考えないようにする 子供の頃、家族と旅行した際に飛行機に乗った。離陸する時のあの奇妙な圧迫感と浮上する時に感じた重力。
あまり心地のいいものではなかった、あの感覚に少しにている。
妙な気持ち悪さと徐々に感じる身体の重さ。
そして遠くから聞こえるあの独特の音声。
重力を久々に感じるような、異様な身体の重さと怠さ。身体のあちこちが痛い。
一体何が起こったのか思い出せずにいた。
自分になにかあったとすればそれは洛冰河が関わっている。
もう何百年と連れ添いお互いを理解し添い遂げてきた。
そうだ、添い遂げ。
頭の中が恐ろしい記憶の量で爆発しそうになる。
そうだ、あれは、寿命。
おもいだした。
あのあと、どうしただろう? ひとり残され途方に暮れては居ないだろうか?
ちゃんと死ねただろうか。
「……冰河……」
自分の声だというのに聞き慣れない、そんな気がした。
かすかすでよく聞き取れもしない酷い声。
沈垣は程なくして意識を浮上させた。
最初に聞いたのは遠くから聞こえる妹の声だった。
目に入るのは見知らぬ天井。
その後ドタドタといろんな人が入ってきて目に光を当てられたり聴診器で色々確認されたり検査も何度もして慌ただしく過ごした。
何年も植物状態で寝たきりだったにもかかわらず、両親は治療を継続してくれていた。
感謝しか無い。
二度と会えないと思っていた家族の顔はなんとなく覚えていたものよりもぼんやりとした印象だった。
現実味が無さすぎた。
とおにそんな普通だった生活から遠く離れて暮らしていたのだ。
此方が現実とわかっていても認識が噛み合わない。
違う顔、痩せ細った身体、中途半端に伸びた髪の毛、どれをとっても見慣れない。あの長い濃密な時間で得たもの全て置いてきてしまったのかと思うと本当勿体ない、少しくらい反映されてもいいんじゃないか? と不満に思ってしまうが、そもそも本当にあれが現実だったのか、それとも長い長い夢をそう思っているだけなのか。証明するものは何もない。
なにも無いのだ。
倒れてから意識を取り戻すまでおおよそ一年半。もし向こうで過ごした時間が反映されているのであれば一年が一日という計算になる。自分の年齢も一つ上がり、病院でリハビリをして過ごすうちにもう一つ歳を取りそうだ。
歩くことや食事を取るのも最初はままならず、苦労を重ねたが、若さも手助けし順調に回復をしていった。
家族からは以前の自分と違うと言われたが、医者からは倒れた後遺症かもしれないと言われ納得していた。はずなのだが。
「兄、聞きたいことがある」
それは第一発見者であり意識を取り戻したときに最初に知らせてくれた恩人である妹。
「なんだよ、改まって」
「本当に兄なのか」
「お前の兄だ」
「それはわかってるんだけど、なんていうか、中身が、あ~うまく言えないな!」
感がいい。女というものはこういうものなのか。
俺であって確かに以前の俺ではない。
「大人になったんだよ」
「寝ていただけなのに」
鋭い。以前の俺ならこの時点で切れていたかもしれない。
しかし修行を積みあの長い時間を過ごし、そしてあの面倒くさい手のかかる子と一緒に過ごしてきたのだ。このくらいなんていうことはない。
「色々あって、それから目が覚めたんだ。考える時間も十分にあるし」
「そう……ところで、あのさ、『ビンハー』て……」
「えっ」
流石に動揺した。他人からその名を聞くとは思わなかったし、万が一妹があのハーレム小説の存在を読んで……いやいや、あれはだってどう考えても男性向けジャンルだ! こいつはどちらかというとあれだ、腐女子というやつだ! そんなわけがない。おっと、待てよ、こいつ俺が倒れた時の第一発見者じゃねーか! あの時俺は何をしていた!? そう、向天打飛機大先生にクソみたいな話を書きやがって伏線回収してないし悪役を処刑してハッピーエンドとかそんな終わり方で納得するわけ無いだろ! と絶世キュウリの名前で罵っていた時ではないか? そうなるとパソコンは開きっぱなし、データはそのまま! オタクとしては死刑! 生きているうちで最も最悪なパターン! これ以上無いほどの地獄!
