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    Key_Shijo_114

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    Key_Shijo_114

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    キミDSの会期に全然間に合わなかった展示小説の続き!後編って言ってたけど中編になりそうな勢い。まだ二年生の深河松野一と生姜焼き定食の話。
    ※固定名あり夢主

    山王寮の寮母さん(仮)② 生姜とりんごは、にんにくをまとめてボウルにすりおろす。筋を切った豚肩ロースに料理酒を振り、先ほどすりおろしにして混ぜ合わせたものをひとつまみ取って、汁を搾りかけておく。
     豚肉を下漬けしている間に、生姜などをすりおろしたボウルへ醤油とごま油、こしょうを入れてよく混ぜておく。ここへ後ほど下漬けに使った汁を少し注げばタレの完成である。
     主菜の味の主張が強い分、味噌汁は具だくさんながらもあっさりとした味わいのものがいいだろう。今日の具材は人参と大根、油揚げとしめじに決まりだ。しめじは石づきを切り落とし手で分ける。人参と大根、油揚げはそれぞれ短冊切りに。昆布とかつお節から取った合わせ出汁を入れた鍋の中へ全てを投入してから中火にかける。ふつふつと出汁が沸き立ったら火を弱め、人参と大根にゆっくりと火を通す。根菜は水から茹でてじっくり火を入れるのが味噌なのである。味噌汁だけに。
     迷いに迷って米は五合炊くことにした。夕飯一食分なのだからもう少し減らしておいてもいいような気がするが、念には念を入れて――だ。何せ今日は、お客様との約束の日で、しかも向こうは複数人で来ると言うのだから。
     〝ゴローさん〟――堂本と約束していた金曜日は、あっという間に訪れた。受験が終わったばかりだが、じきにこの家を出て行かなければならないということで、葵陽あさひは日々亡くなった祖母の荷物の整理と、自分の部屋の片付けに追われていた。閉店した『とおのや』の店内もある程度片付けが進められているが、最低限の調理器具は今日のために残しておいた。今日が終われば、それらもいかようにか処分しなければいけないのだろうけれど。
     名刺を貰いはしたものの、葵陽から堂本のほうへ連絡をすることは特になかった。一方の堂本は、一昨日になって一本の電話を寄越してきた。
     伝えられた内容は二つ。
     一つは、食事ついでに話をするその日、堂本以外にもう五人ほど同伴者を連れてくるということ。
     そして、できれば米だけでも多めに用意してほしいということだった。
    「(ゴローさん以外に、五人も……どんな人たちが来るんだろう?)」
     顔も名前も分からない、五人の新たな“お客様”に思いを馳せながら、ほうと息を吐いた。堂本について来るということは、全員同じ学校に勤める先生なのだろうか。米だけでも多めに用意してほしいというお願いの内容からすると、それなりにたくさん食べられる人たちが来るのかもしれない。それはむしろ楽しみなことだ。こちらとしても腕の振るい甲斐がある。
     カウンター越しに店内を見回す。先ほどから何度も拭き上げてきた食卓は鏡のようにピカピカで、掃除をする余地もない。自分を落ち着かせるためにと何度もお茶を飲んだので、喉は十分に潤ってしまった。夕飯前の間食はしない主義なので、何かしらつまんでおくという選択肢もない。とどのつまり、葵陽は暇を持て余していた。
    「……もう一品くらい、増やしちゃおうかな」
