題「異なる命との絆その交わり」「へみゃ!」
「おはようございます、ヘムさん。今日も葉っぱがつやつやですね」
マルメローゼのテラス席の真ん中で、リシェロが深々とお辞儀をした。その相手はヘム。
ゼラルディアの土地から顕現した精霊であり、ラベレアの使い魔だ。
リシェロは生き物の言葉を理解し、全ての詩を全ての言語で歌うことが出来る存在である。
故にリシェロは、ヘムの言語を解することができるのだ。
ルジュエとの待ち合わせにマルメローゼを使うことが多いリシェロは、食事ができない代わりにハーブを乗せた水を注文する。
陽射しの気持ち良いテラス席に座り、ティーカップを片手に本を読んだり絵を描いたりしていたので、日向ぼっこをしにやってくるヘムと会話をする機会は自然と増えた。
「おや、ヘムさん。今日は変わったもノを敷いていらっしゃいますね?」
「め?」
「どなたかノお洋服でしょうか」
「にゃ!ぬぬ、へみぬに」
「――ああ、ソルクス様ノでしたか」
ソルクスとヘムが一緒にいる姿を、リシェロは何度も見かけている。
ヘムがソルクスの服のフードに入っている姿も、もちろんだ。
仲良しなんだな、とリシェロはその様子を微笑ましく観察していた。
それに。
「ヘムさんは、最近ソルクス様ノお話ばかりですね」
「みゃ!ぴょ〜……へみぬに、へみゃへみゃみゃ、にゃいにゅへむぅ」
「ふふ、そうですね。ヘムさんが見ていてあげないとですね」
「ぴゃー、へんむにへみぬに、へみへみみゃうめぉへみ、にゃいにゅ」
「ヘムさんはとても頼りになります」
リシェロはヘムの言語を理解できるので、ヘムからソルクスのことを何度も話に聞いていた。
ヘムから聞くソルクスとのやりとりには、どれもたいてい『ヘムとのコミュニケーションを難解だと感じているソルクス』が出てくるが、ヘムはそれをリシェロに楽しそうに話すので、リシェロもほのかに笑みを浮かべながら耳を傾けた。
「ヘムさんは、ソルクスさんノ事が大好きなノですね?」
「みゃー、みょみょにゃみゃあ」
「リシェロはソルクスさんがとても羨ましいですよ」
「に?」
「言葉なくとも繋がり合える、それはとても素敵なことですから」
話が難しかったのだろう、くぁ、と欠伸したヘムが頭の双葉を伸ばして目を瞬かせたので、リシェロは慌てて下敷きになっているソルクスの服でヘムを包んでやる。
「申し訳ありません、お昼寝ノ邪魔をしてしまいましたか?」
「ぬぬ。へみぇみょ、にゃみゃ」
「ありがとうございます、ごゆっくり」
程なくして、ぴすぅ……ぷすぅ……と健やかな寝息を立て始めたヘムだったが、それをじっと見つめていたリシェロは、何かを思い立ったのか外套のポケットからスケッチブックと色鉛筆の入ったペンホルダーを取り出した。
ソルクスの服にくるまれすっかり寝入るヘムを正面にするよう座り直し、まずは美しい緑色の色鉛筆を取り出し、いくつも丸を描いた。
「マルメローゼノ庭、陽光ノ下で微睡むヘムさんが見る夢……ソルクス様……幸せノ記憶たち……仲睦まじい姿……」
インスピレーションが湧いたのか、リシェロは色鉛筆を取っ替え引っ替え、スケッチブックいっぱいに色を乗せていく。
「あ、リシェロさんだ……リシェロさ」
「シッ!リサやめといた方が良い!」
「えっ?」
遠くから声をかけようとしたリサの口を、気づいたリクが後ろから塞いで、そのまま建物の影まで引きずり身を隠した。
口元に人差し指を立てたリクが、訝しげにするリサに耳打ちする。
「リシェロさんがスケッチブックを手にしてる時は近寄らないほうが良いって、ルジュエ君とアマル君から聞いてるだろ!」
「あっ、そうだった……!」
そっと隠れながら様子をうかがう二人が目にしたのは。
「ソルクス様……ザリアの高潔なる騎士……身に纏うは清廉とした白と、気高き紫……優しくも深い海ノ色に似た瞳には青をいくつも重ねましょう……そノ瞳はヘムさんノ橙を映し輝き……明るい太陽ノ御下で育まれる異種ノ絆……」
真剣に、しかし狂ったように鉛筆を走らせるリシェロの姿だ。
「ソルクスさんとヘム描いてるんだ」
「ダメだ、もう止められない……」
二人は青褪めながら、しかし逃げることも出来ず最後までその様子を見守っていた。
****************
ソルクスが急場の仕事で呼ばれてから、マルメローゼに帰ってきたのはその三日後。
マルメローゼでの食事中に部下から呼ばれたものの、服のフードの中で眠っていたヘムを起こすにしのびなく、ヘムを寝かせたままそっと服ごと置いていったのだ。
数日経った……しかも夜になってようやく取りに帰ってくることが出来たソルクスは、時間が時間なのでなるべく音を立てぬようマルメローゼの扉を開けたが。
「へみぬに!」
ソルクスの服を器用に耳に引っ掛けたヘムが、既に扉の前で待ち構えていた。
「みゃ!みみゃめみ!」
「しーっ」
「ぬ」
「――待っててくれたのか?ありがとう」
「みゃ」
疲労混じりだったソルクスの表情が和らぎ、身を屈めヘムの頭の葉をじっくり撫でてから服を拾い上げる。
防汚防塵加工のされた服は、大した汚れやほつれもない。
ソルクスは手で服を少し払ってから羽織ろうとするが、ふと、服の中からはらりと一枚の紙が落ちてきて、気づいたソルクスはもう一度屈んでそれをつまみ上げた。
「絵……なのか?」
緑を一面に塗りたくったその上に、右上から白の斜線を狂ったように走らせた色鉛筆画。
それは、陸揚げされ必死に水を求める魚が苦しみながら悶えびちびちと跳ねたような痕跡の橙が血痕の如く飛び散り、中央には黒や青に紫などをあっちこっちにかき混ぜてから渾身の力で叩きつけたみたいな、奇っ怪な色が乗った絵だ。
眺めていると、なんだか目がちかちかとし頭が痛くなる気がして、腕を伸ばし少し遠巻きから絵を全体から見てみる。
だが、何の絵かはさっぱりわからない。
脳が理解しようとするも、情報を処理しきれない。
そもそも人が理解するにはあまりに難しい気がしなくもない。
「……………………」
「みゃ!へみぇみょ、へみぬににゃ!」 「え?」
「へみぇみょ、へむみょ、へみぬに、にゃいみゃ!」
自慢しているのか見せつけてくるのか、何かを伝えんとぐいぐいと寄ってきては力強く語るヘムの素振りに、ピンときたソルクスはヘムの頭を撫でながら答えた。
「わかった、ヘムが描いたんだな!すごいじゃないか、絵が描けるなんて知らなかった!」
自信有り気なソルクスの言葉を聞いた途端、ヘムの真ん丸い瞳が急にスンッ……と虚無に凍りついたような気がして、『俺はまた、何かを違えたのだろうか……』と愕然とするソルクスは、あっさり背を向けて去るヘムを追いかけることが出来なかった。