少し青ざめた顔で妹の顔を見る。
「いや、その顔(笑)兄だわ(笑)」
そこかよ!
「いやぁ、まさか兄があの恋愛小説読んでるなんて思わんじゃん。あれさ、最初はそんな人気なかったのに完結してからかな、少し加筆修正と番外編で回収されなかった伏線のいくつかをアップされてさ。それで人気が出たんだよね、女の子に」
伏線を回収したのは俺だけどな!? いや、待ってくれ、確か向天打飛機先生こと尚清華は死んだって言ってなかったか? 死んだからこそ一緒にアレヤコレヤと手を回したんじゃないか。続きを書いた? どういうことだ?
それよりも、女の子に、人気!?
「女の子に、人気? あれが?」
「そんだよ、大人気。この間、先生がインタビューされてた記事もあるよ。見る?」
「見せてくれ!」
そこには向天打飛機先生の名前はなかった。代わりに無難な名前の作者がインタビューに答えていた。
【最初は主人公のハーレム小説を目指していた。しかしひょんなきっかけでその流れが大きく変わった。作業中データが飛んだり、自分が感電して生死の境を漂ったりもしましたが良くも悪くもこうして作品が完結出来、ハッピーエンドになったのは支えてくれた読者の皆さんやサイトで常に応援してくれたファンのみんな、そして諦めずに書き込みを続けてくれた人のおかげです。後悔とかやり残したこととか無いわけじゃ無いのですが、次回作でまたたくさん書いていこうかと思ってます。】
顔は出ていなかったが、これは間違いなくあいつだ。感電したのまで言っちゃうあたり確実だろ。俺同様生きてたのか。うん、よかったよ、安心した。自分だけ生き返ったとかバツが悪いもんな。ところで書き込みて俺のことか? あとまてよ、さっき妹恋愛小説て言わなかったか? このインタビューも最初はハーレム小説にしようとって書いてあるが……え、いや、そうだよな? 俺が書き換えたんだからそうなるんだけど、現実も? 現実でも変更ちゃんとされてたのか? つうか俺が今まで読んで課金したドスケベハーレム小説は何処言っちまったんだよ!? ピーがピーピーでピーなあの話とか全部なくなっちまったのか!? 悲しい!! 人生の半分が失われた気分だ!
「兄がまさか恋愛小説の熱烈な読者とか思わなかったわ! あ、パソコンの画面とかキャッシュとか履歴とかある程度は消しておいたから感謝してよ。ブクマとかは流石に全部隠せなかったけどヤバい名前のファイルのだけは普通の名前にしておいたから帰ったら確認してよね」
あー!! 死ー!! クソ死ねる!! いや、ありがとう妹! これが両親なら完全に死んでたし今後の生活にも支障がでるところだった!
「……感謝する」
「そうよ! 感謝してよね! ところでさっきの話なんだけど」
「あ?」
「ちょっと言いにくいんだけど、兄が何度か寝言で『ビンハー』て言ったの。あの小説がいくら好きだからって主人公の名前何度も呼ぶわけ無いし」
「それは……」
それは俺の夫の名前で長い事連れ添い永眠して置いてきましたとか言えるか!? そんなわけないだろ! 頭のおかしいやつだっておもわれるだけじゃねぇか!
その時天の助けか、妹のスマホが鳴った。ちょっと出てくると病室から出ていった。
どう答えればいいのか、言い訳を考えるしか無い。しかし寝言で冰河の名前を口にしていたとかヤバすぎるだろ俺! クソ恥ずかしい!
あぁぁぁぁ~…、情けない声が漏れる。
見慣れてきた天井をただ見つめるしか出来なかった。
コンコン、病室のドアがノックされた。
妹かそれとも家族か。まだ友だちや知り合いなどに病院のことは知らせては居ない。
「開いてるけど」
素っ気なく返事もするも誰も入ってこない。
「入って来ていいよ」
もう一度声を掛ける。
聞き慣れた音がした。
これは、まさしく……