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    サイケデリックカルチャーセンター

    @inochitooshi

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    POIPOI 6

    展示作品

    死は生きている お母さんが死んでしまった。

     私が誰かを思いやろうとしたとき、上手くいくのはお母さんだけだった。思いやるといっても、私は頭が悪いので大抵は家事の手伝いやプレゼントをするくらいだったけど。お母さんのために何かできたときだけ、私は自分を肯定することができた。

     いま私の周囲には職場の人しかいない。
     彼らの役に立つために何をすればいいかは分かる。誰かの分まで働けばいいのだ。でも自分の仕事も碌にできないのだから、そんなことをすれば却って手間を増やしてしまう。今までだって張り切れば張り切るほど空回りしてきた。
     失敗を繰り返す私はどちらかといえば役に立つどころか加害者だ。

     誰かと付き合ったことがないし、今となっては友人もいない。繋がりは緩やかに、根こそぎ絶たれてしまった。
     二十四歳になっても人付き合いが下手な私の光源は、お母さんだった。

     仕事に行く準備をしなければ。私は今日もミスに怯えながら仕事をして、撮影されている容疑者のように顔を伏せて過ごすのだろう。
     歯を磨き、顔を洗って朝食をとる。十分かけて化粧してから、忘れ物がないか確認する。
     いつも通り。生きる意味がなくても生活はしなければならない。やるせなくても六時には必ず起きて、明日を拒絶したくても二十三時には必ず眠る。食事は三回、野菜を多めに摂取する。週に一回は寝具を洗濯して、二回掃除機をかける。
     繰り返しばかりの不自由な人生。義務を果たして私は何を得ているのだろう。むしろ状況は何もかも悪くなっている気がする。

     手持無沙汰に電車に揺られ、それから十五分歩いて看板の朽ちかかった職場に到着する。
     扉をぎぃぃと鳴らし、最低限の挨拶をして自分の席につく。
     会話中、相手と目を合わせられない。予想外のタイミングで話しかけられると、声が小さすぎたり低すぎたりする。そんな自分に嫌気がさす。

     休憩時間は必ず一人で過ごす。みんなが談笑している中で、大縄跳びに入り損ねた子どものように寂しさを持て余してぽつんと座っている。
     他人に関心を持てない。誰かといると、自分のことを嫌いになるから。
     こうなると連絡を聞くときや注意されるときしかコミュニケーションはうまれない。余計に皆と関わりたくなくなる。悪循環。紛れもない自業自得だ。

     無口さを気味悪がられるようになったのはいつからだろう。小さい頃はバケツをひっくり返したように喋りつづけるので大人からよく怒られていた。それが中学生くらいになると何を話すべきか分からなくなって、黙ってしまうことが多くなった。

     危機感をもち社交的になろうと努力したこともあった。でもうまくいかなかった。態度が卑屈だし、必死さがにじみ出ていたのだろう。誰かのためになろうとしながら、自分のことばかり考えて真に他人を思いやれない人間であることも多分ばれていた。
     私にできることは、あなたの敵になることはないとできる限り態度で表明することのみだ。
     何度も過去の人間関係での失敗を思い出す。それで人づきあいで失敗することが余計に怖くなった。人間関係の深浅は社会経験の豊富さに直結する。私は子どもっぽく、つまらない大人になってしまった。
     だから立派な大人として生きている友人に対して、私は語る言葉を何も持たない。友達と共有できることがないので、寂しさを紛らわそうと話をしても嚙み合わず余計に寂しくなってしまう。
     孤独をこじらせて大学時代に私は病んだ。何かになろうと努力をすることもなく、自分を呪うことに貴重な時間を使い潰した。
     お母さんはそんなどうしようもない私の傍にいてくれた。お母さんの周りには人がたくさんいたけれど、それでもお母さんはつまらない私を選んでくれた。

     帰り道、冬の底冷えした真っ暗な空気は私の芯を冷たくする。私は白く濁った息を吐き出す。
     お母さんはもうどこにもいない。



     お母さんは自分の信じるもののせいで死んだ。
     鍼灸師のお母さんは、ある日突然職場で倒れて救急車で運ばれた。
     死に繋がる病気だと医者から聞いて、お母さんは医者に頼ることを拒絶した。代わりに今まで以上に民間療法にのめり込んだ。
     案の定、胡散臭い治療に効果はなくお母さんは日に日にやつれていった。私が病院で治療を受けてほしいと頼むと、お母さんは私はなにも分かっていないと言って撥ね付けた。
     お母さんの骨を拾い上げたとき、後悔した。
     私は自分の人生にすら消極的すぎる。
     どう言い返されても、お母さんを怒鳴りつけて無理やりにでも病院に連れて行けばよかったのだ。
     そうすれば、たとえ治療の末に死んでしまったとしても無力感に苛まれることも後悔することもなかっただろう。

