夏の日差し対策会議魏延は銀屏に弱い
それは蜀の人間ならばもはや誰でも知っている事実だった
実際、彼は銀屏のためならばどんな無茶でも大体のことはやってのける
うさぎの人形が欲しいとあれば一緒に二人三脚のレースに出るし、飴が欲しいとあれば清河郡の甘味処の飴を全て買い尽くす勢いで購入する
魏延に何か願いをしたければ銀屏を通せ
そんなふうに一部の将軍たちから言われるほどだった
だが、そんな魏延が唯一銀屏のお願いをすぐに聞かなかった出来事がある
それが『海に行きたい』というものだった
ーーー
今から数ヶ月ほど前
まだ梅雨も明けておらず、しとしととした雨が屋敷の紫陽花に振りかぶっていた頃
魏延と銀屏は今年の夏の計画を立てていた
実際のところは、毎年見にいっている祭りに今年も行きたいだの、夏限定の甘味が出るらしいだのと、銀屏が他愛もない話をしているだけなのだが魏延の中ではそれら全てに都合をつけていくつもりなので予定と言って過言はないだろう
「魏延おじちゃん!今年は一緒に海に行こう!一回でいいから、海で出てくる氷のお菓子食べてみたいの!」
そんな話し合いをしている時、銀屏が満面の笑みでそう言った
「あー…海はちょっとな…俺様とじゃなくて、別のやつといってくれ」
なら梅雨が明けたらいくか
そう言われると思っていたが、帰ってきたのは真逆の言葉だった
いつも銀屏の言葉には「仕方ねぇなぁ」と返してくれる魏延からの明確な否定の言葉に銀屏は驚きのあまり次の声が出てこなかった
それを察してか、続け様に魏延から説明が入る
「夏の海はどうにも苦手でな…まず日差しがいけねぇ。俺様の目には眩しすぎんだ。夜中に散歩していたら、突然目の前に松明が現れたくらい眩しいんだ。何とか目を保護できるモンがあればいいんだが、そんな都合のいい道具はねぇからな。
あと、海に行くとどうしても日焼けしちまうんだ。肌が赤くなった後、火傷した時みたいに痛くなりやがる…それが数日間治らないし、その間ずっと痛え。それで仕事に穴を開けるわけにはいかねぇから夏の海には行かない事にしてるんだ」
「…むぅぅ…」
今にも泣きそうな声を出す銀屏の頭を、バツの悪そうな顔でそっと撫でた
銀屏も納得はできているのだろう
だが、どうしても感情が追いついてくれない
ほとんどいつも一緒にいる魏延が、銀屏の中で今年の夏1番楽しみにしていることに来てくれない可能性が高いというのが、絶えられなかった
「悪いな…代わりに清河のやつでも…」
「話は聞かせてもらいました!!!」
清河のやつでも誘って行ってこい
そう言おうと思っていた瞬間
すぱぁぁん!!!と凄まじい音と勢いと共に部屋の襖が思いっきり開かれた
突然の出来事に、先ほどまでのしんみりとした空気も銀屏の涙もどこかへ飛んでいき、2人の視線は襖の方にそそがれる
そこには得意げな顔をした清河の主が突っ立っていた
「…お前、何のつもりだ?」
「魏延さんが銀屏ちゃんと海で楽しめる方法を編み出します!だからそれまでちょっとまっていて欲しいんです!」
あまりの唐突すぎる登場の仕方に呆気に取られつつもそう質問してみれば、清河の主はやはり得意げな顔でそう返した
どうやら本当に盗み聞きしていたらしい
「楽しめる方法を編み出すって…体質でも改善させるつもりか?」
「それもいいですけど、目を保護する何かと日焼けを抑制するものを作ります!前者はともかく、後者は華陀先生にお伺いすれば作れるはずですから!」
「じゃあ魏延おじちゃんと海に行けるの!?」
ここにきてようやく意識が戻ったのであろう銀屏が、清河の主に抱きつきながら期待に輝く目を向ける
「もちろん!魏延さんに絶対に海に行ってもらうからね!」
「やっっったぁ!!!お姉ちゃんありがとうー!!!」
そんな銀屏の頭を優しく撫でながら、清河の主も(どこから出てくるのかはわからないが)自身に満ち溢れた声ではっきりと断言してくれた
