Nムルヒス 小さな町に潜む異端を残らず浄化する任務も終盤に近づきつつあった。
後は生き残りがいないかどうか隅々まで探し回りながら、見せしめ目的で串刺しにしたのを順番に設置する作業が残っている。
できればやりたくないとヒースクリフは、積み重なった鉄くずの山を前にますます憂鬱な気分に沈んだ。オイルと血の混じった嫌な臭いに何かを燃やした悪臭があちこちから漂ってくるのが余計に落ち込ませた。
かといって最後までやり遂げないと先輩から殴られるうえ、ひどいと折檻も追加してくるので取り組まなければならない。
死体を弄るのはもう何回もやったことなんだ。と自分に言い聞かせながら、串刺しに使う大きな鉄串を運ぶ作業を再開する。
頭部ごと胴体を貫かれた成れの果てを数人の小鎚たちで時間をかけて並べ終えたタイミングで、帰還の号令がかかった。
「…帰っても、教典の暗記かあの缶詰を食わされるかのどちらなんだよなぁ…」
ぼそりと呟いた小鎚の本音にヒースクリフは静かに頷いだ。
そうだ、ミス無くこの作業を終えても、肝心の先輩たちは当たり前だと言わんばかりの態度で流すだけだし、拠点に帰っても何もいいことがない。
ほぼ愚痴に近いことを同時に思い浮かべるも、誰も脱走の案を言い出す者はいなかった。この狂った状況に耐え切れなくなった仲間が脱走した結果を知っているからだ。
人間の言葉を失い、四つん這いの格好で徘徊するだけの存在に変えられた仲間を思い出してしまい、ぶるりと大きく身震いをする。
ここは大人しく帰ろう。と誰かの言葉を合図に小鎚たちがぞろぞろと帰路を辿り始める。
ヒースクリフも帰ろうとしたところで、見覚えのある人物の影を視界の端で捉えた。
「あっ……」
気づけば、ある人物の元へ駆け出していった。
相変わらず血なまぐさい空気が充満していて、物音一つすら聞こえない場所に大鎚ムルソーは佇んでいた。
手足をだらりと垂らしながら串刺しされている異端を無言で眺めているところにヒースクリフが恐る恐ると近づく。
「お、大鎚様…」
「……」
返事の代わりに濁った深緑色の目がこちらを見てきたのに、ギクリと背が丸まる。
顔を合わせるたびに少しずつ会話を重ねてはいても、こちらから切り出す勇気は未だ身についていないままで、楽しくなれそうな話題のネタも持っていない。
とりあえず、こちらでやってきたことについて報告から始めてみようか。
意を決したヒースクリフが口を開いたと同時にムルソーの手が相手の口を触りだした。親指が口の端を何度も擦ってくる。
「あの、何で、何か気になることでも…?」
「返り血ではないのが気になった」
ムルソーの言う通り、吐血したかのような赤黒い痕がこびりついていた。
最初は異端を燃やした際の臭いが移ったのかと思っていたが、改めて嗅いでみると髪だけじゃなく甲冑の下からも焦げた匂いがするのに気づく。
普段から血脂の刺激的な匂いに囲まれた日々を送っているので、嗅覚に意識を集中していなかったら見逃していただろう。
「…ヒースクリフ」
「……」
浄化をするつもりが反撃を受けました。
なんて先輩に知られてしまったら、信仰心が足りない未熟者だと罵倒される程度じゃ済まないのは痛いほど思い知らされている。
ごっそりと引き抜かれそうなぐらいに髪を掴まれながら揺さぶられては激しい罵倒に強めの平手打ちを何回か受け、睡眠時間を没収されたうえで経典の暗記をさせられた日を思い出してしまう。
開きかけた唇がガタガタと震え、紫色の瞳が左右へ忙しなく揺れる。
「”異端から攻撃を受けた”という醜態を咎める者はここには居ない。何があったか報告をするんだ」
「……はい」
大鎚様は落ちこぼれの俺を痛めつけるようなそんな真似をする人じゃないんだ。
ここで浄化された異端の中にはスタンガンのような武器を持った者もいた。
ちゃんと甲冑を身につけていたおかげで直接、体に押し付けられなかったとはいえ、気絶しそうになったほどのダメージを受けてしまった。
内臓を激しく揺さぶられたような気持ち悪さが今でも続いている。
それでも運良く生き残ったのは、そこらの廃材を組み合わせた正式じゃない武器だからこその威力に救われたと感謝してもいいのだろうか。
