ムルヒス『手当て』 勢力を拡大したい目的で侵攻してきた敵ギャングを返り討ちにした後、逃げた一人を遠くまで追いかけていったヒースクリフが額から血を流しながら戻ってきた。
ちょうど戦利品を漁り終えていたムルソーは、興奮が収まらない相手の襟首を掴んでアジトへの帰還を促した。
消毒液を浸した布切れを相手の額にできた傷口に軽くあてると、痛がるような声をあげてヒースクリフが身を身じろいだ。
切れた傷口から垂れる血を吸って布切れの端が赤黒く染まっていく。
大きく背を反らそうとしたところをムルソーがすかさず二の腕を掴んで引き留める。
「動くな、最初のうちに適切な処置をしておかないと後で膿ができる」
「そういうのは唾をつけるなり、水で洗い流すなり適当でいいんだよ」
トン、トン、と軽く触る程度の優しめな手つきでムルソーが消毒を続けるのにヒースクリフは居心地が悪そうに顔をしかめた。
「もういいって、兄貴」
「ダメだ、顔の傷は特に慎重に扱わなければならない。瘡蓋が固まっていないうちは再出血することもあり、精細な目や口に菌が移るリスクもある」
「だから膿ができないよう、丁寧に消毒しておくのが大事だ」
早く終わらせてほしいヒースクリフが手を伸ばしてくるのを遮りつつ淡々と続ける。
「知ってる、目の近くを殴られたらしばらく見えなくなるから絶対に攻撃を受けない方がいいとかそういうのは俺もよく分かってるさ」
「なら大人しくしろ」
ごねる相手の顔を固定しようと大きな手で両頬を掴んでは、グイッと角度を調整する。
裏路地育ちでは見かけない服を着ていた面から最初は巣出身かと思われていたヒースクリフだったが、こちらが思っているよりも快適な生活は送っていないらしく、丁寧に扱えば扱うほど収まりが悪そうにしがちだ。
今の態度を見るに、怪我をした様子を見て救急箱を持って駆け込む人はいなかったのだろうか。
だからか、どれだけ傷を負っても彼は放置しようとする。
痛い、痛いって泣き言をこぼすヒースクリフの声を無視してムルソーは、他に出血した部分はないかと念入りに観察する。
「頭の傷はナイフの刃が当たっただけなんだな」
「そうだぜ、兄貴。あっちが俺を刺そうと突き出してきたのをサッと避けてさ、そん時にバットを大きく振り上げてガッ!と」
「反撃は出来たか」
今にも尻尾を振りそうな勢いで武勇伝を語るヒースクリフに対し、相変わらず淡々とした調子で相槌を打つ。
それでもムルソーが最後まで話を聞いてくれるのが嬉しいようでヒースクリフの目はキラキラしていた。学校から帰ってきた子供が親に一日の出来事を話している姿にそっくりだ。
満足のいくまで語れたからか、ようやく落ち着いた隙に素早くガーゼを貼る。
「これでいいだろう」
「また血が出たりとトラブルが発生し次第、必ず報告しろ」
とムルソーは、不思議そうにガーゼを触る相手の鼻をやや強めに摘んだ。これ以上は大きな怪我を負うな、と気持ちを込めて。
返事の代わりに聞こえたのは「ふがっ」と間抜けな声だった。