みかんコミュニケーション 音以外でも以心伝心できる。それがすっかり当たり前のように思っていた。
「な玉田、寒いとみかんが余計に美味く感じるのは何でだろな?」
大が赤い網の先端に摘ままれた留め具を鋏で切り落とす。手の中に収まる可愛らしいサイズのみかんたちが一斉にテーブルへ飛び出すと、向かいに座っていた玉田も大と共に一個ずつ鷲掴んで、手元に寄せた。
「寒さから身を守ろうとして、自らが甘くなれ~って念じでも入れてんじゃないか?」
「なあるほど。」
出鱈目で返したのを鵜呑みにしない方がいいと諭そうとしたが、大がそう思うならそれでいっか、と玉田はヘタの部分に親指を差し込んだ。
一方の大も、皮に一か所差し込みを入れると花の形に開いて剥き始めた。多少いびつながら、それはなんとかちぎれずに満開に咲かせることが出来た。
「大がこんなにきれいに剥けるとは…。」
真っ黒いテーブルの塗装と、橙色の皮との色彩コントラストが激しい。つい、玉田も目を引いて大の手元に感心を示す。
「ま、大事に食べろよ。お前すぐ放り込むから。」
「わーってる!ん…ん~!いぎなり甘くて最高だべ~。」
「やべ、めちゃくちゃ美味え!」
練習疲れに染み渡るポリフェノールの有難さよ。ふたりは芳醇な酸味と甘みを口いっぱいに堪能する。
そして、大のみかんは二口で消えた。
「おい!」
網袋の中のみかんはどれも同じくらいの大きさをしており、丸く艶やかに、「早く食べて!」とこちらを見るようにぎゅうぎゅうにひしめき合っている。
手の中に収まるだけあり、玉田もすぐ平らげてしまった。そして、剥いた際に散らばった短い筋を一か所に掻き集め、パズルのようにばらけた皮の欠片とともに、こんもりと山を作った。
「うーん…。」
大は両手で、花のようなみかんの皮を持ち上げ、睨んでいる。その間に玉田は立ち上がり、シンクへ向かおうとする。
「どした。」
譜面を難しい顔で覗き込んでいる時と似た表情だ。直後、大は花弁の端っこに手をかけ、大胆に破き始めた。
「ちょちょちょ、大⁉」
生ごみの三角コーナーへ持ち込む玉田の両手が傾く。大が指先で何かを細工し始めた。ジグザグの痕を丁寧に剥き落とし、形を整えている。
玉田も、いったん捨てるのを止めた。
すると、大が両手で胡坐の膝頭をパシッと叩く。
「…おし。玉田くん!」
「は…はい何でしょう!」
つられて敬語で返してしまう。山を再びテーブルに移し直す玉田に向かって、大は皮の一部を差し出した。
「これは何の形でしょう?」
しん、と部屋は静まりかえり、壁時計の秒針の音がこだまする。
「…あん?」
切符ほどの大きさをした、アルファベットのLの字に近い何か。大はみかんの皮で、自分に何を試そうとしているのだろうか。
何かの暗号?誰かに隠し事した覚えもない。これはしっかり答えなきゃいけない気がしてきた。
でも、全然答えが浮かばない。
「そう、だ、な…えっと…うん…。」
玉田は次に出す言葉に詰まる。だって本当に分からねぇんだもん。
いや、考えすぎなくたって、思い浮かんだまま答えてみればいい。きっと大ならそうする。玉田は慎重なトーンで答えを捻りだした。
「…ひっくり返したサックス?」
大の眉間に皺が寄る。
「それで、いいんだな?」
マジか。そういうパターン?迫られた反応に、玉田は思わず唾を飲み込む。
異様な緊張感が漂う。賭け事でもないのに、シャツの内側から変な汗が出てきそうだ。
「…。」
「えっ、合ってんの?違うの?」
「…うーん…!」
焦らすなよ!と言いたげに玉田も息をギュッと止め始めた。
ここから三十秒ほど過ぎたのかもしれない。タイミングを溜めに溜めた大が、突然顔を下に振り下ろす。
「…残念!」
「だぁぁぁ~‼」
我慢していた息継ぎが雪崩のように出てきた。額を机に突っ伏してゴツンと音が鳴る。
「正解は、『宮城県』でした!」
うずくまったまま、玉田の顔に大小さまざまな疑問符が貼りつく。
「だーいー?」
「何だ?」
「おめぇ、これ、を、よ、よく宮城県と言えるな!ほぼⅬ字だべや!」