     お母さんの真っ白な骨を思い出すたびに頭が痛くなり、その度に歯を食いしばって耐えた。薬を飲むことに抵抗がある。小さいころから薬を飲んではいけないと母に強く言われていたから。
     他にも色々決まりがあった。冷たい水を飲んではいけない。添加物を含む物を食べてはいけない。小麦や甘いものは毒だから禁止。
     お母さんの決まり事がおかしいことは分かりきっている。だけどお母さんの意思が私の習慣にへばりついてしまった。お母さんが死んでもお母さんのルールは私を宿主にしてまだ生きている。私はそれを苦々しく思う。
     歪なルールを突き付けられたとき、私は怒ればよかったのだ。そうすればお母さんのことをためらいなく好きだと言えたかもしれないのに。

     帰ってきて力なく絨毯の上に寝転がる。目を閉じて夜にやるべきことを考えながら、頭のもう半分で眠る。しばらくそうしていたが、いつまでもそうしていられないので仕方なく体を起こす。
     野菜を切ってこま切れ肉と一緒に蒸しポン酢をかける。料理から立ち上る白い湯気を眺めながら、明日が来ないことを願う。
     食後もくたびれて、また横になる。過去の嫌なことを思い出し、いたたまれなくなる。冬の夜はどうにも気分がまいってしまう。

     気分転換に散歩をしようと灰色のコートを羽織り、外に出る。暗闇の中で雪だけが星々のように輝いている。雪はコートに滲んで、やがて消えていく。
     マンションの連なりを抜けて明かりのない道に出た。薄汚れた雪を踏みつけながら歩く。
     お母さんもこの道を歩いていた。

     強い日差しで焼き付けられたコンクリートの蒸れたにおいのなかで、母と並んで歩きながら他愛のない話をした。自分の部屋の模様替えをしたいこと。上司に対する不満。母の美味しいポタージュの作り方について。お母さんは目を細めて相槌をうつ。
     お母さんの日焼けした腕が木漏れ日を浴びて焼き爛れた傷のように見える……。

     どうしてそんな話になったのかはよく覚えていないが、そのときお母さんは自分が小さかった頃の話をした。

     私に優しかった祖母は、お母さんにはとても厳しかったらしい。お母さんが試験でいい点をとっても、誰かから褒められても、おばあちゃんはお母さんを決して肯定しなかった。お母さんの話を聞かないまま何でも決めつけて嫌味を言うような、誤解に満ちた日々だったらしい。

     お母さんは私にこう言ったのだった。
    「私はいいお母さんになれてるのかなぁ」
     そうじゃない?と私は茶化すように言った。本当は思うところがたくさんあったけど、子ども時代のお母さんに報われてほしいと思った。

    「お母さんに直してほしいところがあったら言ってね。」
     お母さんはそう続けた。このとき私は自分が考えていることを正直にうち明ければよかったのだと思う。どうして曖昧な返事をしてしまったのだろう。被害者という地位にしがみつきたかったのだろうか。関係を改善し、被害者をやめることで自分の人生に言い訳ができなくなることを恐れたのだろうか。

     葬式でお母さんのために泣くことができなかったのは、お母さんのせいだけじゃないと分かっている。分かっているのに自分を変えようとしない。後悔しながら、この先も私が私であることを我慢してやり過ごせばいいと、だらだら考えている。

     強風が責めるように吹き付けて、息を吸うと冷たい空気が体内にたちまち浸食する。
     苦痛だ。「生きている」と無理やり実感させられる。
     
     寒さに苛立つと嫌な記憶が連鎖する。

     私のことは全部お母さんが決めた。
     私が欲しいと思う前に、お母さんは一通り揃えて私にくれた。好みじゃない上質な服や鞄、手作りの扱いづらい調味料、落ち着きのないカラフルな家具。
     皆は私を無欲だと言ったがそれは違う。欲を持つ余地がなかっただけだ。
     必要なものは必要になる前から全て手許にあったのだから。