     何だか気持ちがそわそわして落ち着かなくなってしまったので、結局葵陽は厨房に戻ることにした。約束の時間までにはまだ少し余裕があるから、おかずを増やすのは造作もない。緑の濃いおかずと、余力があれば、主菜が出来るまでの間につまんでもらうようなものが欲しいところだ。
     さっと洗った小松菜を五センチほどの幅にざっくり切り、油揚げは油抜きをして一センチ幅に切り分ける。フライパンを十分に熱したら、先ほどの油揚げをへらで押しつけ、焼き色を付けながら乾煎りする。油揚げの両面に焼き目がついてきたところで、桜えびを投入。香りが立つまで炒めたら、だし汁と醤油、みりん、酒をフライパンへ。調味液が沸騰したら中火にして、小松菜を入れてひと煮立ち。小松菜に十分火が通ったら、火を止めて冷まし、しばらく味を煮含ませれば完成だ。
     小松菜に味を馴染ませるまでの間、もう一品の準備に取りかかる。卵を四個、贅沢にボウルに割り入れてよく溶きほぐしたら、砂糖と醤油を加えて混ぜ合わせる。小口切りにした小ねぎを卵液に入れて、均一になるように一度混ぜておく。卵焼き用のフライパンに油をひいてよく温め、さあ焼いていくぞと気合いをこめたところで――
    「ごめんくださーい」
     磨りガラスの引き戸が軽く叩かれる音と共に、外から自分を呼ぶ声がした。“ゴローさん”がやって来たのだ。
    「はあい! お待ちくださーい」
     慌てて火を止め、菜箸を置き、さっと手を洗って戸口へ向かった。磨りガラスの向こうには黒くて大きな複数の影。“ゴローさん”の連れだろう。ゆっくりと引き戸をスライドして、笑顔で彼らを迎え入れようとして――
    「すみません、お待たせしま――――」
     そこで、葵陽は言葉を失った。
     まず、やって来たのは間違いなく堂本――〝ゴローさん〟その人で間違いない。葵陽が驚いたのは、「すまない、遅くなってしまったかな」と申し訳なさそうに眉を下げる彼の背後に控えた、〝ゴローさん〟の連れであろう人々の存在に対してである。
     黒い学ランの制服に身を包んだ彼らは、とにかく背が高く、ガタイがよく、そして何より皆一様に坊主頭であった。威圧感が半端ではない。制服を着ているということは学生――高校生であることは間違いないのだろうが、纏っているオーラが高校生のそれではない。
    「……葵陽ちゃん、葵陽ちゃん?」
     〝ゴローさん〟に心配そうに呼びかけられ、葵陽はようやく我に返った。彼の背後にいる彼らは何も言わないが、その目は一様にどこか葵陽を心配しているようにも見えた。
    「す、すみません! 寒かったですよね、どうぞお入りください」
    「ありがとう。お邪魔するよ」
    「はい、いらっしゃいませ。一番奥のテーブルへどうぞ」
     葵陽の言葉に頷くと、〝ゴローさん〟は一度学ランの集団を振り返り、「入りなさい」と声をかけた。「はい」と統率の取れた返事をして、彼らは〝ゴローさん〟の後に続いてのしのしと店内に足を踏み入れる。目の前を通るたび、ピンと伸ばした背をきちんと腰から折って「お邪魔します」と挨拶をする彼らに、葵陽は少なからず好感を抱きつつ「いらっしゃいませ」と返していく。礼儀正しくていい人たちのようだと分かり安心したからか、ふぅっと肩の力が抜けていった。
     ほうじ茶とおしぼりを持ってテーブルへ向かうと、学ラン姿の青年たちは大きな体をきゅうきゅうに寄せ合って、何やら話をしているようだった。四人掛けのテーブルに二人掛けのテーブルをくっつけてはいたのだが、それぞれ体格の良い青年たちが身を寄せ合うには少し手狭だったかもしれない。
    「すみません。狭くないですか?」
     湯呑みを置きながら訊ねた葵陽に、一番手前に座っていた学ランの生徒――厚ぼったい唇が印象的な青年が、「大丈夫ベシ」と緩く首を横に振った。
     ……ベシ?
