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    きしみ

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    きしみ

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    🍊夢 生徒夢主

    隙間で 目を覚ますと夕方だった。真っ暗な部屋の中、手探りで眼鏡を掴む。せっかくの休日だ。今からでも出かけようか。電気を付けると光が目に染みた。
     寝間着代わりのスウェットに外套を羽織り、私は部屋を出た。
    「うー、寒い寒い」
     寮の玄関を出ると、きんと冷えた空気が皮膚に刺さった。厚手のダウンジャケットの中に腕や首を縮こめながら、長い階段を降りた。
     地獄の階段を降りきると、息が少し弾んでいた。酸素不足か寒気のせいか、頭がずきりと痛んだ。ふうと吐き出した息がテーブルシティの明かりを受けて白く光る。
     空が暗くなってもぴかぴかと明るいこの街も、細い路地に入ると街灯が少ない。アカデミーに入りたての頃はよく迷子になったなと思いながら、迷路のように入り組んだ薄暗い道を進む。
     寂れた扉の前で立ち止まる。そばにはカーテンの閉まった窓があり、中の様子は分からない。私は扉を押し、ぎいぎいという音とともに中へと入った。

    「いらっしゃいませ」
     正面の会計カウンターの奥、暖簾に仕切られたバックヤードから店員の声が聞こえた。
     店内を見回す。背の高い棚がぎゅうぎゅうに並べられている狭い空間だ。外から見えた窓の前にも、大きな棚がどんと置かれている。その前を歩きながら、棚に並ぶ文字を読む。
    『ハウス・サメハダー』
    『デスマリル』
    『帰ってきたメカメルタン』
     うんうんと頷く。このレンタルビデオ屋のラインナップはやはり素晴らしい。

     アカデミーに入学したばかりの私は、友達もいないものだから、よくテーブルシティを探検していた。入り組んだ路地の奥の奥、小さく「ビデオ レンタル」とだけ書かれた看板を見付けた私は、恐る恐る扉を開け、小さくわっと声を上げた。
     アカデミーエントランスの書架さながら、棚にひしめく沢山のビデオやDVD。しかもそのラインナップが私の趣味とぴったり合っていた。
     私が好きな作品の傾向は、冗長なテンポ、いまいちな芝居、お下劣なギャグ……。世間が言うところの「クソ映画」だ。この店はメジャーな映画も取り揃えながら、Z級の映画も多分に取り扱っている。私はたちまち虜になった。
     ふたたびその店に向かおうとすると、幻のように消え失せており、どの道を行っても辿り着くことができなかった……などということはなく、小さな看板とともに寂れた扉が佇んでいるのだった。

