旅人に頼られて頑張るトーマがお昼に弁当を食べる話 はたきを片手に持って鴨居に溜まった埃を落としていると、後ろを通った女中から旅人が訪問していると言われた。トーマは驚きつつも出迎えに向かうと目が合った旅人とパイモンが笑顔で手を振ってくれた。
「旅人にパイモンじゃないか! 急にやって来るなんてどうしたんだ?」
「よぉ、トーマ! 城下町の用事のついでにコッチにも遊びに来たんだ!」
そう言って手土産として今流行りの団子牛乳を受け取った。
あの将軍様が何度も飲むほどの美味しさ、との評判で城下町で皆がよく飲んでいる甘味だ。若も流行る前に持ち帰ってくれて飲んでみたが、評判と違ってエグ味と甘さが舌の上で殴りあっているかのような、モチモチとするはずなのにシャリシャリという食感もあって良しと言えない味で泣きたくなった。気分が落ち込んだが、綾人が嬉しそうに微笑んで、その店では客が自分好みの味に組み合わせることが出来るらしく、若もやってみたと。綾華とトーマにいい手土産ができたと嬉しそうに言うものだから、トーマはその場で残りを一気に飲み干して引き攣る口角を上げご馳走様でしたと礼を言い、そそくさと仕事へと戻った。
「ど、どうしたんだ? もしかして苦手、だったか……?」
そんな苦い思い出に団子牛乳を眺めていると、旅人とパイモンの心配そうな声が聞こえて頭を振る。
「そ、そんなことないさっ、とても嬉しいよ! 三本、ということは若とお嬢の分かな? ありがとう。――奥に2人ともいるから案内するよ」
気を取り直して案内しようと奥へ体を向けると、後ろから違うと旅人が言うのが聞こえ、トーマは顔だけを後ろへ振り向かせた。
「今日はトーマにお願いがあって来たの」
「まさか、単身で帰ることになるとはなぁ……」
翌日。トーマは稲妻から離れた遠いモンドの地に降り立っていた。清泉町とモンド城の間にあるシードル湖の一角に腰を下ろし、釣竿の糸を垂らしている。
あの時、旅人から「仲間の為に武器を新調したいから必要な魚を釣ってきてくれないか」と頼まれ、はるばるここまでやって来た。できるだけ早い方が助かると言われたらすぐに動かないわけにはいかない。昨夜のうちに支度を済ませ、早朝には出立した。
「しかし、旅人の仲間に“えい”という方がいたのは知らなかったな。どんな方だろうか」
トーマの力が必要とまで言われたが、自分の釣りに関する知識は稲妻のみで、故郷や外国まで手広く詳しいわけではない。果たして必要な数まで釣り上げるのはいつになるだろうか。
水面にぷかぷかと浮かぶ疑似餌の目印を眺め、気が遠くなっていくのを感じたトーマはその場から立ち上がって伸びをする。思ったより長く座っていたようで全身の筋肉が凝り固まっている。深呼吸もして、水よりも清浄なモンドの空気を体内のと入れ替える。
そうして緊張を解していると次はお腹が空腹であるのを知らせてきた。誰かに聞かれたわけではないが、気が抜いた時に鳴ったものだからなんだか恥ずかしい。
「もうこんな時間か……。そういえば、屋敷を出る時にお嬢から弁当を持たされたんだった」
潰れてしまわないよう、荷物の一番上に置いた包みを取り出し、座った腿の上に置く。竹の皮の包みだからおにぎりだろうか。普段の食事は自分や女中がしているが、綾華に作ってもらうのは久方振りで嬉しく思う。
「――これは……!」
開くと、予想通りのおにぎりが入っていたが見た目が予想と少々違っていた。おにぎりふたつ入ってあるが見た目が大きく異なっていた。一つは綺麗な三角に握られ、持ちやすいように下半分に海苔が巻かれたおにぎり。もう一つは衣のように海苔が巻かれて天辺には何故か儚さを感じさせるえび天の乗ったおにぎりであった。
「ん? 綺麗だけど、形が、少し……?」
綺麗な天ぷらに目を奪われるが、隣のおにぎりと見比べると微妙に膨らんでる。というより、これは握りが甘いようにも見える。
「もしかすると、こっちのは若が……? けどいつの間に……」
出立前に厠へ行った時、朝食を作るにはまだ早いのに台所から誰かの話し声が聞こえていた。誰かが使っているのかとあまり気にせず、綾華から弁当を持たされた時にもしやと思ったが、あの場に綾人までいたとは思わなかった。
「お嬢……若……」
実物を見ると嬉しい気持ちが胸に込み上げ、トーマは胸の前に両手のひらをパンと合わせた。
「お二人とも……いただきます」
綾華のおにぎりの、塩みと梅干しの酸っぱさが移動と釣りで疲れた身体に染み渡る。綾人のおにぎりのえび天はあまりの美味しさにトーマの喉を唸らせるが、肝心な握り飯はボロボロと崩れていくから手のひらで受け止めながら食した。
羊のような雲が浮かぶ青空の下、美味いと味の感想と米粒をこぼしつつ咀嚼していると竿の糸がギュンと張るのを見ると同時に手を伸ばし、魚との引っ張り合いの幕開けとなった。
頼まれた魚を城下町から少し外に出た場所に届けると、旅人の隣にとても見慣れた女性がいた。艶のある紫を帯びた長い黒髪を編み、いつもの凛々しい立ち姿から打って変わり、旅人に柔和な笑みを浮かべて何かを話している。
「あぁ、貴方が魚を釣ってくださったのですね。ありがとうございます」
まさかと冷や汗をかく中、パイモンがその女性に向かって「影」と名を呼んだのを見てトーマは稲妻に訪れて以来、出したことのない叫び声を辺りに響かせたのだった。