「よーし!着いたぞ」
「お兄ちゃん、あっちまで行こうっ!」
「ディオン、あまり遠くまで行っちゃダメよ?」
良く言えば豊かな緑に囲まれた、悪く言えばの森の中にある田舎に生まれ落ちた。仲睦まじい両親に甘えん坊な可愛い妹。休みの日には近くの湖まで父が車を出してくれて、妹と駆け回って、疲れて両親の元に戻れば、母親が朝から張り切って作ってくれた昼食をみんなで食べる。
『前と何もかもが違う』
前、が何を差しているのか自分でも分からないが、時折そう思う。前の方が良かったのか悪かったのかも分からないが、何もかもが違うという事だけはハッキリ自覚している。
Is that better then before
周りに森しかないというのは比喩表現ではなく、本当に見渡す限り森で、誰かが来訪するというのが我が家の一大イベントになる程田舎だった。その為新聞や荷物が何日もかけて届けられはしても私や妹が学校へ行くという事はなく、母親が用意した教材を使いながら教師役を担っていた。それが続いたのも小学生までで、中学生になる前に教育係がつき、高校からは家を出て寄宿舎のある学校へ行く事になった。
「頭が良い子だとは思っていたが、まさかあんな名門に受かるなんてなぁ」
「寂しいけれどしっかり学んでくるのよ」
「やだー!お兄ちゃん行っちゃやだー!」
家族にハグされ、別れを告げる。本来なら定期的な帰省が認められているが、距離的にも年に一、二度、天気が悪ければ戻れない事もあるかもしれない為やや大袈裟になってしまった。最後に泣き虫な妹の頭を撫でてから家を出た。
*
学校は街中から少し逸れた小さな山の奥にあった。何人かの生徒が田舎だと不満を漏らしていたが、バスに乗れば街中に辿り着くような立地なのだから田舎ではないだろう、と心の中で思った。学内の説明とざっくりとした配置を教えられ最後に寄宿舎に辿り着く。ルームメイトがいるから分からない事はルームメイトに聞くように、と言われて部屋の番号が記された鍵を渡される。多くはない荷物を抱えて部屋へと向かい、鍵に記された番号とドアに記された番号が相違ないかを確認する。鍵を使おうとも思ったが急にドアが開いてはルームメイトが驚くかもしれない、と思ってドアをノックする。
「はい、今出ます」
すぐに返事が聞こえてきて、ドアが開かれる。出てきた男は見慣れない男が居たからか少し驚いたようだったが、すぐに新しいルームメイトの、と気づいて部屋へと招いてくれた。ルームメイトの男は初等部の頃からこの学校に通っているらしく、なんでも聞いてね、と優しく微笑まれた。実際、学校は初等部から大学まで続いており、敷地も相応に広い為ルームメイトの案内が無ければ迷っていた可能性は高かった。幸い、学業は問題無く、井の中の蛙では無かった事に安堵した。
ルームメイトは学業も充分出来ていたが、初等部から学校にいるだけあって休みの日もよく連れ出してくれた。ずっと森に囲まれて生きていたせいか、街へと繰り出すハードルが高かったので本当に助かった。
「ディオンはさ、かっこいいんだし着飾ったりしないの?」
そう言って幾つか購読しているらしいファッション誌を定期的に押し付けてくる事だけが玉に瑕だが、逆にそれ以外は本当に気の知れた関係になれた。だから、ルームメイトだとかは関係無く一緒にいる事が多かったし、街に行く時もよく一緒にいた。かと言って絶対一緒じゃないと嫌だなんて事もなく心地良い距離感を互いに持っていた。
今日もそうだ。靴がだいぶボロボロだと指摘されて、週末に買いに行こうという話になって一緒に出かけていた。バスを降りて、ルームメイト御用達のシューズショップへ向かう、その途中。
「……?」
不思議な既視感に襲われて足を止める。街にではなく、通りすがりのアパレルショップのウィンドウに飾られた大きなポスター。そのポスターの中でこちらを射抜くような瞳の男に既視感を覚えて足が止まる。初めて見た筈なのに脳裏に男の様々な表情が駆け巡って目眩がする。
「ディオン?あぁ、テランス見てたの?人気だよね、彼」
「テラン、ス……?」
「知らない?モデル出身なんだけど、俳優もするようになって……ディオンに渡したファッション誌にも沢山出てたんだけど、さては見てなかった?」
頭がズキズキと痛む。覚えのない男、けれど既視感があって、ずっとそばにいた気すらする。
「大丈夫?ちょっと座ろう」
すぐ側のベンチだと言うのに、手助けされながらなんとか座る。背中を撫でられながら自分の呼吸が乱れている事に気づく。