     私は何度もこの店に足を運んでいるが、ここで一度もアカデミーの生徒と会ったことがない。というか、客自体がほとんどいないのだ。私が来ない時間帯にはもっと賑わっているのかもしれないが、観測の範囲では経営が心配になる客の入りであった。分かりづらい場所にあるし、いつも開いているのだか閉まっているのだか分からない見た目をしているから、みんな存在を知らないのかもしれない。その穴場感も私は気に入っているが、潰れてしまっては困る。
     電気代をけちっているのか、暖房の効いていないひんやりとした店内を奥に進んでいく。今日の目当ては『人喰いマトマ襲来』だ。人を喰う巨大マトマが平和な農村をめちゃくちゃにする、タイトル通りの話だ。
     私の他にはわずかな客が同じように棚を物色していた。狭い通路を慎重に進み、私は「スプラッタ・ゴア」の棚を目指す。
     途中、一人の男性客が通路にかがみ、「ゾンビ」の棚の下の方を見ていた。ロングコートの裾がぺたりと床に垂れている。
    「すみません、通ります」
    「ああ、すみませんですよ」
     男性客は私の声に応じて立ち上がった。ぬっと背が高く、そびえる棚の間で圧迫感があった。思わず見上げると、そこには見覚えのある顔があった。
    「あ、ハッサク先生だ」
    「おや! アカデミーの生徒さんでしたか。こんばんは」
     先生もここを知っているとは、意外だった。といっても、私は美術の授業をとっていないし、あまり話したこともないから、ハッサク先生のことをよく知らないのだが。
    「先生も、よくここに来るんですか?」
    「たまに、観たい映画があると借りに来るのですよ。」
    「へえ、先生何観るんだろう。おしゃれなカロス映画とか観てそうです」
    「そんなイメージがありますですか?」
     先生は苦笑した。学校で見るハッサク先生は、生徒を注意する真面目さがあって、情熱的で、涙もろくて、それからなんだかお上品な大人の先生だ。落ち着いた部屋で、ワインのグラスを傾けながらカロス映画を観る先生の姿を想像する。おいおいと涙を流す様も。
     実際、ハッサク先生は何を借りているのだろう。先生が手に持ったDVDをのぞき込み、私はぎょっとした。
    『ゾンビビヨン来る』
    「えっ!?ゾンビビヨン!?」
    「おや、ご存じですか、ゾンビビヨン」
    「え、はい、まあ……」
    「アカデミーで評判を聞きましてね、観てみたくなったのですよ」
     先生はにっこりと笑って言った。
    「え~、そうなんですね、ちなみになんて聞きました?」
    「なんでも、ラストに衝撃を受けるとか。ああ、役者の芝居も独特で素晴らしいと聞きましたよ」
     確かにゾンビビヨンのラストは衝撃的だ。本来機動力に劣るゾンビが空を飛ぶ、その設定を一切活かさず、匂わすだけ匂わせた伏線をすべて放り投げて物語は幕を閉じる。役者の演技も、ミーム化するような独特さがある。それに、節々に差し込まれるコメディパートがめちゃくちゃ下品だ。ゾンビビヨンは、映画界に燦然と輝くZ級映画なのだ。
     先生は「衝撃」や「独特」という評判を真に受けて、一般的な傑作映画と勘違いしている。上品で真面目で冗談が通じなさそうなハッサク先生が事前知識なしにこのような映画を観たら、ものすごいショックを受けてしまうのではないか。そして先生はこのレンタルビデオ屋ごとZ級映画たちを嫌いになってしまうかもしれない。それは避けたい。
     だが、上手く伝えられるか自信がなかった。私はゾンビビヨンをはじめとしたZ級映画を愛しているのだ。それなのに、私がそれらのいいところを言うと、いつも悪口として捉えられてしまう。そして誰もその映画たちを観なくなる。観るなと言いたいわけではない。ただ、ふさわしいハードルをもって観てほしいのだ。
    「先生、それ本当に借りるんですか」
    「ええ。もしや、あなたもこれがお目当てでしたか?」
    「いや、違うんです。そうじゃないんですけど……」
    「はい」
    「怖いですよ、結構」
    「そのようですね」
    「トイレ行けなくなっちゃうかも」
    「おやおや、その時はポケモン達についてきてもらいますですよ」
     先生はパッケージの裏面を眺めながらにこにことして言った。
    「……あっちにカロス映画もありますけど」
    「どうしたのですか、先程から」
     先生も流石に怪訝そうな顔をした。私は意を決して言った。
    「先生、その映画、先生が思っているのと違うかもしれないですよ。なんていうか、いい映画、だと私は思うんですけど、えっと」
     先生はきょとんとした顔をして私を見ていた。
    「なんて言ったらいいんだろう。あんまり期待して観ると多分……」
    「ああ、観るとガッカリする、ということですか?」
    「え?」
     先生はなんてことないように言った。今度はこちらがきょとんとした。
    「存じておりますよ。そういう評判を聞いて借りに来ましたから」
    「そ、そうなんですか?」
     予想外の返答に状況が飲み込めず、私はしばらく固まった。
    「さて、小生はこれを借りてきますですよ。お住まいは寮でしょうか?よければアカデミーまで送っていきますが、用事はお済みですか」
    「あっ、私も借りたいやつ、取ってきます」
     先生からの問いかけに私は当初の目的を思い出し、弾かれるように「スプラッタ・ゴア」の棚へ向かった。
    「ここのお店はコーナーが沢山ありますですが、場所を覚えているのですね」
     迷いなく棚へ向かい目当てのビデオを手にした私に、追いついた先生は感心したように言った。