     生活のルールも事細かに決められていた。
     母は自分が考える自然から背くものを生活から極力排除しようとした。
     毛を処理すると怒られるから私はいつも長袖だった。夏場は余計に汗をかくので制汗剤を買うといつのまにか捨てられていた。
     インスタント食品やお菓子を食べると怒られた。
     一番つらかったのは薬を禁止されたことだ。私が熱を出したり生理痛に苦しんだりしたら、母は鍼灸で治療しようとした。鍼灸が効かず、耐えかねて薬を飲んで効かなかったとき、母はそれみたことかと得意げになっていた。

     母の侵略は思想にまで及んだ。
     私が成人すると選挙で投票するべき対象についてまで指示された。私がそれに背けば母は不満げに言葉少なになった。
     お母さんは私の頭がいいと褒める癖に、私が口答えすると私は何も知らないんだと言って、私の思考能力を何一つ認めてくれなかった。失敗して、失敗から学ぶことを許してくれなかった。選択する権利を奪われたことへの苦々しい怒りが、冷たい空気に抗い喉を熱くする。

     私の人生を生きているにも関わらず、私の意思は求められていない。私が私として存在する必要はなかった。

     防寒対策も虚しく体は冷たくなっていく。
     雪が吹きすさぶ中で、あちこちにぽつんと立っている時計の針が思い思いの時間で凍り付いたように止まっている。

     私は過去をさかのぼる。
     親戚の集まりで、ケーキを食べることを許されず喜びの共有ができなかった疎外感。
     お母さんが友達のお母さんに陰謀論を振りまき、壊れてしまった関係。

     冬は嫌な記憶の繰り返しがとくに酷い。
     今を見るべきだと頭では分かっているのにやめることができない。
     終いには過去を今であると錯覚して、錆びついた怒りや恨みが新鮮な感情として甦る。

     外国人に対する下らないヘイトやフェイクを真に受けて、私を守るために小学生向けのデザインの防犯ブザーを買ってくるお母さん。
     自分の手の常在菌で私のために味噌をつくるお母さん。
     お母さんは「良い」お母さんになることで、世界とずっと闘っていた。

     だけどお母さんが「良い」お母さんになるほど、私は傷を刻みつけられた。お母さんのさみしさからうまれた傷跡は痛かった。
     でも私は傷を恨んではいない。
     むしろ傷を哀れみ、癒すことを拒絶しているのかもしれない。
     傷を癒してしまえばお母さんのさみしさは無かったことにされる気がする。そう屁理屈を並べたてて、現状を維持している。
     私はお母さんの苦しみまでを出しにして、自分が変わらないことを正当化している。
     私が私であることに辟易とする。

     私はお母さん以外の人を愛することができたのだろうか。
     死化粧を施されて生前より美しくなったお母さんの白い顔を思い出す。存在に根ざした痛みを覆い隠された穏やかな顔。その顔を見て、違うと思った。私は深く刻まれたシワを隠そうともしないお母さんのことが好きだったと思い知った。
     私を復元不可能なほどに破壊したお母さんが大好きだった。

     家に帰って見回すと、お母さんの痕跡があちらこちらに散らばっている。
     何度も読まれてぼろぼろになった、民間医療で大病を治すための本。
     父と喧嘩して、偽りの世界史をお母さんは泣きながら投げつけた。そのときできた床の引っかき傷。

     死んだ人間はどこにもいない。それにもかかわらず、お母さんの気配は確かに存在している。
     お母さんの寂しさは、まだざわめいている。


    2

     家族や社会の不文律のなかで「私」は抑圧され、いつからか笑うことができなくなった。
     そして母の死によって、表出するべき感情どころか、今ここで私が何を感じているかさえ自信がなくなってしまった。
     喜びが消えた。悲しみが消えた。怒りが消えた。ただぼんやりするだけで一日が終わっていく。その繰り返し。
     何年も身じろぎしなかったかのように手足がこわばっている。私は私の手綱を握ることができない。抜け殻になったようだ。
     いったい「私」はどこにいる?
     連続性を失った今、「私」という存在の根拠をどこにも見つけることができない。「私」であることの手ごたえがまるでない。
     だけど私は生きている。怖い。
     薄暗い部屋の外では、雨と景色が混ざり合って輪郭が曖昧になっている。雨音が私の頭にノイズを作り出し、じりじりと私を追い詰めていく。

