ドムサブ零英「はぁ…………」
口から溜息が出る。身体が鉛のように重たい。
部屋のベッドに深く腰掛けたまま、英智は額に手をあてた。
これも自分がSubだからだろうか。
英智は自分の身体に今日何度目かの溜息をついた。
人間には、第二の性というものが存在する。第二の性とは、Dom、Sub、そのどちらでもない大多数を占めるNormalの3種類だ。DomはSMにあたるS、支配者層。SubはSMにおけるM、被支配者層。こういった構造のため、Subへの偏見は、以前より無くなってはきたものの、今もまだ根強く残っているところがある。
にもかかわらず、英智はSubであることを公表している。DomとSubの割合は、ともに10%程度。英智はSubであることを逆手に取り、たとえ病弱で支配される側の性であったとしても、こんなにアイドルとして輝ける、トップアイドルになれるのだ、とSubやNormalからの絶大な支持を得ている。それが英智の狙いだ。
そのため、英智は普段からSubであることを意味する首飾り――白色のチョーカーを身に付けている。英智はそれに触れると、また溜息をついた。
Subである、ということは、ただDomから支配されるということだけではない。Subは定期的にパートナーのDomとプレイやケアを行うことでストレスが解消される。これはDomにも同様にいえることだが、特にSubはプレイやケアを怠ると、その影響を強く受け、Sub Dropに陥ってしまう。Sub Dropとは、いわゆる錯乱状態のことだ。
英智の身体が重いのは、そのプレイやケアを長らく行っていないことにより、Sub drop予備軍になっているからだろう。普段は自律神経を整えるSub用の強力な薬を服用しているが、天祥院の財力と技術をもってしても、プレイを全く行わないで健康に過ごすことはできないらしい。
元々、支配者たる天祥院家でSubの男児が産まれた、ということは内密にされていた。そんな中でも、英智には以前パートナーがいた。といっても、親や祖父が勝手に用意したどこぞのお坊ちゃんだ。そんな相手を信用できるはずもなく、英智は目の上のたんこぶたる祖父が死んだのをいいことに、父と母を上手く説得して身体の薬と共にSub用の薬を飲むようになった。
それで良かった。今までは。
御曹司にアイドル、事務所の所長としての激務に追われる日々の中で、気づかないうちにストレスが溜まっていっていた分が突然来たのか。英智は酷い身体の怠さを感じていた。
気まで重たくなってきて、英智は耐えきれなくなったようにベッドの上に寝転がった。さて、どうしたものか。
項垂れていると、ガチャ、と部屋のドアが開いた。
「ただいま〜。おっ、と。天祥院くん!? おぬしにしては珍しい格好じゃのう?」
――最も見られたくない奴に見られた。
部屋に入ってくると同時に明るくかけてくる声に、英智はにこりと笑みを貼り付けて何事もなかったかのように起き上がった。
「ちょっと、ね。僕だって年頃の男の子のように寝転がりたい時だってあるさ」
「ほう?」
こんな時間に英智が部屋にいるのは珍しい。これも弓弦と相談して体調を回復させるためにスケジュール調整して休んでいたからだが。しかも寝転がっているところを見られたのだ。鋭い零に何か勘付かれないように、英智は「ふふ」と笑った。赤い瞳が、英智を映す。
「…………」
「なんだい? 何か言いたいことでも?」
「……いや。何でも。ここはおぬしの部屋なんじゃから、別に遠慮せずかわいく寝っ転がったりしても良いのにのう〜と思っただけじゃ」
「ふふ。そうかい。じゃあそうさせて…………っ!」
ぐらり。視界がぐにゃりと曲がって、頭がくらっとする。気づけば、英智はベッドから落ちて床に座り込んでいた。
「なんだい、これ…………」
座り込んだまま、ベッドに寄りかかる。上手く座ることすらできない。意識が、朦朧とする。
「天祥院くん!」
零が駆け寄ってくるのが崩れた視界に映る。英智は取り繕おうと軽く笑った。
「大丈夫。すぐ、収まるから……発作みたいなもの、だよ……」
息も絶え絶えにそう紡ぐと零の顔を見る。彼の顔を見ても、今の英智にはその表情までは上手く読めなかった。
零は真剣な表情で英智の両肩に軽く手を置いた。
「とりあえず、ベッドへ……。寝られるかえ?」
零は座り込んだ英智を抱きかかえると、ベッドに座らせ、毛布をかけた。
「体調が悪くなってしまったんじゃな。大丈夫じゃよ」
床に膝をついた零が、英智の頭をそっと撫でてくる。
「よしよし」
零のゆったりとした声が、意識が朦朧とする英智の耳にゆっくり染み込んでくる。
「おぬしは、本当によく頑張っておる。……それは、同じ部屋の我輩が一番よく知っておるよ。…………今回はちと頑張りすぎたんじゃろうな。じゃから、今はゆっくり寝て、英気を養うと良い。我輩がついておるから、安心して良いぞい」
君がついているなら尚更安心できないのだけど。と口から出そうになるが、出てこない。
零の手が、英智の両目をそっと塞いだ。閉じたまつ毛に、優しく手のひらが触れる。
「おやすみ、天祥院くん」
柔らかいテノールの声に包まれながら、英智はそっと意識を手放した。