「本当に、まさか、そういうのを持っているとは思わなくて…」
実際にあった出来事について正直に打ち明けると、ふむ…と何かを考え込むような声がムルソーの口からこぼれた。
「確かに、あの異端どもは工房から仕入れたとは思えない武器ばかり持っていた」
「しかし侮ることなかれ。急所が多い腹部を狙われたのは紛れもない事実だ、その辺は分かっているな?」
問われたヒースクリフは素直に首を縦に振った。ムルソーも静かに頷く。
「…目に見えていないだけで内臓に傷がついている可能性もある」
とここで一度、言葉を切ったムルソーはマスクに似た機械に手を触れ始める。
相手が何をしようとしてるかを察したヒースクリフは、慌てて制止しようと手を伸ばしかけたところで額を手で押さえられ、渋々諦めた。
金鎚の中でも出来が悪いとレッテルを貼られがちなヒースクリフは、先輩たちから教育されることがほとんどだった。むしろ一回も受けずに一日を終えれたら奇跡なぐらいだ。
目の下、片頬、後頭部とあちこち痣だらけな彼に何を思ったのか、ムルソー自ら生命水を分け与えてくる時があった。特に過激な教育でボロボロになっている日は。
だから今回も、内側からダメージを与えられたと思わしきヒースクリフに直接、口移しで生命水を飲ませようとしていることになる。
子供の頃に見かけた親鳥から餌をもらおうと必死に嘴を開ける雛鳥に自分がなっているようだ、とヒースクリフはなんとなく思う。
甲冑の分も足して身長も体格も上な大鎚様から与えられる"水”を受け取るために、自ら見上げては口を開けているのが余計に。
赤黒い汚れがついた手袋をはめた手がヒースクリフの上顎と下顎の接続部を押さえては更に開かせようと、指に力を込めてくる。
もう一方の手も相手の額に添えたまま、天を仰がせた体勢に固定させようとする。
少しだけ開いた口の隙間から緑色の水が一滴ずつ落ち、ヒースクリフの口内へ吸い込まれる。
舌に当たるたびに涙に似たしょっぱさがじんわりと広がるのが気になるけれど、大鎚様が与えるモノに文句を言うのは失礼だと自分に言い聞かせることで、なんとか堪えた。
ふと深緑色の瞳と紫色の瞳が合わさったのにヒースクリフがドキリとしたのに対し、ムルソーは微動だにしない。相手の口近くへ顔を近づけることしか考えてないようだ。
接吻しそうな位置まで距離を詰めたタイミングで、ムルソーが一気に口を開けた。
口内に留められていた緑色の液体が小さな滝みたいに上から降り注がれる。
突然の瞬間にヒースクリフが目を丸くさせているうちにも、ビシャビシャと遠慮なく注ぎ続ける。
途中で酸素を求めたくなったのか、ごぽっと喉奥から空気が漏れる音がした。
咄嗟にヒースクリフが口を閉じかけると、すかさず親指が下唇を引っ掛けて妨害しにかかる。苦しそうに表情を歪ませても一滴残さず飲ませる気でいるらしく、手を緩めてくれなかった。
ポタリと落ちた一滴を最後に、ムルソーの手が額と顎から離れる。
「う゛っ……」
口の中にいっぱい溜まった不快さや違和感にヒースクリフは背を丸めると、今度は口を塞がれてしまった。やや力強く手で押さえつけられる。
初めて飲まされた時も思わず吐き出してしまったのをムルソーは密かに気にしているらしく、嘔吐を察するとこうして塞いでくるのだ。
ぱんぱんに頬を膨らませたヒースクリフの両目からじんわりと涙が浮かぶ。
ぐっ、ぐえっ…、ぐぅっ…と苦しそうにえずぎつつ、ゴクンッと大きく喉を鳴らす。
その直後、腹部に感じていた痛みが引いていき、十分以上に水分補給が出来たみたいなスッキリした気持ちも感じた。
膨らんでいた頬がへこんだのを機にやっと解放される。
「ごほっ…全部、飲めました…」
「…よくやった」
「……」
ここにいる限り、落ちこぼれの俺は怪我しない日なんてないのに何で毎回、水を飲ませるんだろう、と思わないことはないし、前からずっと思っている。
大鎚様も口にしてるのを知っているとは言え…と思いかけたところで、ここまで行くと流石に恩を仇で返すようだと思い直したヒースクリフは、ムルソーが次の言葉をかけてくるまで、黙ることにした。