今日は誕生日 視界が白に塗られていた。
次の瞬間、それは弾けるように青色へと変わった。
考えるより早く左足がスライドする。開いた両足の裏で地を踏みしめ、視線だけ下げてみれば、地面に沿ってあらゆる向きへ飛び出した薄い灰色たちが身体の下に広がっていた。
動きを等しくしながら重なり合っているそれらの中心、踏んづけた地に、たまっていたのは濃くて暗い墨の色。
そして、ひとつ瞬けば、今度は世界が虹色に埋められていた。
何もなかったと思う。
サカズキは歩いていた。今日は朝から通常業務を妨害されなかった。真顔でそんなことを考えながら、書類を手に、もくもくと足を進めていた。
部屋の前についた。そして部屋のドアを開けた。
ここまでがサカズキのしたことである。
どこに問題があっただろうか。
ノックをしたのだ。直後に扉を挟んだ向こう側で、何かが崩れる音がした。人の動く気配、バタバタバタと喧しい振動までもがこっちに伝わってくる。
は? と。ちょびっとだけサカズキは不審に思った。
それでも再度ドアを叩いた。声が聞こえた。在室を確認。
そこで、大して気にせずにドアを開けたのだった。
ドアは勢いよく閉まった。
「……は?」
今度こそ零れ落ちる低音。サカズキの手は扉に触れたまま、しかし目の前には閉じられたままの扉。流石に予想外であった。
書類を提出しに来ただけだ。何の問題があったか。サカズキは無言で眉を顰める。
ーーほんの一瞬、光が見えた。あれは。
視線を上にあげれば、ここが己の目的地としていた部屋であることを示す看板が目に入る。間違えたわけではない。
どうも扉の向こうは騒がしかった。バッタンバッタン。ガチャン。何か割れた気がする。
サカズキは口角を下げて扉から手を離した。別にドアを壊して入っても良かったのだが、ボルサリーノに締め出されたのは気になった。何か重大な理由があるのかもしれない。
ということでサカズキは姿勢を正した。勢いよく閉められたためにヒビが入っている気がしないでもない扉の前で、仁王立ちをして待機することに決めた。
その瞬間である。無地のネクタイを揺らしたモジャモジャがドアの隙間から姿を見せた。
ーークザン。
言うより早く謎の白が迫ってくる。顔面に触れたのは感覚から推測するに布製の何か。唐突にサカズキは白一色の世界に身を置く羽目になった。
反射的にマグマで溶かしかければそれは急速に冷やされ、次いで冷気に乗った「ちょっとごめん」を耳元で聞かされた。
「クザン」
「おれの為に何もしないでこのまま進んで」
「あ?」
「いいから」
背中を叩かれる。何か知らんがこいつは後で殴る。サカズキは物騒な決め事をしつつ、仕方なく言われた通りに開いたドアを潜り抜けた。布を被ったまま部屋へ足を踏み入れる。
そして、視界は明るくなった。遮るものが取り払われた、そう認識した途端に目に飛び込んで来たのは、クザンの青いシャツ。
なんか近すぎる。そう思うのと、クザンの手にあった布が大きく広げられ、部屋中が光と音で満たされるのはほぼ同時だった。
サカズキ誕生日おめでとう
布に書かれていたらしいデカデカとした文字と聞こえた音声の言わんとすることは同一である。
サカズキはつい目を大きくした。口を僅かに開いたまま、虹色に点滅する部屋をポカンと眺める。
上を見た。天井には輝くミラーボール。ここにこんなもの在っただろうか。
下を見る。多方面に向いた影が流れるように踊っている。
右を見る。クザンが無理矢理に固定し、壁に貼り付けている白い布。乗っている文字の色は蛍光ピンクだった。何故かは聞かないでおく。
前を見る。煎餅やらおかきやら、色々なものが机上で虹色にくるくると光っている。
左を見る。ボルサリーノ。呼べば、間延びした口調で謝罪の言葉をくれた。
「ごめんよォ〜〜、サカズキィ。締め出しちまったねェ〜〜」
「そりゃぁええが、なんじゃァこれぁ」
