母は病人でした
私が成人した年に病に倒れたのはまだ救いだったのでしょう、生活費とモルヒネ代を稼ぐことが出来ましたから
日に日にやせ細って、目も落窪んで、私の知る母とはすっかり別人になりました
夜になると痛みが強くなって到底眠れません
肺が潰れるように傷んで、おまけに視力が弱って光すら見えないから、母は恐怖と孤独に耐えかねて毎夜私の名を呼びます
微かな声で呼ぶんです、けれども夜は葉の擦れ合う音さえよく響く、母のすすり泣く声は毎夜私の頭に響き背中をチクチクと刺しました
そのうち仕事から帰って息絶えた母の遺体があることを願ってしまうほど私も追い詰められていました
2週間前、いつものように枯れ枝のような母の腕を取り服を着替えさせていると母は私の手を強く掴んできました
驚きました、あんな力がまだ残っていたなんて
見えないはずなのに私の方をしっかり見て口をもごもごと動かしたんです
"殺して"
あれは幻覚だったのかもしれません
しかしおぼつかない口はたしかにそう動いたのです
それで私はどうしたかですって?
殺しませんでした
殺せませんよ
愛していましたから
この動機では不満でしたか?
陶器みたいなお顔に数ミリシワができていますよ
母は私に失望した事でしょう、最後は怨めしい顔をして逝きました
ですが私は己の心を殺さずに済みました
後悔はありません、さあ早く母の元へ逝かせてください