黒に溶け、青に堕ちる4 月日は流れていよいよ今日は顔合わせだ。
高揚する胸に急かされながら指定されたテレビ局内の会議室に向かえば、そこには既に殆どのスタッフが揃っているようだ。
テレビ離れの著しい昨今、今回の作品は起死回生を賭けた挑戦作だと監督は言っていた。スマートフォンの普及やテレビ局の不祥事、他のエンタメが発展した事で庶民の娯楽の頂点だったテレビはその座を追われようとしている。
視聴率も伸び悩む中、テレビ局も生き残りをかけて必死なのだろう。これまで入った事のある顔合わせのどれよりも緊張感とそれ以上の意気込みを空気から感じて千隼も楽しくなる。
予算とスタッフのやる気は十分、キャストは最高峰。これで転ける訳にはいかないと千隼も気合いを入れた。そして、この環境で冬部青と演じられるのは千隼にとって僥倖だった。
あの演技を見てから千隼は冬部青が出演している舞台の円盤を見漁った。しかし、演劇はソフト化するものが限られており、その全てを見る事は出来なかった。そういったものは動画サイトに上げられたゲネプロの様子を報じた記事やプロモーション映像などの短い映像を繰り返して再生する。
どの舞台でも青は完璧だった。まるでカメレオンのようにそのシナリオに染まりながら生き生きと演じる彼の姿はいつだって輝いている。共演者に餓えていた千隼にとって青は最高の御馳走だ。
しかし、そんな青のことを調べる内に気になる文言が出てきた。それは『青に喰われる』という言葉だ。調べている内に冬部青という役者の難しさに辿り着く。
彼もまた孤高の存在だった。鬼気迫る演技に共演の役者が『喰われて』しまうらしい。それ故、時に扱いが難しいと業界人の批評があるのだ。
共演者に恵まれない千隼にはその感覚に覚えがある。こちらの演技に相手が影響を受けてしまって上手く演じられなくなるのだ。台詞が飛んだり、動作を忘れたりしてしくじるなんて事が頻発すれば周りはやり難いだろう。
しかし、千隼にとってそんな相手と共演出来るのは役者冥利に尽きるといっても過言では無い。ずっと喰らい合うような演技がしてみたかったのだから。
スタッフに案内されて自分の席に向かうと、既に彼は其処に居た。
触れれば手触りの良さそうな漆黒の髪。台本に視線を落とす横顔は真剣だがどこか可愛らしい。スポーティーな服装は彼の快活さを示すようだ。
一歩ずつ近付くごとに心臓が弾む。あの素晴らしい役者がすぐ目の前にいるのだから。
「冬部君」
スタッフに名を呼ばれて青が顔を挙げる。途端に千隼と視線がぶつかり、彼は驚いた様に目を丸くした。そして、慌てた様子で立ち上がるとガバリと勢い良く頭を下げる。
「は、初めまして! 冬部青と申します! よろしくお願いしますっ」
勢いに少々驚きながらも素直そうな反応は好感が持てる。彼は現場で可愛がられるタイプだろう。
「初めまして、黒川千隼です。今回は冬部君との共演を楽しみにしてきました。こちらこそよろしくお願いします」
千隼の返事に、目の前の青年の頬が照れた様に紅潮する。大きな瞳がキラキラ輝くのを見てじわりと湧き上がるのは愛おしさだ。頭を撫で回したくなる衝動に襲われていれば、青は照れ臭そうに微笑む。
「黒川さんは俺の憧れの役者なんです。そんな方にそう言って頂けて嬉しいです」
はにかむようにそう告げる姿は素直な好青年といった様子だ。あんな化け物じみた演技をするようには見えないからこそ、彼が恐ろしいのだろう。
そのまま隣に座って他愛のない話をする。千隼はパーソナルスペースを詰められるのが苦手だ。自分のペースを乱されるのは得意ではなく、プライベートでの付き合いは少ない。しかし、冬部青という人間は千隼とは真逆の性質らしい。
彼は良く喋るタイプのようだ。あれこれ話を重ねて相手との距離を詰め、いつの間にか懐に入っている。そんな印象を受けた。しかし、その距離の詰め方も若者にありがちな無遠慮なものではなく、慎重に相手との距離感を測っているらしい。
千隼と話していても探りながら絶妙な距離感を保とうとしている。そんな様子にまた好感が持てた。最近の若者には無遠慮な者も多い。特に千隼が共演するような若い役者は売れた事で天狗になっている者もしばしばいたものだ。そういった者と共演するのに疲れてもいたのだと嫌でも思い知らされる。
やがて、プロデューサーがやってきてついに撮影への一歩が踏み出された。
責任者達の挨拶やスタッフの熱い意気込みを聞くだけで胸が高鳴る。作品を作り上げる事への情熱を感じる現場はいつだって心が躍るものだ。
そして、役者の挨拶に入る。主演であり年長者の千隼が一番に挨拶を済ませれば、次は隣にいる青の番だ。
「藤月鬼役を演じさせて頂きます、冬部青です。普段は舞台に立って演じている事が多いですが、精一杯頑張りますので宜しくお願いします!」
快活な口調でそう言いながら隣の青年は頭を下げる。そんな姿を、改めて観察する。
さらりと揺れる艶やかな黒い髪。顔立ちは整っているが、目が大きくてどちらかといえば可愛らしいといった容貌だ。表情の動きのせいか幼さすら感じる。
第一印象は人懐こい猫の様な青年だ。眩しいばかりの笑顔は可愛らしく、万人の目を惹くだろう。
その反面で表情の作り方、体の動かし方、視線の流し方。全てが計算されている。そんな印象を受けた。彼は自身の魅せ方を知っている。同じ役者でもカメラの前で演技する役者とその場で演技する舞台俳優とでは色々違うのかもしれない。
他の共演者達の挨拶を聞きながら、やはり千隼は楽しくて仕方がなかった。
これまでに色々な演劇雑誌やネットの批評にあった冬部青の評判。その片鱗に触れたからだ。
やはり彼は化け物なのだろう。そんな彼が演技する時、どのような変貌を遂げるのか今から楽しみで仕方がなかった。