     先に会計を済ませて、店の外で先生を待った。店内の青白い明かりから一転して外は真っ暗だった。闇に目が慣れ始めたころ、ビデオ屋のロゴが入った小さなバッグを手に提げた先生が店から出てきた。
    「さあ、帰りましょうか」
     遠くのわずかな街灯を受けて、先生の口から白い息がのぼるのが見えた。

     帰り道、先生はZ級映画を観るようになるまでのことを話してくれた。気になっていた映画の評判が悪かったこと。その評判を自分で確かめるために映画館へ足を運び、本当にガッカリしたこと。しかし、不思議な魅力を感じたこと。それから、観るとガッカリするという噂を聞くと確かめずにはいられなくなったこと。
    「そして小生は、ガッカリ映画を好んで観るようになったのです」
    「そうだったんですか……」
     なんだか律義な理由だと思った。
    「私、先生が普通の名作と勘違いしてゾンビビヨン借りたのかと思いました」
    「ああ、それで先程は不思議な様子だったのですね。小生の説明が悪くて気を遣わせてしまいましたね。それにしても、ずいぶん遠回しでしたが」
     ハッサク先生はおかしそうに言った。
    「映画について上手く説明する自信なかったんです。いっつも間違って伝わっちゃうから」
    「おや、そうなのですか」
    「友達とは好きな映画の話できないです」
    「小生もこういった作品について人と共有する機会があまりないのですよ。あなたはこういった作品のどこに惹かれますですか?」
     今日は話してもいいのだろうか。私はおずおずと喋り始めた。
    「えっと……。予算や技術の都合で飾りがそぎ落とされてて、その分、これがやりたい!がはっきり伝わってくるっていうか……」
    「たしかに、創作衝動といいますか、パッションが伝わってきますよね」
    「そう、パッションがあるんです」
     たしかにその言葉がしっくりくると思った。先生から発せられた言葉が自分の考えにぴったりとはまって、より映画への認識が深まったような感じがした。
    「お金と技術がないなら、好きじゃなかったら作らないですよね。自分の中で、人から評価されることと好きなことって混ざりがちだけど、純粋にするのが好きなことがあるのって、いいなって思います」
    「分かりますですよ」
     こういう話をすると、悪口だと思われることが多かった。でも先生には私の言いたいことが伝わっているようで、にこにこしながら話を聞いてくれていた。まるで今日だけ話し上手になったような気分だった。私は浮かれていた。
     それからアカデミーの階段下に着くまで、先生と映画について語り合った。
    「では、小生はこれで失礼しますですよ」
    「はい。今日はありがとうございました」
    「またお話してくださいね。おやすみなさい」

     先生の後ろ姿を見送った後、私はなんだか落ち着かず、階段を一息に駆け上がった。
    「はあ、はあ、……ははは」
     息が上がるのに混じって、小さく笑いが漏れた。呼吸が落ち着くのを待って、寮に向かって歩き出した。ふと後ろを振り返ると、テーブルシティはきらきらと光っていた。なんだか夢のようだと思う。
    「なんか、先生の印象変わったな」
     私は前に向き直り、弾むような足取りで自分の部屋へと向かった。

     中古のビデオデッキが起動するのを待ちながら、『人喰いマトマ襲来』をバッグから取り出した。先生はこれも気になると言っていた。そういえば、先生の家にはビデオデッキはあるだろうか。ゾンビビヨンは気に入るだろうか。先生と、また話せるだろうか……。
     いつもはじれったく感じるデッキの起動時間が、今日はあっという間に過ぎていった。私は期待感に包まれながら、ビデオを入れて再生ボタンを押した。
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