日向に咲う、薔薇の花。「お誕生日おめでとうございます、オーナー・ラベレア……っと」
リシェロがマルメローゼの扉を開けると、扉のベルもろくに聞こえぬほどフロアは賑わっていた。
フロアにいる客は、各々の手に大小さまざまなプレゼントを持っている。
皆、同じ目的で集まっているようだ。
今日は、カフェマルメローゼのオーナー、緑の魔女ラベレアの誕生日である。
誕生日の前々から、リクとリサやマルメローゼのスタッフたちが触れ回っていたため、客たちはみな随分と前からこの日を知っていた。
勿論、リシェロの耳にもそれは届いていて、ならば祝わねばと旅の合間に訪れたというわけだ。
よく見ると、カウンターに花の鉢やプレゼントの箱などが置いてあり、更には置き切れなかったのだろうものまで山積みになっている。花鉢の名札にはリシェロが知っている名前の店も多くあって、マルメローゼの……ラベレアの愛される人柄をあらためてうかがい知ることが出来る。
「あっ、リシェロさんだ!」
「久しぶり、リシェロさん!いらっしゃいませ!」
「リクさんリサさん、お久しぶりです」
混み合う人々の間を縫いながら、リクとリサがリシェロの元にやってくる。
抱擁を交わしたリシェロは、忙しさに乱れたのであろう二人の結髪を手櫛で直してやりながら問う。
「オーナー・ラべレアは、あの中ですか?」
「うん、そうだよ」
「すっごい人だかりだよなあ。さっすがオーナー!」
「なんでリクが得意そうなの?」
フロアの真ん中にひときわ人が密集している場所があり、恐らくその中心にラベレアはいるのだろう。
黒い帽子の先端が、人だかりからひょこりと見えるのみ。
たくさんに好かれる方だから当然だろうと予想はしていたが、想像以上の混雑ぶりにリシェロは苦笑いした。
「どうやら、今日中のご挨拶は無理そうですね……日を改めましょうか」
「えっ、リシェロさんもお誕生日お祝いしに来てくれたんでしょう?もう帰るの?」
「はい……大変申し訳ありませんが、代わりに渡していただけませんか?」
リシェロがリサに手渡したのは、ボタニカル柄の包装紙に包まれたプレゼントだった。
縁に金のラインが施された白く細いリボンが、十字に結ばれている。
「中身、聞いてもいい?」
「ガーデニングエプロンです。お外でお仕事をするノに良いノではと、相談して決めました」
「相談……へぇ」
「ねえ、やっぱりリシェロさんが渡したほうが良いんじゃない?」
リサがプレゼントを返そうとすると、リシェロはゆっくり首を振って笑う。
「リシェロは、まだこれから長い時を過ごします。何回でも、オーナー・ラベレアノお祝いをすることが出来ますが、あそこにいらっしゃるお客様ノ中には、そうはいかない方もおります故。そノ方たちとノお時間を大切にしてほしいノです」
人だかりの切れ間から、ラベレアの顔が一瞬のぞいた。
その笑顔が照れや喜び、興奮にほの赤くなっているのを見て、リシェロは満足そうに微笑んだ。
ラベレアも、長くを生きる運命の人。
孤独の寂しさを理解しているからこそ、リシェロはラベレアが人に囲まれているのを見て、それがずっと続いてほしいと願うのだ。
「カフェマルメローゼに出会えて、本当に良かったです。リシェロはまた来ます。では」
「あっ、ちょっと……!」
プレゼントを今日中に渡せて良かった。
ライヘンと相談して選んだエプロンに、万が一会えなかった時のための手紙も一緒に包んであるから、このまま立ち去っても全く問題ない。
――けれど、一言くらいは祝いの言葉を言いたかったかもしれない。
自分勝手だが、ありがとうを聞きたかったかもしれない、など。
ほんの一匙の後悔を飲み下し、躊躇う足を前に進め、カフェの扉を押し開け外に出ようとした。
その時だった。
「へみみょ!」
どこからか呼ばれた気がして、リシェロは振り向いた。
一瞬辺りが翳り、照明が消えたのかとリシェロたちが上を向いたその時だった。
「へーみーみょーーーーっ!!」
逆光で見えづらいが、丸い何かが真上に現れぐんぐんと迫ってくるなと思ったのも束の間、それは、パァン!!という小気味の良い音でもってリシェロの額をひっ叩き、華麗に床へと着地した。
「へみっ」
ラベレアの使い魔・ヘムである。
「ァァァアアア!リ、リシェ、リシェロさんっ!!ごめんなさいほんとすみません!」
「ヘム!?お客様、リシェロさんはお客様だよ!?この間ソルクスさんにもやってたけど、こういうの良くないと思うなぁ!!」
「リシェロさん大丈夫?!痛くない!?こ、こ、こういうのって労災?保険とか適用になるの?」
「リクさん、リサさん、慌てずに。大丈夫です。リシェロは賠償を請求しません。損傷は軽微です」
「おでこが引く程赤いよぉ!!」
わあわあと慌てるリクとリサをよそに、リシェロの額を叩いた当の本人であるヘムは、額を押さえるリシェロを頭の葉で指差し、珍しくキリッと凛々しい表情をしている。
その圧に気圧され後ろずさったリクとリサの間を通りながら、ヘムはリシェロを見上げ静かに語りかけた。
「へみみょ、へみゃみゃみゃい……みゃみゃいよ、ぬにぇにぇみょ」
「いえ、しかし……オーナーはお忙しい身で、皆様に愛されており、リシェロが皆様ノ貴重なご挨拶ノお時間を奪ってしまうのは」
「みみゃ。みょみょみゃみょにゃい!へみみょ、みゃみゃみぇ!」
頭の双葉でリシェロの脛を叩くヘムを見下ろし、リシェロは感激に震える口元をそっと手で覆った。
「ヘムさん、弱気なリシェロを励ましてくださっているノですね?なんとお優しいノでしょう――」
「へみゃ」
「なんか、通じ合ってる……」
「ほんとに言葉分かるんだ……」
呆然とするリクとリサだったが、さっきの騒ぎで背後がざわざわとし始めたのにようやく気づいた。
そして、その騒ぎは勿論人だかりの中心にいる彼女にも届いている。
「リク!リサ!どうしたの、大丈夫?」
やってくるラベレアの姿を見て、リシェロは一瞬プレゼントを背後に隠したものの、リクとリサに腕をとられて前に出さざるを得なくなった。
「リシェロさん。やっぱり自分で渡そう?命が長かろうが短かろうが、お祝いをしたいって気持ちはみんなと変わらないでしょ?」
「今年の誕生日は今しかお祝いできないんだよ?」
「へみ!」
「皆様……」
本当は、プレゼントを渡したときの笑顔が見たかった。
『生まれてきてくれてありがとう』を伝えたかった。
あふれる程の感謝の気持ちを、この機会に伝えたかったのだ。
『リシェロ、貴方は素敵な場所をお友達に教えてもらったのね。なら、その場所を作ってくれた彼女を、精一杯の気持ちでお祝いしてあげましょう』
プレゼントを一緒に選んでくれた『彼女』の言葉が浮かぶ。
リシェロは勇気を振り絞って立ち上がると、駆け寄ってきたラベレアに親愛の抱擁をしてからプレゼントを差し出した。
すう、と息を吸い、そうしてからゆっくりと言葉を紡ぐ。
「お誕生日おめでとうございます、オーナー・ラベレア。そして……たくさんたくさん、ありがとうございます。リシェロは、貴女に会えて良かった」