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    菫城 珪

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    菫城 珪

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    オルテガ誕②

    オルテガ誕② 散々迷走して料理をする事になったのはいい。
     得意分野であるからこそ何を作ったもんかと悩みまくり、うちのシェフやガーランド家のシェフも巻き込んでやっとメニューを決めた。仕事の邪魔をしているというのに、皆微笑ましい顔で相談に乗ってくれるのが非常に居た堪れなかった。
     軽いコース料理にしようと思って、一品はオルテガが好きな鶏肉の香草焼きに決めた。前菜とスープ、メインとデザートくらいで出そうと思っているが、どうせなら涼介が喜ぶ物も入れたい。しかし、涼介が好きな食べ物が分からないのだ。
     一緒に食事に行った事はあるが、大体近所の安い居酒屋で頼んでいたのだってありふれたつまみばかりだった。思えば全然涼介のことを知らないのだと痛感しながら頭を悩ませる。
     魚は好きだったように思うが、ここは日本とは違って新鮮な魚は手に入りにくい。そういった物を食べるならレヴォネの方が向いているだろう。かといって今からそちらに行く訳にもいかず…と悩みに悩んだ俺はあの日作った菓子を作る事にした。
     差し入れだと言って押し付けたのはスコーンだった。紅茶味の物とナッツを練り込んだ物の二種類だ。
     渡し方だって随分とぶっきらぼうだったと思うが、涼介は大層喜んでくれた。思えば、あの頃には彼は俺を好いてくれていたのだろう。礼を言う時の表情が柔らかくて本当に嬉しそうにしてくれていたから。
     …なんで事を思い出して小っ恥ずかしくなる。どこまで不器用だったんだ、俺もアイツも。
     苦い思い出に調理台に手をつきながら思わず深い溜め息を零す。もうちょっと素直に自分の気持ちを言える様にした方がいいかもしれない。多分…その、オルテガも涼介もその方が喜ぶだろうし……って、あーもう!ダメだ!雑念ばっかり湧いてくる!
     ブンブンと頭を振って思考を切り替えてから視線を向けるのは用意した材料たちだ。
     鶏はあえていつも使っているものにした。そもそもうちで使ってる材料は高級品だし、鶏を変えたら味も変わってしまうかもしれない。オルテガが好きなレヴォネ家の味を出すなら下手な事はしない方がいいだろう。
     野菜やなんかはいつもより良い物を用意した。どうしても鮮度が落ちてしまうからダーランにかなり無理を言って新鮮な物や珍しい物を揃えてもらった。
     そして、今回の秘密兵器!何と醤油と味噌が手に入ったのだ!!
     どうやらシンユエの連れにそういった発酵食品を得意とする者がいた様で、俺に内緒で分けてもらっていたらしい。以前、遠過ぎて傷むから仕入れられないと言われて酷く落ち込んだのを見たダーランが手を尽くしてくれたようだ。
     劇のシナリオと小説の続編はダーランの好きにして良いという大きな代償は払ったものの、醤油や味噌には敵わない。少し味見してみたが、なかなか美味しかった。これさえあれば日本料理が作れるのだから一時の恥なんて安い。
     この世界で目覚めてから数ヶ月が経つ俺は和食に飢えていた。普段の飯だって美味いんだが、やはり味噌や醤油の味が恋しい。こういうところは日本人だな。なので、簡単なコースといったものの一部は和食にしようと思っている。
     出汁は乾燥させた魚は手に入るからそれらしい小魚を集めて煮干し代わりにするつもりだ。本当は鰹節が欲しいところだが、流石にそこまでの贅沢は言えない。スープに味噌汁というのもなかなかぶっ飛んでいるが、まあ食えば一緒だろう。
     まずは鶏肉に下味をつける。レヴォネ家シェフ直伝の合わせスパイスを塗して暫く置いておく。配合を聞いたが教えてくれなかったんだが、乾燥させて挽いたハーブと調味料を幾つか混ぜ合わせているようだ。舐めるだけでも美味い。