それが余程嬉しかったのだろう
銀屏は清河の主に抱きついたまま、ひまわりのような笑顔を見せる
「任せて銀屏!魏延さんには絶っっっ対!何が何でも銀屏と海に行ってもらうんだから!」
「……そんなにいうならまぁ、やってみてくれ」
「ええ!任せてください!!」
清河の主のこの言い方では魏延に拒否権などはないように聞こえるが、魏延としても銀屏と海に行けるものなら是非とも行きたいと考えているし、清河の主の言葉を聞いて『魏延おじちゃんと海!海!』と楽しそうにしている銀屏が大変愛らしいのでそこの違和感はあえて無視することにした
ーーー
そうして迎えた梅雨明けのある日
清河の主から、とうとう魏延の悩みを解決できる代物を作ることに成功したという連絡を受け魏延と銀屏は清河郡に流れる雄大な川にやってきた
川の水面は太陽の光を反射してキラキラと輝いている
岩や折れた大木にぶつかった波が光を全反射して目に入ってくるのが地味にきつい
普段から目つきの悪いと言われる魏延だが、その眩しさから目を守るため一層目つきが悪くなっている
「何でわざわざここに連れてきたんだ?」
このまま太陽に照りつけられていては、そのうち日焼けもしてしまうだろう
そんな質問が魏延から出てきたのは何ら不思議なことではない
「流石にすぐ海にはいけませんからね!ここで試しにこれをつけて欲しいんです」
そう言いながら清河の主が取り出したのは枠組みからガラス面まで、全ての色が黒で統一された眼鏡だった
「…これは?」
「ものは試しです!まずはつけてみてください」
半ば無理やり持たされてしまったが、見れば見るほど不思議な物だ
本当に目にかけても大丈夫なのだろうか
訝しげな目で清河の主を見てみるが、彼女の目からは絶対の自信しか感じられない
「…仕方ねぇなぁ」
恐る恐る装着して、驚愕した
自分の目をこれでもかと痛めつけるようなあの光が、明朝に太陽が昇り始めたくらいの明るさへと変貌したのだ
黒く色が塗ってあるせいで何も見えないと勘違いしていたが、全くそんなことはない
河原でこのくらいの明るさならば、海ではもう少しはっきりと見えるようになるだろう
普段つけ慣れないせいで違和感はあるものの、それを我慢すればあの地獄のような光から目が守られるのだから気になることにもならない
「…お前、凄すぎだろ…」
「自信作ですからね!当たり前です!」
「魏延おじちゃん、どんな感じ?」
ここまで心配そうに魏延の様子を見ていた銀屏が、驚愕のあまり目を見張らせながら眼鏡越しに景色を見ている魏延に声をかける
海に行けるのか気になるのもあるだろうが、どちらかといえば好奇心の方が強いのだろう
ワクワクと目を輝かせながら魏延を見ていた
「銀屏、これはすげえぞ…夏なのに目が痛くねぇ!これつけてれば海なんてへっちゃらだ!」
「本当!?やったぁ!!!」
「気に入ってくれたみたいでよかったです!」
大満足な魏延と銀屏の様子を見て、清河の主も大満足のようだ
彼女はその調子のまま魏延の悩みを解決するもう一つの代物を手に取った
「魏延さん、もう一つ忘れていませんか?」
そう言いながら魏延に渡されたのは、蓋付きの陶器の小鉢に入った軟膏だった
「華佗先生にご助言いただきながら作ったので、絶対に日焼けしない自信がありますよ!」
「塗ってみてもいいのか?」
「はい!お試し分ですから全部使って大丈夫ですよ!銀屏も塗ってみる?」
「うん!塗って塗ってー!」
清河の主がもう一つの小鉢を取り出し、銀屏の腕に塗り始めた
それをみた魏延も同様に自分の顔と右腕に塗ってみる
少々粘度を持った水のようなそれを指を使って腕全体に伸ばせば、浸透していくかのように広がっていった
その感覚と若干の冷たさが心地よい
銀屏も同じだったらしく、何度ももう一回塗って欲しいと清河の主に頼んでいた