     お母さんのことが頭に浮かぶ。それから名前も姿も知らない人たちの死について考える。
     この静けさの中で死だけが騒がしい。死人の寂しさは私よりも遥か深く、世界に根ざしている。 
     この地球で息をしている人たちの、何倍も多くの人が死んでいる。永遠に「無」であることを強いられている人が無数にいる。
     そして私もいつか永遠に失われ、誰にも思い出されなくなったとき、この世界に「私」が存在したという痕跡すら拭い取られてしまう。私は「無」の一部になる。

     私は無について考え、無を疑似体験する。咄嗟に身を起こし走り回る。嫌だ、と叫びつづける。
     やがて部屋に漂う生ごみの悪臭が私を現実に連れ戻す。私はその場でへたり込む。
    「存在する死」は私の正気を呑み込みつつある。
     耐えかねて助けを求める。
     お母さん。
     たくさん嫌な思いをしたけど私を守ってくれるのもお母さんだけだった。私にはお母さん しかいなかった。
     たまらず、お母さんの部屋に駆け込む。お母さんの部屋は未だに消毒液の臭いがしみついていた。私は遺品が詰まったダンボール箱をひっくり返した。薄汚れた猫のキーホルダー、カラフルなエコバッグ。小さい私のためにお母さんが編んでくれた毛糸の座布団カバー。
     その中からお母さんがよく着ていたワンピースを取り出す。途端にホコリの粒が空中をキラキと舞い、私の頬を伝い滑り落ちていった。   


    3
     今の私を占めるのは怒りだ。生命は死を内包するものだと定義づけた「高位の自然」に対する怒り。
     命はなぜ死ななければならないのだろう。
     死という理不尽な暴力は誰もが至る運命なのに、なぜ死を悲しむことは許され、死という現象自体に怒ることは異常なのだろう。怒っても避けようのない問題だから? 仕方のないことに怒ってもどうにもならないから?自分の大切な人が、死というこの世で最も残虐な暴力にさらされているのに死に怒らずにいられる?本当に?

     死はこの世で最も残酷な暴力だ。死を生き物の前提とする、「高位の自然」が悪であることは自明だ。
     人が時折見せる残酷さだって「高位の自然」の遺伝に違いない。悪がつくりだした私たちも悪なのだ。疑うなら子供時代を思い返せばいい。私たちは道徳の教育を受けている傍らで、教わらずとも上手に誰かを虐げられた。差別しない人間がどこにいるだろう。
     自然を賛美している人間は詐欺師の一面しか見ていないということだ。

     「高位の自然」は無責任に命を生み出し、家族に命の責任を丸投げする。そして最終的に私たちから可能性の全てを奪ってしまう。
     死があるから生は価値あるものになるという考えは自然に対してあまりに都合がいいと思う。そんな考えは高位の自然の独裁に、自ら服従しているようなものだ。

     何度だって言う。自然の根源は悪だ。
     私たちは自然を讃えるのではなく、強く憎悪するべきだ。
     私は生まれてきたことを許さない。お母さんを死なせたことを憎む。

     しかしこの憎悪の根源は弱々しい恐怖なのかもしれなかった。
     
     
     抗不安薬を飲み落ち着きを取り戻した頭で考える。
     無になった私たちはどうなるのだろう。何億年どころか永遠に無であることとはどういう感覚なのだろう。
     分からない。怖い。
     私は無について考えると呼吸ができなくなる。水中から引きずり出された魚のように、のたうち必死に息を吸う。どうして皆は平気でいられるのだろう。あまつさえ笑っているなんて!よそ見をしていることに自分で気づいていないのか、気づいていないふりをしているのか。
     助けてほしい。だけどこの世界で死者を助けられる人間なんて一人もいない。
     存在する以上、ヒーローですらどこにも逃げ道はない。


    「その通り」と死は言う。死は今もあらゆる場所を彷徨い歩いている。しかし同時に私の目の前で頬杖をついている。私自身が死を含んでいるから、死はいつも私の側にいる。
     死は「少女」の姿をしている。死と少女はある意味で似ている。実体はないのに概念は確立しているという点においてだ。死に触れることはできないが、死自体はざわめきとして存在する。同様に「少女」など本当はどこにもいないが、私たちは「少女」をある種の理想として理解している。
     少女は首を傾げ私の方へ体を乗り出す。そして無邪気に私の目を覗き込んだ。
     少女の大きな瞳は真っ黒だ。今までもこれからもその瞳に何も映すことはない。永遠に盲目なのだ。
     そして私は不吉な瞳に捉えられてしまった。