     前もって内臓を取って水に浸けて出汁を取っていた鍋から小魚を取り出す。なかなか良い出汁が出ていそうで良かった。やっぱり出汁が効いてないと話にならないからな。
     無心で下拵えするのは楽しい。「俺」も「私」も共通している趣味に料理がある。「俺」にとって料理はストレス発散も兼ねていたんだが、今となっては覚えて良かったと思う。こうして好いた相手に何か食べさせてやれるというのはより楽しいから。
     簡単な菓子ならこれまでもオルテガや涼介に食べさせてきたが、本格的に何かを作るのは初めてだろう。「私」は学生時代にダンジョン内で食事係をしていたが、あの時はあれこれ足りなくて味付けに不満があったものだ。…よく考えたら王弟、公爵家長子、侯爵家長子次男といった顔触れがダンジョン内で寝泊まりしていた状況はなかなかヤバいな。そんな色々苦くも楽しい事を思い出しながら料理を進めていく。
     米はジャポニカ米に近いものを見つけてあるからそれを炊いておにぎりに。それぞれ味噌と醤油を塗って焼いてやろう。そのうちおにぎりの具も定番のものを作りたいな。
     下味をつけた鶏肉はシェフのアドバイスで皮目から低温でじっくりじっくり火を通していく。こうする事で皮目はパリパリで中はジューシーに仕上がるそうだ。
     味噌汁の具は玉ねぎとにんじん。流石に大根や豆腐は見つけられなかった。油揚げやワカメもいいよな。その辺もそのうち作りたいと思う。
     これからの事に思いを馳せながら手を動かす時間は心が躍る。
     グラシアールの言葉もあって「俺」自身がこの世界で生きていく事に前向きになった所為なのか、最近色んなことに挑戦するのが楽しい。仕事は相変わらず鬼の様に忙しくてそれ以外にも色々やる事や考えなくてはいけない事は沢山ある。それでも、「俺」はこの世界で生きている。そして、それがとても楽しいのだ。
     皮目がパリパリに焼けた鶏肉をひっくり返して少し火を強める。こうする事でしっかり火を通していく。鶏肉の食中毒は怖いからな。
     同時に進めるのは前菜。これはレヴォネ家伝統のアンティパストにするつもりだ。生ハムを細かく刻んでニンニクや赤玉ねぎと共に調味料、オリーブオイルと和えたタルタル風をブルスケッタに。
     それからデザートのスコーンだ。普通だったらもっと軽い菓子やフルーツが良いんだろうけど、これで良い。あの時、素直に渡せなかった誕生日プレゼントのリベンジなのだから。
     紅茶とナッツ、それぞれを練り込んだスコーンをオーブンに入れた辺りで夕食の時間になる。残りの仕上げはシェフに任せて俺は自分の身支度に入った。
     そろそろオルテガが訪ねてくる筈だからそれを出迎える為だ。これがやりたくてわざわざガーランド侯爵家に帰したんだから。普段だったら絶対ごねるであろうオルテガも察してくれたのか今日は妙に素直に言う事を聞いてくれたのが少々恥ずかしいが、たまにはまあ良いだろう。
     そして、身支度を整え終わったタイミングでアルバートがオルテガの訪問を告げる。タイミングが良過ぎてつい笑ってしまう。どこまで筒抜けなんだろう。
     玄関まで出迎えれば、着飾ったオルテガがいた。背が高くてスタイルが良いし、顔立ちも整っているからそれこそボロを纏っていたってかっこいいんだが、今日は一段と良い。
    「リア」
     甘い声が名前を呼ぶから堪らなくなる。俺をみて愛おしそうに細くなる瞳も、当然の様に広げられる腕も、全部俺のものだ。
     素直に腕の中に飛び込んで身を任せれば、ふんわりと『黄昏』が香る。またつけて来やがったな、コイツ。
     元々、セイアッド専用のブーストアイテムだったこの香水はオルテガが身に付けると俺の理性を容易く溶かす。分かってやってくるからタチが悪い。
    「……つけるなと言ったのに」
    「めかしている時くらい許してくれ。俺も好きな香りなんだ」
     オルテガがめかし込んでいる時は間違いなく夜会なり何なりの公の場だ。そんな時につけられたんじゃたまったもんじゃない。それに、他の奴がこの匂いにつられては困る。
     ぐっと胸ぐらを掴んでオルテガの顔を引き寄せた。少々驚いたのか丸くなる黄昏が可愛らしい。
