それが戀だとしらぬまま「お前の髪が長ければ」
「ん?」
「組紐でも良かったんだがな」
ピノコニーに向かう少し前のことだった。一緒に行きたそうにしていた穹に気が付きながら緩く首を振った後にしたのは、面倒ごとに巻き込まれるなよ、という話だった。ナナシビトの痕跡を辿る以上、面倒ごとが何もない、とも言い切れないだろうが、それにしてもこいつは何かと巻き込まれることも頼られることも多かった。
少なくとも丹恒の感覚からすれば、この記憶の無い青年——友人は、常に話の中心になりがちなのだ。
「お守り?」
緩く穹が首を傾ぐ。さらさらと揺れる灰色の髪は、髪飾りを結ぶには向かないだろう。軽く手を伸ばせば、猫がそうするように穹は首筋を晒す。
「あぁ、身に着けておくものの方が良いだろう。なくさないからな」
「俺そんなになくしそう?」
「あぁ」
「え、即答!?」
「普段の行動を振り返るんだな」
お前は、と言いかけて口を噤む。こいつは一番簡単に放り出すのは、差し出すのは命だ。こいつ自身の体を簡単に差し出す、使う。それが器としての性ではないかと、そう思っていた頃もあったが——性格だろう。きっと、こいつはそうする。そうしてしまう。そこに損得があるのかは知らない、そんな深い所まで丹恒は穹という存在を知らなかった。こいつが目が覚めたときから知っているというのに。
(お前を生まれから知っているのは、俺では無い)
燠火のような想いがある。何も知らなかった穹に問われるのも教えるのも自分だと思っていた。星核ハンター達と関わりがあるとしても"そう"だろうと思っていたのだ。穹にとって自分が、己が——……。
『丹恒』
一番である、と。
自惚れに似た想いは、自惚れとも愚かさとも言えぬままに執着に変わった。穹は穹のものであるというのに、それは自分が厭ったものであるというのに、自分のものにしておきたくなる。この部屋に並べたアーカイブたちのように。
(少し、落ちつくべきだろうな。飲月の姿がある分、大分意識が引き摺られている)
龍は、宝を湖に埋めるという。
他の惑星に伝わる竜の話だ。それが強欲を意味するのかは丹恒は知らない。——だが、閉じ込めておきたいという、執着が、滲む独占が日に日に抑えきれなくなっているのは確かだ。
(幼子が、おもちゃを欲しがるように。誰にも渡したくは無いと)
穹は丹恒のことを"丹恒"としか知らない。なのかもそうだが、列車で過ごした期間で言えば出会ったばかりの穹は本当にあの時からしか丹恒を知らずに、飲月としての姿を見ても驚きは見せたが何を言うこともなかった。何故と言って欲しかった自分もいたが、あの沈黙は許容であり、こいつの目が何よりも雄弁に告げていた。
『丹恒は丹恒だなーって思ったし。あ、服どうなってんだろって思ったけど。ばばーって着替えるのかな? とかさ。いやだって、あやしいとか何かいったら俺の方が怪しいじゃん。でも、丹恒は俺を人間としてみただろ』
『お前は人間だろう』
『ん。だからそれが答えだよ。丹恒は丹恒だ。その姿でもなんでも』
『——』
丹恒としての俺を否定することなく、それでいて飲月を否定することなく。置いていくことも、置いていかれることも是としなかった。真っ直ぐにこちらを見て笑う穹があの星核ハンターに呼び出されていたと後から聞いた時、戸惑いと混乱の中、それでも驚きはしていなかったあの顔を見て、思ったのだ。
(——返してもらおう、と)
ぽつぽつと語られる過去に、丹恒と話して少し落ちついたというこいつに、怒られたらどうしようかと思ってたけど、と列車に戻ってすぐに見つかっちゃったから、と眉を下げたこいつを見つけて良かった、と思う。ただそれを、捉まえられて良かったと思う自分がいたから——良くは、ないのだ。
(龍は、飲月の情は……)
嘗て"彼"が犯した罪を丹恒は分かっている。だからこそ、人との関わりを避けるようにしてきた。飲月としての身を得た今、あの地で起きたことを思えば余計に。だというのに、穹相手だと制御が効かなくなる。
「丹恒?」
「いや、何が良いかと思ってな。中まで持ち込めるようなものであれば、夢の中にも再現できるだろうが……」
さらりと首筋に触れていた手を離す。擽ったそうに瞳を細めた後、考えるように眉を寄せた穹が顔を上げる。
「んー……ピアスとか?」
「痛いのは嫌だとか言って無かったか?」
「言った。ってなるとやっぱり髪が長いと便利だったか。今から長髪美少女になるしかないか……」
妙案だったりする? と顎に指をかけて考える姿をとってみせる穹に息を吐く。
「そうだな」
「丹恒せんせーのつっこみが雑だ」
「お前がいつもやってるからだろう。それに」
「ん?」
緩く首を傾げた穹を見る。さらりとした灰色の髪に、意思の強い瞳。妙な話をしなければ美人の類いだろう。口を開けば愛嬌があるという方か。何にしろ——……。
「お前の見目は最初から良いだろう」
「ん……うん?」
「そこでお前が照れる理由が俺には理解できないが」
散々自分で言っている癖に、いざ言われると戸惑ったりしてみせるのだから不思議だと思う。染めた頬を手で隠すようにして、丹恒が変なこという、と拗ねるように頬を尖らせた姿に、小さく息を零す。
「——そうだな」
「ん? 何にするか決まった感じ?」
「あぁ、簡単なお守りだ」
吐息を零すようにして言えば、怒っているのかと問われることが多かった。機嫌でも悪いのか、と。穹はそういうことを聞くこともなく、ただそういうものだと普通にいてくれる。心地よさを失いたくないのだろうと、そう思いながら穹の手を取った。
「これを。腕輪にするには調度良いだろう」
「ブレスレットかー。良いの?」
「良いからお守りにしてる。……穹」
するり、と手首を撫でる。服の装飾から一つをはずして、穹の腕にしゅるり、と結ぶ。小さく宿った加護は"結び"に応じたものだ。
「何?」
「良い夢が見られると良いな」
「うん」
夢を見たことが無い、と穹は言った。"誰か"を夢に見ることはあっても、何処かに紛れ込むことはあっても自分の夢は見たことが無い、と。そんな穹が、初めて見る夢であればあの場所がきっと一番良いものを見せるだろうと、願うようにそう思った。
(良い夢であればそれで良いんだ)
戸惑いの中で溺れる夢であったときは、いつものようにこの部屋を訪ねてくれば良いのだから。いつだって。