黒に溶け、青に堕ちる3 数日後、マスクとメガネで顔を隠しながら千隼は劇場へと来ていた。
用意されていた席は関係者用のものだったらしく、他にも見知った芸能関係者が近くの席にちらほら見られる。
劇場内は開幕直前で、さわさわと話し声が聞こえていた。見渡した様子を見るに若い女性が多そうに見える。やはり若者に人気のキャスト陣らしい。他にもドラマの共演者となる者が探偵役として出ているからそちらも気に掛かるが、それよりも冬部青だ。
彼は一体どんな演技をするのだろうか。
期待と不安とがないまぜになり、複雑な心境で舞台を見つめる。開幕を告げるブザーが鳴れば、場に落ちるのは暗闇と沈黙。
静かに始まるオーヴァーチュアの音楽は静謐な雰囲気を纏っていたが、やがてそれは徐々に激しくなっていく。幕に投影されるプロジェクションマッピングと組み合わされたオーヴァーチュアが終わると会場は一度暗転する。
再度照明がついた時には舞台の幕が開き、一人の青年が揺り椅子に座っていた。衣装的には探偵役だろう。
彼もまた今回の共演者だ。名前は夏山伊吹。冬部青とは子役時代から幾度も共演しているようで、彼等が揃って出演する舞台は必ず大ヒットすると言われている。
今回の演目もそうだ。後で調べて分かったが、チケットの争奪戦は相当激しかったらしい。そんなチケットをあっさり寄越すのだから、千隼は改めて自分のマネージャーの辣腕に感謝する。
続いて静かに舞台袖から一人の人が出てきた。その人を見た瞬間、千隼は一目で目を奪われる。
それは想像していた通りの「助手」だ。
時にコミカルに、時にシリアスに立ち回り、舞台で輝く青はまさに「助手」だった。
キャラクターが生きているような感覚を覚えるのは彼の挙動一つひとつが計算され尽くされているからだろうか。体の動かし方、視線の流し方、表情の作り方。何もかもが完璧だった。
青に視線を奪われたまま千隼は物語に呑まれていく。三時間程の舞台があっという間に進み、いよいよクライマックスシーンだ。
『貴方のことを知らなければ私はただ貴方を憎んでだけいられたのに……!!』
崩れ落ちながら舞台に挙がる血を吐くような慟哭。滂沱のように流れる涙が照明を浴びて輝いていた。
落ちていた銃を取りながらふらりと立ち上がった「助手」は自らのこめかみに銃口を突き付ける。
『何をする気だ!?』
『私は貴方の枷になりたい。貴方の所為で死んだら、貴方は生涯私を忘れられないでしょう?』
泣きながら微笑う姿は息を呑むほど真に迫っていた。
『さようなら、私が愛した名探偵』
パン、と乾いた効果音と共に探偵が絶叫を挙げ、同時に舞台が暗転する。客席の観客達の啜り泣く僅かな音が響く暗闇の中、千隼は高揚するばかりだった。
舞台が明転すれば始まるのはカーテンコールだ。先程までシリアスな演技をしていた主役二人がにこやかに舞台に出てくれば一際大きな拍手が劇場内に溢れる。
深々とお辞儀をしながら笑顔を振り撒く青の姿は可愛らしい青年といった様子だ。隣にいる探偵役の夏山伊吹とじゃれ合うように挨拶する姿は微笑ましい。
そんな彼等の様子を眺めながら千隼は満たされていた。
嗚呼、彼は天才だ。
そして、長らく千隼が求めてやまなかった相手だった。