     不思議に思ったのが、もしかすると顔に出てしまっていたのかもしれない。彼の向かいに座る、学ラン姿の坊主頭の中では一番背の低い青年が「気にしないでやって」と小さく笑った。
    「こいつ、語尾に『ベシ』ってつけるのがクセなんだよ。変だと思うだろうけど、スルーしてくれればいいから」
    「酷いベシ、イチノ。オレはちょっとでも愛想よく見えるように努力してるだけベシ」
    「その語尾で愛想がいいと思われると思ってるのか、お前は……」
     たらこ唇の彼の言葉に、その向かいに座るきりりとした眉毛の青年がどこか呆れたように溜め息をつく。が、当の本人は至って真面目に「ベシ」と頷くばかりだ。表情があまり動かないので無愛想な人間なのかと思ったが、むしろユーモアのある性格なのかもしれない。
     思わず小さく笑ったところで、葵陽はようやく作りかけのお通しのことを思い出した。あとは焼くだけとはいえ、早く彼らにお出ししなければ。
    「ごめんなさい、お通しの準備がまだで。もう少々お待ちいただいてもよろしいですか?」
    「こっちこそ、でけえ男がこぞって押しかけて、驚かせちまって申し訳ね」
    「むしろ、オレたちの分も夕飯作っていただけてありがたいよ。ゆっくり準備してください」
     訛りの強い口調で喋る青年と、席についている六人の中で一番背の高い青年が、口々に優しく声をかけてくれたので、葵陽はほっとした心地で「ありがとうございます」と頭を下げる。厨房へ戻ろうと踵を返す直前、ちらりと見えた“ゴローさん”の目がいつになく優しい色のひかりを湛えていたので、胸の奥が少しくすぐったかった。
     しかしカウンターの向こうへ戻ってしまえば、遠野葵陽はすぐに一人前の料理人の顔になる。よく手を洗い、割烹着の背中の紐を結び直して気合いを入れれば、準備は万全だ。
     冷めてしまったフライパンを温め直し、小ねぎの浮いてきた卵液を軽く混ぜて再び均一に戻す。手をかざし、十分にフライパンが温まったのを確かめたところで、卵液を流し込む。フライパンを傾けながら火を通し、表面にまだ潤いを残す卵の層が出来上がったのを確認すると、葵陽は菜箸で器用にくるくると卵を巻いていった。これを何度か繰り返せば、やがてふっくら熱々の卵焼きの完成である。
     長方形の黒い皿に卵焼きをのせると、焼きたての卵の甘い香りと小ねぎの風味が辺りにふわりと立ちこめる。六等分に切り分けたそれを“ゴローさん”たちの待つ食卓へ運んでいくと、興味津々といった様子でこちらを見ていた坊主頭たちが「おおっ……」と静かな歓声を上げた。
    「小ねぎ入りの卵焼きです。どうぞ、食べながらお待ちくださいね」
     葵陽の言葉に、誰からともなくごくりと喉を鳴らす音が聞こえてくる。いつの間にか配られていた割り箸が、ぱきりぱきりと乾いた音を立てて次々割られていった。
     食卓の中央で鈍く輝く黒い皿の上で、ふるふる震える黄金色の卵焼きが「さあ食べてください」と言わんばかりに香ばしい湯気を立てている。しばらくその様をじいっと見つめていた坊主頭たちは、やがて顔を合わせて頷き合うと、パチン! と勢いよく手を合わせた。
    『いただきます!』
     我先にと箸を伸ばす彼らに、「行儀が悪いぞ」という静かな声がかかるも、それを気に留めていられる余裕のある者は誰一人としていなかった。「めしあがれ」の言葉と微笑みを残してカウンターへ戻っていく葵陽の背後では、部活を終えたばかりで空腹の男子高校生たちが、あっというまに各々の分の卵焼きを平らげていた。
    「美味いベシ。甘いベシ」
    「この甘さ、沁みるなあ~……」
    「ネギすげえ入ってら。香ばしくて食感も楽しいべ」
    「あれ? 松本まだ半分しか食べてない。いらないならもらっていい?」
    「バカッ、美味いから大事に食べてるんだオレは! 絶対やらないからな」
    「お前たち、食べるか喋るかどちらかにしなさい」