魏延も右腕と同じく左腕にも塗ろうと思ったが、それでは本当に焼けないかどうか判断ができないと考え寸の所でやめておいた
「このまましばらく腕を日に当てておいてみてください」
そう言われて腕をかざすこと約5分
「あ!魏延おじちゃんの左腕、ちょっと赤くなってるよ」
黒眼鏡をしているせいで己からはよくわからないが、軟膏を塗っていない左腕がじんわりと赤みを帯び始めたらしい
これ以上続けると本当に日焼けしてしまうので、清河の主からもらった軟膏を左腕にも塗っておく
「銀屏、右腕はどうなってる?」
「全然変わってない!魏延おじちゃん!このお薬すごいよ!!!」
何度も何度も魏延の右腕と左腕を見返している様子を見るに、かなりの差が出たのだろう
「…お前、本当にすげえな」
もはやその言葉しか出てこない
「これで銀屏ちゃんと海に行けますね!」
「あぁ、そうだな…助かった。例と言っちゃ何だが、俺様にできることならやってやるよ」
わざわざ自分のためにこんなにも時間を割いて努力してくれたのだ
感謝の言葉と、自分にできることの手伝いくらいはやらねばならない
そう思って口にしたのだが、その瞬間に清河の主の口元がニヤリと…悪巧みを考える子供のように歪んだのをみて、魏延は瞬時に悪寒を感じることになる
「その言葉を待っていましたよ、魏延さん…」
「お、おぉ…?」
あまりの迫力にちょっとだけ気圧されてしまった
口元は笑っているのに、目元が笑っていない
何か途方もない嫌な予感を感じとるが、だからと言って自分のために粉骨してくれた彼女への発言を撤回するわけにもいかず
魏延は清河の主の言葉を待つことになった
「魏延さん!あなたの水着は私が作らせていただきます!」
いいですね!
なんて言いながら清河の主が勝ち誇った笑みを浮かべる
「…え、は?いや、何で…?」
当然の如く、魏延は混乱した
そもそも海に行くとは言ったが甘味を食べるだけで泳ぐつもりはなかったし、もし海に入るとしても足首くらいまでだと思っていた
「何でもだってもありません!そのためにこうして絹織物を準備したんです!大人しく用意されてください」
もちろん銀屏ちゃんの分もあるからね!
そう言いながら銀屏に満面の笑みを浮かべる
海で遊ぶこともできると知った銀屏はまた大喜びで清河の主に抱きついたが、魏延はまたまた悪寒を感じ取っていた
魏延は清河の主に一度服を贈ってもらったことがある
それが銀屏とお揃いだったのだ
まさか、まさかとは思うが
「…お前、水着を銀屏とお揃いにするわけじゃねぇ…よな?」
「えー?流石の私もそこまではしませんよ!」
その言葉を聞いて安心したのも束の間
「色と柄しか同じにしません!」
やはり爆弾が投下された
「はぁ!?おま、何言ってやがる!」
「別にいいじゃないですか!銀屏とお揃い嫌なんですか?」
「嫌じゃねぇけど!親子じゃねぇ俺様と銀屏のお揃いはまずいだろ!」
「大丈夫です!魏延さんと銀屏の専用の海辺を見つけてきますから!」
それとも?できることならやるって言葉は嘘なんですか?
水着を着るなんて、誰でもできることですよね?
そう言いながら何とも言えない素晴らしい満面の笑みを向けられては、今回に限って立場の弱い魏延には何も言い返すことはできなかった
「…わぁったよ!!!お前に全部任せるよ!!!」
「そう言ってくれるのを待ってました!銀屏、海に行く日が楽しみね!」
「うん!魏延おじちゃん!楽しみだね〜!」
「あぁ…そうだな…」
太陽の光が反射して、川面がキラキラと輝く最中
必要な分しか光を通さない黒眼鏡と、肌を日焼けから守ってくれる軟膏のおかげで海に行けるようになった喜びと、どうしてこうなってしまったのかという戸惑いを大いに感じながら、魏延はキャッキャと楽しげに笑う2人に盛大にため息をつくしかなかった
「銀屏はどんな色の水着が着たい?」
「んっとね〜…桃色!」