリウス、アルバムに何の写真載せてるの?!』
『あいつはなかなかのプレイボーイだったぞ、毎週のホグズミードに連れていく彼女は毎週変わっていた』
『シリウスもやるねぇ』
『さっすが~』
スネイプ教授から明かされた衝撃の過去に、ひゅーひゅーと双子が囃し立てた。これは誰だ、あの家のお母さんか、いやそれは髪色が違うなどと盛り上がっている魔法一族。やめろドラコ、冷静に考えなくていいからこの写真の背景は。
冷静に分析しているドラコの背後に、息も絶え絶えで肩で呼吸を繰り返すシリウスが戻ってきた。皆が注目している写真に気付いて、今世紀最大のため息をついた。自業自得って、こういう事を言うんだな。マジ笑う。
『それだけは、それだけは見てほしくなかったんだよ……』
『『誰に~?』』
『フレッド、ジョージ、本当にお前たちは、そういうとこだぞまじで……』
『あ、これ、ハリーのご両親じゃないか』
『確かに外見は似てるねぇ。なるほど、眼が……ほげぇ、遺伝って不思議』
カラー写真は時代ゆえか、当時のご時世故か、将又イギリス魔法界の技術の遅さのせいか、そんなに多くはないが、たまたま、ハリーのご両親のツーショットは、カラーだった。確かに、よく彼らを知る人たちから言われる外見のそっくりさは、納得のものだった。感嘆の声が漏れる。
『間抜けな声だな、あ、お父様とお母様かこれ?!』
『おお、お二人ともかわちぃね』
『何で可愛いになるんだ。だが、新鮮だな。あまり写真は見せてもらったことがない』
『そっくりだな、ドラコの生意気な面とこの写真』
『お前のそのお間抜け面もだ、ロン』
喧嘩はするなよと、力の抜けた声で忠告するシリウス。それにまた私たちもまた笑いつつ、最後までアルバムを読み終わった。部屋の掃除中に掘り出してきたらしい、シリウスの母親がまだご存命だったころは、まだ職務を放棄していなかったと。
戻ってきたクリーチャーに礼を言って、アルバムを返した。もうシリウスには彼に文句を言う体力はないらしい。ふと思いついたように、団子のように固まっていたのをとくと、ジニーが私に向かって言った。
『咲夜は?何か写真とか、持って来てないの?』
『無いよ。捨てたんじゃなかったかな。いや、兄に預けただけかも』
『捨てた?!家族写真をか』
『昔の写真全般、卒業アルバムは残したかも……つるつるすべすべの私の写真、日本にあるかもね』
『昔の咲夜の写真、見たい!』
『だめぇ、あるかもどうか、保障も無いし』
嘘だ。私、もうアルバムなんか持ってない。アルバムにまとめるほど、写真を残さなかったから。ほんの数枚、私と兄だけが載っている写真、それもほんの数枚だけ、残して、他は全部捨てたから。兄は何も言わなかった。彼がこれからメディアに出た時、ヴィランが一緒に映っていたら、その後の活動に、大きな支障が出る。それをわかっていたのかも。
『その傷、本当に痛くないんだよな。お前、嘘をつくのが時々本当に上手くなるから、心配になる』
『お褒めの言葉、嬉しいね。ドラコ、痛くないよ。心も傷も』
『咲夜はお母さんに似た?それともお父さん?』
『さあねぇ。この傷を得てからは、もう誰にも似てないよ。最高にかっこよくなったから大満足だけど』
さあて、飯の準備を手伝いますかねと言って話を切り上げて、その場から立ち上がった。いつも鏡を見て、残念に思っていたのだ。小学生の頃、魔法使いにならせてもらえなかったあいつらに本当にそっくりだった。でも今じゃどうだ。あいつらの影も形も無くなった、数少ない救いだった、あの事故に遭ってからの。
『ついでにつまみ食いするかぁ!』
『それはお断りいたします。デザート、抜きにしますよ』
『やだなクリーチャー、冗談じゃん、じょーだん!』