     何とも賑やかで楽しそうである。ひとまずお通しの卵焼きは気に入ってもらえたようで、葵陽はホッと胸を撫で下ろした。その安心感を心の燃料に、今度こそ夕食の準備に入る。
     薄切りにした玉ねぎを中火で軽く炒め、透明感が出てきたところでフライパンの端に寄せ、下漬けしておいた豚肉を広げ入れる。肉から出てくる水分を飛ばしつつ焼け具合を確認し、焼いている面に軽く色がついたところで一度裏返す。こちらも色が変わる程度まで焼けたら、作っておいたタレを全量加え、火加減はそのままでタレを煮詰めていく。豚肉と玉ねぎの表と裏を返しつつ焼き加減を確認し、タレがしっかりと肉に絡んできたら出来上がりだ。野菜の準備ができるまでとろ火にし、タレをさらに煮詰めつつ保温しておく。
     今日の千切りは彩りをよくするために紫キャベツを少しだけ混ぜておく。山と盛ったキャベツのふもとにくし切りのトマトと作り置きのポテトサラダを添え、最後にキャベツの山へドレッシングをかけようとして、やめる。生姜焼きのタレの味があるだけで、キャベツもご飯もよく進むだろうから。
    「(……美味しくできてるかな。できてたら、いいな)」
     祈るように、願うように、一つずつの作業を進めていく。卵焼き一つであんなにも喜んでくれていた彼らに、もっと食事を楽しんでもらいたいから。疲れも吹き飛ぶようなとびきり美味しいご飯を食べて、笑顔になってほしいから。その心一つで、葵陽の料理はミシュランに載っているどんな料理よりにもない、オリジナルのまごころがこもった一品に仕上がっていく。
     とろ火にかけておいたフライパンを上げ、千切りキャベツとトマトを盛った皿に豚肉と玉ねぎを並べ、たっぷりとタレをかけたら、真ん中の豚肉に粗めにすりおろした生姜を添える。温めておいた味噌汁をお椀に注ぎ、味を馴染ませた小松菜の煮浸しを小鉢に盛ってお盆の上に並べる。炊飯器を開けると、たっぷりの大麦を混ぜて炊いたご飯から、ぷりぷりと膨らんだ麦の甘く香ばしい匂いがふわりと立ち上った。体格に見合ってよく食べるだろうと予想される彼らのために、大きな茶碗から頂上がはみ出るほどに山盛りのご飯をよそえば――完成だ。
    「できましたよ!」
     葵陽が声を上げると、卵焼きの味の余韻に浸っていた青年たちの顔が、勢いよく一斉に彼女のほうを向いた。小さく笑みを返しつつ一つお盆を持ち上げると、静かに彼らの待つ食卓へ足を運ぶ。テーブルに置かれたお盆に彼らの視線が集まるのを微笑ましく見守りながら、葵陽は口を開いた。
    「とおのや特製・豚の生姜焼き定食、ご飯大盛りです。お待たせいたしました」
     豚の生姜焼きと小松菜と桜海老の煮浸し、人参と大根の味噌汁に、麦ご飯。古き良き定食屋の夕食に、青年たちの瞳がきらきらと輝く。一番奥に座っている“ゴローさん”のほうへお盆を流しつつもどこかそわそわした様子の彼らに、「残りもすぐにお持ちしますね」と微笑みつつ、葵陽は内心でよしよしと頷いていた。まず料理の見た目については、彼らの心をしっかり掴めたという実感がある。
     残る五人の青年の前にそれぞれお盆を届けていくと、彼らはきちりきちりと頭を下げて「ありがとうございます」とお礼の言葉を伝えてくれた。学生服をしっかりと着こなした彼らからは、早く食べたいと浮き足立つ気持ちよりも、礼節を弁えようとする心意気のほうが強く感じられる。何と礼儀正しい人たちなのだろう。これも〝ゴローさん〟の教育の賜物なのだろうか。
     もともとは〝ゴローさん〟から何か話があるということで設けた食事の席だが、堅苦しいことは今は後回しでいいだろう。今はただ――彼らに美味しいご飯を食べてもらいたい。お腹いっぱいになるまで食べて、心も体も満たされて、笑顔になってくれるところが見たい。葵陽の心の内を満たすのは、学ラン姿の彼らに対して際限なく湧き上がる母性だった。
    「ご飯とお味噌汁はおかわりもありますので、いつでもお申し付けください。お茶はこのあとポットでお持ちしますね」
