叔母上は年上の甥にむすびの糸を使いたい!「秀信、ちょっといい?」
彼女が僕の視界に収まると、自然と笑みがこぼれる。二つに束ねた桜色の髪が軽やかに右へ、左へ。どうやら機嫌がいいらしい。
「ちょうど一息つこうと思っていました、叔母上もいかがですか?」
その言葉は嘘ではない。早朝から早駆けの知らせが来るなり話を聞き、ちょっとした軍議を開き、その後は文を書き、考えを書にまとめ、気づけは腹の虫が鳴いていた。腹の皮が目の皮がたるむ。伸びてきたあたたかな日差しに手を差し出したいと思考が逸れて、なおざりに字が揺らぐところだった。
控えていた侍女に目配せをし、叔母を縁側へ促すとその手には小さな赤い巾着が。その中身が「ちょっといい?」の内容なのか。口角を上げて待ちきれない様子はまだ年端のいかない頃の姿を思い起こさせる。
円座に腰かけた彼女は来る茶も待たずにこう言った。
「手を出して」
ああ、昔もこんなことがあったな。
椀のように出したこの両手に自分よりも少し大きい手がときには菓子、ときには花、ときには綺麗な石を入れてくれた。毎回変わる贈り物にいつも胸を高鳴らせていたのだが、彼女は覚えているのだろうか。そしてこの齢になった甥に今日は何をくれるのだろうか。僕の心の臓はゆっくりと、だが確実に働き身体をあたたかくしていく。
しかし、今は僕よりも一回り小さい手は何も入れることはなかった。巾着の中から取り出した赤い紐を、左手の小指に通すと手際よく蝶結び。第二関節に緩くもなく、きつくもなく結ばれた紐はよくできた品で八葉からの頂き物かもしれない。
思い出したかのように腹の底が重くなるのを頭の端に除けて、この意味を問いかけるように叔母を見た。
「ダメかあ……それは〝むすびの糸〟って言って、五行の力を具現化したものなんだ。八葉と神子の絆を高めるものなの。相手に結んだらいつもは消えてなくなるんだけど、やっぱり秀信は八葉じゃないから無理みたい」
悪く言えば八葉の方々のおこぼれというわけで、良く言えば八葉でなくとも僕と今以上に絆を高めたいというわけだ。先ほどまで意気揚々としていた神子様はどこへやら、しおしおと肩を落とす可愛らしい叔母に腹の底の重さは嘘と相成った。
「小指に何か謂れがあるのですか?」
〝相手に結べば〟ということはおそらくどこでもいいわけだ。人差指でも、手首でも十分一回りはできるくらいの長さはある。
運ばれてきたあたたかい茶を手渡す際にゆらゆらと揺れる赤が目を惹いた。これでまたひとつ、視界に入れて嬉しいものが増えてしまった。
「〝運命の赤い糸〟って話があるんだよ。自分と結ばれる運命にある相手とは見えない赤い糸で結ばれてる……って別にそこに結んだ深い意味はなくてね! 絆を深めるには小指かなってイメージ、固定観念。皆も小指でやってたから」
慌てて捲し立てる頬は僅かに上気して、僕は喜んでいいのやら妬いていいのやら。これまた愛い叔母を見れたのだからと収めるように糸を撫でた。
「結びの糸は叔母上に結んでも消えてしまうのですか?」
「ううん、私と誰かを結ぶものだから自分に結んでも効果はないんだ」
「……脚を失礼しても?」
「脚?」と首をひねりつつ正座を崩して脚を寄越そうとするのを「そのままで」と軽く制した。流した二本の細い足首の片方に結びの糸を。途中、触れたくるぶしは何も言わずただ糸を通す空間だけを板張りから生み出し、掴んだ足首は僕の手で一周できる太さだとを知った。
「僕の知っている赤い糸の話はこちらに結います」
「ふふ、おそろいだね」
黒い召し物に赤が映える。
人の理に囚われず、織田家にも囚われず、僕に捕らえることのできない愛しい人よ。神なる力を少しだけお借りして祈ります。僕の思いはこの糸と共に、あなたと共にあります。ですからどんなに遠くへ行かれても安寧の地よりお戻りになられませんよう。あなたの無事だけを心からお祈りしております。
しばらく二人は揃いの赤い紐をつけ、城内に留まる八葉は各々面白い反応を見せたんだとか。
中国の故事には続幽怪録というものがあり、赤い縄を男女の足首に結ぶとどんなに遠くにいても、生まれた環境が違っていても必ず二人は結婚する運命になるというものがある。
終