     死のう。そう決意し何日生きて、何度失敗しただろう。
     首を吊っても過量服薬で内臓をずたずたにしても、私は生きている。まだ生きている。
     朝を迎えることが怖くて仕方がない。無になる夢をみて、自分で自分を認識できなくなるという恐怖に苛まれる。かといって夜の静けさも私を助けてはくれない。
     仕事に行かなくなった。来なくてもいいと言われた。楽になったのは、ほんの数日だけだ。社会と向き合う時間が自分に向き合う時間にすり変わっただけだと気づいたときには遅かった。
     毎日夜に目覚めて、朝の光が私を刺す頃に眠る。食欲がなくなりスープで済ませることが多くなり、栄養が足りないせいか眠りが浅くなった。寝た気がせず身体が怠いので横になったまま一日が終わる。部屋の隅に埃や髪の毛が溜まっている。

     誰とも繋がっていない私は存在しているのだろうか。

     私は社会から逸脱したが、淡い期待に反して露ほども楽にはならなかった。
     今の自分は生きていても仕方がない。罪悪感がつのる。
     私は何も変わっていない。
     大学生の頃、一人暮らしをしてバイトをすぐにやめてしまったときと同じだ。
     でもあのときは、お母さんがいた。眠れないと泣く私の毛布の中にお母さんは手を入れて冷たい足を摩ってくれた。
     何があっても大丈夫、お母さんが守るからといってくれた。

     考えることを止めるためにフライパンを火にかける。熱くなると二の腕に押し付けた。反射で飛び退きそうになるのを我慢する。
     物理的な痛みに支配され、寂しさは一時的に潜められる。
     腕はすっかり赤く爛れてしまった。夏の日の日焼けしたお母さんを追いかけるように。



     その日は冬にしては暖かい日だった。いつもより身体が動くので散歩した。
     飛び降りられそうな建物や飛び込めそうな線路を探し、自分はちゃんと死ぬのだと安心しようとする。
     
     雲ひとつない空。うららかな日差しは私の体をじわりと温める。底が見えない空を見上げていると、不思議と自分が空に落ちている気がして足が竦んだ。


     そして私はマンションから落ちて死んだ。
     今際の際に存在への怒りや恐怖は感じなかった。強烈な痛みが自我を拭いさってしまったから。
     この先にあるものは、無。
     私は少女にのみこまれる。 


     歩いている。脚がだるい。足にできた豆は増えては潰れを繰り返している。癒えることのない痛みが救いを求めるが、救われる術がない。
     生きている者の笑い声がする。彼らは私たちの誰かが、かつて幸せであれと祈った人間だ。誰でもない私たちはあなたたちの幸せを祈ることができない。それでも全てを失った今となっては慰めとなるのはあの弾んだ声だけだ。
     私たちの誰かは幽霊がいるのなら、それは救いだと遠い昔に考えていた。死後でも存在できる可能性が死の恐怖を和らげていた。だが実際のところはどうだろう。
     私たちの誰もが悲鳴をあげているが、悲鳴をあげているのは自分だと誰も気がつくことができない。人格が徹底的に攪拌され私たちは流体になったからだ。
     眠りを奪われ終着点のない旅を強制されている。これは何かの罰なのか。私たちは世界のいたるところで痛みに喘ぎながら歩く。賑やかな街、未来のない田舎、ジェノサイドが起きている国。せっかく生まれてきたのに自分のために生きられない、あなたの側を歩く。

     烏たちは巣に帰っていく。
     肉体の牢獄から抜け出した筈なのに生きていた頃よりも重苦しい。私たちはこれからも生まれた数だけ累積していく。重さを増して、ますます身体が軋む。
     私たちはいつまで、いつまで。

     怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。


     目を開けると白い天井が目に映った。腕にはチューブが突き刺さっている。消毒液のにおいが漂っていて鼻がつんとした。病院だ。
     私は生き返った。死の少女から剥がれ落ちたのだ。
     看護婦が私が目覚めたことに気がつき私に声をかける。

     私は一時的に死を経験した恐れと、死にぞこなった悲しみから、しゃくりあげる。看護婦は慌てて医者を呼びに行く。

     看護婦が開けた扉の隙間に少女は立っていた。
     死は私を一瞥したきり興味をなくしたようだ。脚を引きずりながらどこかへ行ってしまう。

     お母さん。

     この離別は一時的なものにすぎない。
     いつか必ず、私は死の一部になる。
     生きている間、私は死の瞳を忘れることはないだろう。
     寂しさに身を浸し、あらゆる喜びを映さない、虚ろな瞳を。

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