    「……と、いうことだ。お前たち、葵陽ちゃ――遠野さんに感謝していただくように」
    『はい!』
     “ゴローさん”の言葉に、青年たちが揃って返事をする。しゃっきりと張りのある良い返事だった。なるほど、運動部――しかも強豪校の部に所属しているだけのことはある。
     感心している葵陽の目の前で、〝ゴローさん〟と学ラン姿の青年たちは、再び両手を合わせた。どこか厳かさすら感じさせる「いただきます」の声のあと、彼らはまず一様に、大皿に盛られた生姜焼きへと箸を伸ばした。
     醤油ベースのタレにたっぷりと浸かった生姜とりんごとにんにくのすりおろしを、豚肉にのせて軽く巻き込む。あたたかな湯気に乗って鼻先をくすぐる、食欲を刺激する香りにごくりと喉を鳴らして大口を開けたのは誰が最初だっただろうか。しっかりと火を通してあるのになお柔らかく、歯で潰せばむちむちとした弾力のある肩ロースを噛みちぎれば、生姜の酸味と辛みがよく効いたタレをまとった肉の旨味が一瞬にして全身を突き抜けていった。
    「――――!」
    「~~~~っ!!」
    「…………ん、」
    「ふあ……!」
    「おお…………」
     美味い。
     たった一言、それすらも言葉にならず、五人の青年たちは目を見開き、あるいは呆然と口を半開きにして、声にならない声を上げた。たまらず一口、もう一口と食べ進めれば、大きめの肩ロースもあっという間に一枚なくなってしまう。生姜だけではなく、にんにく独特の香味やりんごの甘みがタレの味に深みを持たせているのだろう。一方で、タレの味の主張はしっかりしているのに、脂ののった肩ロースの旨味や甘みは全く損なわれていない。噛みしめるたびにむち、みちっ、と音が聞こえるほど柔らかな肉は余分な臭みが全くなく、下処理の際の丁寧な仕事が窺えるようだった。
     生姜とにんにくの主張が強いタレの奥深く、ベースとなっている醤油の香り高く塩気のある味わいに誘われるように、彼らは次に麦飯を頬張った。ふんわりと柔らかめに炊かれた白米の中には、その存在を声高に主張する大麦がぷりぷりと粒を立ててその存在を主張している。噛むほどに甘みを増し、ぷちぷちとした食感も楽しい麦飯。食べ進めれば食べ進めるほどにあのタレの味が恋しくなって、また自然と生姜焼きに箸が伸びる。そうすると次は、しゃっきりとしたキャベツのみずみずしさが恋しくなって、薄緑の山が少しずつかさを減らしていく。
     もぐ、しゃき、むちっ。しゃきっ、もぐ、もぐ、むちっ。
     眉間に皺を寄せ、目を細め、時折「はふ」と吐息を漏らしながら、学ラン姿の青年たちはただ一心に目の前の料理と向き合っていた。言葉も忘れるほど夢中になっている彼らの様子にうんうんと満足そうに頷きながら、〝ゴローさん〟は静かに味噌汁をすする。こちらは生姜焼きの刺激的な旨味とは対局にある、人参や大根といった根菜の優しい甘みと味噌やだしの滋味がほっこりと温かく染み入るような味わいだった。
    「うん。今日のご飯も美味しいよ、葵陽ちゃん」
     まっすぐにこちらを見上げて笑いかけてくれた彼の言葉に、ほうじ茶の入ったポットを持ってやって来た葵陽は、ようやっと呼吸を思い出した。彼らが食事を始めてからこちら、息をするのも忘れてしまっていた自分に気付いて、心の中で思わず苦笑いを一つ。心を込めて、手をかけて作った料理が、もし美味しくなかったらどうしようか。お客様の心を満たすに足りないものになってしまったら、どうしようか。今日、今この瞬間だけのことではない。葵陽はいつだって不安だったのだ。
     ことここに至って、葵陽の中にあるそんな揺らぎを気取けどったのかもしれない。一際静かに箸を進めていたたらこ唇の青年が、ふと箸を置いて葵陽を振り仰ぐ。
    「これ、美味いベシ」
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