「……ごめん、入学したばっかりで気を張って疲れが出る時期だったよね」
「いや、そんな事は……」
じゃあこの不可思議な現象はなんなのだろうか?知らない場所で知らない人と一緒にいて全く疲れないと言えば嘘だが、じゃあ疲れのせいかと聞かれたら話は別だ。こめかみを抑えてから顔を上げれば心配そうな顔をしたルームメイトと目があう。
「何か飲み物持ってくるよ」
その言葉に反応するより先に駆け出していってしまったが、とりあえずその言葉に甘える事にした。まだ動けるほど回復していない。はぁ、と息を吐いてからもう一度ポスターを見る。当然先ほどと変わらない顔で何かを射抜く視線を向けていた。それが少しだけ寂しいのは、何故だろう。
「お待たせ」
水の入ったペットボトルを目の前で開けて渡され、受け取ると今度は自分の分を開けながら隣に座った。ごくりと飲んだ水は当然味は無いのに美味しくて、自分が酷く喉が渇いていたのだとようやく自覚した。
「ねぇ、ディオンはさ」
「なんだ?」
「テランスに会いたいって思う?」
突然の言葉に思わず二口目の水を飲もうと口を開けたままピタリと止まる。『テランスに会いたい?』なんて、何を言っているのだろうか。たった今見ただけの、もしルームメイトがいなかったら名前すら知らなかった相手だ。そんな事ある筈がない。ない、はずなのに、すぐに返事が出来ない。どうしてなのだろうかと自分の中にある「分からない」が更に増えて固まっていると、ルームメイトに「水、溢れるよ」と言われて慌てて我に返る。
「僕さ、前からディオンはモデルになれると思ってたんだよね」
「は?」
「でもファッション誌見せても反応しないしさ……ね、テランスに会う為にモデルになってみない?」
「なろうと思ってなれるものじゃないだろう」
「やろうとしなかったら可能性は0だけど、やろうとしたらなれるかもしれない」
早速応募先を探すからと言ってルームメイトはスマホをカタカタと弄り始める。まだなりたいとも良いとも言ってはいないが、会いたいかと聞かれて「別に」とすらすぐに言えなかったのだからもしかしたら本当に自分は彼に、テランスに会いたいと思っているのかもしれない。だが、どれもこれもルームメイトには関係のない話だ。
「何故そこまで構う?」
まだ出会って少ししか時間の経っていないただのルームメイト、もしかしたら友人と呼んでも差し支えないかもしれないが、それにしたって自分のためにあれこれと手を尽くしてくれる事が多い。ルームメイトはスマホからこちらへと顔を向けるとふっと優しい笑顔を向けると無邪気に笑う。
「なんせ僕はジョシュアだからね!」
「ジョシュアがジョシュアだと私に構うのか?」
「あはは、まぁね」
ルームメイトは、ジョシュアは楽しそうに笑ったあと再びスマホを触り始めるがこちらは理解が出来ないままだ。ジョシュアという名前の人に他に会った事はないが、ジョシュアという生き物は皆こういうものなのだろうか。
「理解できん」
「そう?でもディオンはテランスに会いたいんでしょう?」
「そうだが、前後の繋がりが見えん」
「手伝う理由はそれだけで充分って事だよ」
ジョシュアは更に意味の分からない言葉を重ねると、パチン、とこちらにウィンクする。それがまたとてもよく似合っていて自分よりもジョシュアの方がよっぽどモデルみたいだった。
ディオン…記憶は無いが、時々よく分からない違和感を感じる。前世のぜの字も無いくらい何も覚えていないし、知らない。数日後、あるいは数ヶ月後にモデルになるが表情が固く、テランスに再会できる程の有名モデルになるまでまだ暫くかかる。尚、田舎にもテレビはあったが両親が新聞やラジオを好んだ為、もっぱらホームビデオや昔の映画を再生する機械となっていた。
ルームメイト…ジョシュア。記憶あり。ディオンに会う前からテランスがモデルをしてる事を知っていた。ディオンに再会するが記憶が無い事を悟り、恋人の姿でも見せたらどうだろうかとテランスが出ているファッション誌を片っ端から買ってディオンの目につくところに置いていた。再会する手段としてディオンならモデル出来そうだなと思っていたが、本人が望んでいるわけでも無いので大人しくしていた。前世で最後まで付き合わせた事を後悔はしていないがそれでも罪悪感はあり、今世こそ幸せになってほしいと思ってるので全力で助けたいと願っている。自分は兄と再会済み。
テランス…???