潜在していた地元民のプライドが譲れず、つい声が大きくなる。
「いやぁ~玉田なら解ってくれるかと思ったが、ダメだったかぁ。」
「ダメも何も!みかんで再現できるにも程がある、や、剥いて形にしようとした挑戦までは許せる。でも、リアス式海岸とか、山間なんかこんなに直線までとはいかないべ。待て、オレもやる。」
脇に置いた皮の山から、何枚か成形できそうなものを素早く選び取る。
「玉田が珍しくテンション高いべ。」
「違うっちゃ。何か悔しいんだよこのままだと。」
「したら、俺にも何か問題出してみろ!ぜってぇ答えてやっからよ。」
かいた胡坐をシーソーのように前後すると、大自身も新たな皮の成形に着手した。
「お前にわかりやーすくするからな。見ておれ…!」
ライブの演奏中は、三人の強弱と指使いに至るまで、感覚を研ぎ澄まして音色を受け取ろうとする。テーマのスタートラインを一緒に踏み入れ、ソロの間はその人が自分のプレイをさらけ出せるよう全力でアシストする。ライブは音を届ける場所。それゆえに、回数を重ねるにつれて言葉のないコミュニケーションスキルも順応していると、互いに実感しているに違いない。
「(そうだ、大だって腹減ったときのプレイは息の注ぎ込みがいつも以上に荒い。お気に入りの曲を演奏するとなった時も、ソロの出っ張りはいつも弾んでいる。)」
玉田は皮の形を何にするか悩みながら、意思疎通の壁に悶々としていた。
「みかんだって、単純な楕円をしている。」
網の中の艶やかな表面を横目に見る。
「玉田?」
大の出題分はいつの間にか三個ほど完成していた。のちの為にあまり見ないよう視界から外そうと再び手元を眺める。
「今のオレ達、相当の場数を踏んでるだろ。それって、お前や、雪祈の鳴らす音の感触とかちょっとずつ分かってきてるってことにもなるよな。」
大は完成分をテーブルの端に寄せる。
「…ああ。俺も、JASSの音はいつも最高だって感じてるべ。」
「なら、このみかんも今始まったばかりなんだから、きっと繰り返し反復していけば、難しい形もきっと分かるようになるんじゃないかってな。」
「おおー!」
玉田は手にした小さい皮をジグザグに整え、見栄えを確かめる。
「だから、まずはきちんと伝わるやつから見せるっちゃ。」
ようやく一つ目が完成した。鼻を鳴らして、大の前に差し出す。
「さあ大、これは何だ?」
さかさまのサックス改め、大の作った宮城県型のみかんの皮の隣に、玉田が作品を置いた。剣のように細長い五本が扇状に広がり、中央に位置する三本目の真下に細長い線が一本伸びている。
大は考えた。腕を組み、拳を顎に当て、目を閉じる。
そして閃いた!と勢いよく目を開けた。
「手だべ‼」
訪れた静寂に、秒針の音だけが聞こえる。
「…大。」
「どうだ?当たりか?」
大の表情もみるみるうちに固まり始める。
たかがみかん、されどみかん。だからこそ漂うこの緊張感。
念じで張り詰めていたた玉田の顔は、先程までの真剣さをあっという間に溶かした。
「違います‼」
「えええーーっ‼」
威勢よく一言放ち、自分も同じじゃねぇか!と放心状態ながら心でツッコミをかます。
上昇したテンションを落ち着かせて、低く唸るような声で答えを教えた。
「はい。えっと、正解は、『紅葉』でした。」
それを踏まえて大は玉田の作った皮の紅葉を見直す。
「あーはは!悪い悪い。見れば見るほど、確かに紅葉だべ。」
「答えの後に分かられてもなぁ~!」
玉田はそのまま、後方のソファーの側面へ背中から落ちる。
いかんせん、皮の一つや二つでそれぞれ難易度も異なっていたわけだ。ここで解り合えてしまったら面白くない。大は寧ろ今から手札が控えている。
「なあ、そしたらさ。一個ずつでも答えられるまで続けっか?」
それも目を爛々と輝かせている。玉田ものっそりと身を起こす。
「…だべな。」
そのまま、すでに次の出題分の準備に取り掛かり始めた。
「したら、一対一の引き分けで、アディショナルタイムだべ!」
網の中のみかん同士が、摩擦を起こしてゴトリと音を立てた。