仁王立ちのまま静止して、サカズキは前と右をガン無視した。そこそこ大きな困惑の中にいるサカズキに対し、ボルサリーノの目は笑っていた。
「誕生日だろォ」
「…………ほうじゃったな」
「プレゼント預かってるよォ〜〜。受け取っときなァ」
机上を示すボルサリーノの指先を追って前を見る。やはり虹色おかきと虹色煎餅がある。
おれのやつもソコの箱にあるから! と言う声が右から聞こえた。確かに虹色の箱も確認できた。
「おん……。のう、どがにしたんじゃこのミラーボールは」
「なんかガープさんが持ってきた」
「ほうか。ならさっき割りよったんは何じゃ」
「あららら、聞こえてた?」
「センゴクさんのコップだねェ〜〜。わっしからのもその箱に入ってるよサカズキィ」
呆気に取られるサカズキを他所にクザンとボルサリーノが色々と話し始める。聞くところによれば、これはサカズキが最後の書類を持ってくるのに合わせて計画されたものらしい。計画した人達は煎餅とおかきを置いて席を外している。サカズキが想定より早く来たのでクザンとボルサリーノでセットした。もうすぐ戻るだろう。纏めるとこういうことだった。
サカズキは、ひとつ息をついて虹色の光が泳ぐ幕へと視線を向けた。やはり蛍光ピンクで書かれた文字には異常に目を引かれた。
壁には先程取り付けられたであろう装飾が確認できる。そして隅の方には、先程片付けられたであろう椅子類、そして臨終したてらしき陶器の破片が纏められていた。
おめでとう。短い祝いの言葉に、知らず、少しだけ、本当に少しだけサカズキの口元が緩んだ。
「これ燃やされたらおれが怒られるのよ」
壁に寄りかかった男が蛍光ピンクをトンと叩いて呟いた。
「それは」
「おつるさん作」
「…………」
ーー焦がした気もするが。
今度は唇をへの字に結んだサカズキに、クザンは肩をすくめて笑ってみせた。
「ま、ちょっと焦げるくらいは予想の範疇でしょ」
サカズキは顔をしかめ、続いて無言で体ごと左に向けた。先程から絶えず笑みを向けられ続けているのだ、ボルサリーノに。こちらをじっと見てニコニコしている。
なんじゃ。確かめようと口を開きかける。その時背後からぼやく声が届いて、出かかった言葉を飲み込んだサカズキは思わず再び振り返った。
「にしてもお前さ、書類あげるの早すぎない? それこそ想定外だったんだけど」
「ああ……今日は邪魔が入らんかったけぇのう」
「なら邪魔しに行きゃあ良かったか」
「いらんわい」
クザンの軽口を受け流せば口笛が返ってくる。
この同僚の雉、今日は何故かどことなくテンションが高い。なぜだ。
やはりまた放置して、サカズキは再度ボルサリーノに向き直った。今度こそ尋ねようとすれば、先にボルサリーノの方が口を開いた。
「サカズキィ、センゴクさんに提出する書類があるんだろォ〜〜?」
「……? おう」
「それかァい?」
言われて、サカズキは手元を見た。来たときから、完成させた書類を握っていたのだった。
「……………………」
「ぶはっ」
サカズキは言葉を失い、クザンが飲んでいたコーヒーを噴き出した。壁に噴射されたそれを慌てて拭きつつ大笑いしている。
握ったサカズキの手の中、濃くて暗い墨の色をした、紙だったナニカだけが存在していた。
確か。能力を使いかけたのは、謎の白い布に覆われた瞬間であった。そうサカズキは思い返した。
「悪かっ、悪かったよサカズキ……っはは」
ここに爆笑している男がひとり。すぐ隣にはやっぱりニコニコと笑っている男がひとり。
サカズキはボルサリーノを見る。そして。
「………クザン」
「え、ちょ、タンマ……!」
サカズキの手が赤く光り始めた。ついでに黒かったボロい何かは完全に消滅した。クザンの顔が引きつる。
後で殴ろう思うちょったんじゃ。サカズキは壁側に向き直った。
部屋に鈍い音が響く。サカズキの決め事が無事達成されたのを、ボルサリーノだけが一部始終見守っていた。