    「他の者まで惑わされては困る。それをつけるのは私の前でだけにしてくれ」
     そうじゃないと妬けてしょうがない。彼が他に心を移すとは思っていないが、他の者が彼を見るのも懸想するのも嫌だ。そんな子供の我儘の様な思いを彼にぶつける。俺の言葉を聞いて考えも理解したんだろう。端正な顔が緩んで溶けた。
    「お前の願い通りにしよう」
     強く抱き締めながらそう答えてくれるのが嬉しい。子供じみた独占欲を相手に押し付けるなんてまるでガキみたいだ。それでも、彼を他の誰にも渡したくない。手放したくない。
     一頻り堪能した俺はオルテガを連れて食堂へと入る。勝手知ったる我が家の食堂だが、今日はいつもと雰囲気が違う。オルテガの髪と瞳の色をした花や小物で飾り付け、室内に使用人はいない。
    「大した物ではないが、今日の食事は私が用意したんだ。楽しんでもらえると嬉しい」
     オルテガを座らせてからそう告げれば、蝋燭の灯りに黄昏が輝いた。一先ず喜んでくれた事に安堵しながら家人がカートに乗せて用意してくれていた食事を運ぶ。
     普段ならば一品ずつ出すのがマナーだが、今日は違う。味噌汁と焼きおにぎりを置いたところでオルテガが驚いた様子で俺を見た。
    「和食か?」
     いつもとほんの少し違う声音。今のは涼介だろう。
    「ああ。日本のものとは少し違うが、味噌と醤油が手に入ったんだ。好みの味だと良いんだが……」
     そう言い訳しながら長い黒髪の毛先を弄ぶ。これでまずいって言われたらどうしよう。
     そんな俺の不安を知ってか知らずかオルテガがまず手を伸ばすのは味噌汁だ。豆味噌で長期熟成した味噌はいわゆる赤味噌と呼ばれるものに近い。俺は好きだが、風味が独特で味が濃いので苦手な人もいるだろう。
     ドキドキしながらオルテガの反応を待っていれば、彼は味噌汁の入った器を置いてポツリと「美味い」と呟いた。心の底から漏れ出したようなその一言に、俺の胸には歓喜が満ちていく。
     他の人に美味いと言ってもらえる事がこんなに嬉しいとは思わなかった。
    「口には合うか?」
    「不思議な味だが美味いな。涼介の記憶があるからかあまり違和感は感じない」
    「俺達の国では良く食べる調味料なんだ。日持ちもするし、栄養素も高い優れ物だ」
    「こちらのおにぎり…?も美味い。米をこんな食べ方するのは初めてだな」
     恐る恐るといった感じで手掴みで焼きおにぎりを食べているオルテガを可愛らしく思う。何でも美味しそうに食べてくれるのも良いな。
     健啖家のオルテガは出した料理を次々に平らげていく。新しい料理を出す度に美味いと褒めてくれるからちょっとばかり気恥ずかしいが、それ以上に嬉しかった。
     作った料理を粗方食べ終えた辺りでスコーンを取りに行く。焼き立ての熱いスコーンに自分で作ったいちごのジャム、それからクロテッドクリームを添えた。
     これも喜んでもらえるといいな。
    「デザートには向かないかもしれないが……よかったらこれも食べてくれ」
     そう言ってオルテガの前に皿を置く。置かれたスコーンを見てオルテガが愛おしそうに目を細めるのを見て、涼介が気がついた事を察する。こういった事をするのはやはり恥ずかしいが、喜んで貰えるのは素直に嬉しい。
    「……あの時貰ったスコーンも美味しかったよ」
     懐かしそうに呟いてオルテガがスコーンを手に取る。その姿を眺めながら俺は胸が一杯だった。
     涼介は覚えていてくれた。同時に、日本で生きているうちにもっと涼介と話しておけば良かったと後悔が過ぎる。
     ちくりと刺さるこの痛みはきっと一生なくなる事はないだろう。それでも、こうしてまた出逢えた奇跡に感謝しなければ。
    「……これからいくらでも作るよ。お前達の為に、いくらでも、何度でも」
     幸福を噛み締めながら伝えれば、愛しい黄昏が細くなる。嗚呼、その顔が見られるなら俺は何でもしよう。
     これは世界を跨いでまで俺達を想ってくれる彼等の為に誓う決意だ。
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