今が思い出になるまで　春も少し過ぎあたたかくなってきた空気を感じながら、菩薺観の庭の木々の一つの前に花城は立っていた。
「三郎」
　名前を呼ばれ振り向く。美しい最愛の人が此方にゆっくり歩いてくる。昨日は無理をさせたので少しでも休ませていたかったが、思っているより相手は丈夫なのだと改めて感心する。
「おはよう、哥哥」
「おはよう、三郎。何を見ていたの？」
　花城が見ていたのは他よりも少し背の低い木だった。しかし葉は青々と繁りのびのびとした新芽は此処にあるどの木よりも存在を主張している。
　謝憐は葉の一枚に手を伸ばし、そっと指で優しく撫でた。
「君が帰って来て、庭の世話をしてくれるからこの子がとても元気に育ってくれている。此方の花も向こうの木も。花が咲くのが楽しみだ。本当にありがとう」
　朝日が反射するようにその眩しい笑顔からは嬉しさや愛おしさを強く感じたが、それに対して花城は少しだけ申し訳なさを感じてしまい謝憐の袖をつまみ首を降った。
「ここに在るものは貴方の大事な物だから、大切にしたいんだ」
　謝憐は掴むならこっち。と袖を掴んでいる花城の手を握った。
「君に見せたくて私が集めた子たちだからね！　大切にしてくれるの、とても嬉しいよ」
「哥哥はとても感性がいい。ここの草木はどれも素晴らしいから育てがいがある」
「ふふっそうかい？」
　見つめ合い、お互いを認識する。
　ちゃんと此所に居る。
　お互いがお互いの隣に居る。
「…もう少し集めてもよかったかな？」
「それだと此処が森になってしまうよ哥哥」
「そうか、それは困るな？　庭で私が迷子になってしまう」
「そうならないようにいつも僕が隣にいるよ。でも、もしはぐれてしまっても探して見つけ出すから安心して」
「それは、…とても心強いな」
　どちらともなく腕を絡め寄り合う。
「此の木は花が咲くと良い香りがするんだ。小さくて、君の蝶々みたいな可愛い花だよ」
　花城は木に目をやり照れ臭そうに微笑んだ。
「森の中で見つけたときは少し元気がなくて、でも花はとても良い香りで。この子が連れて行ってくれと言っているように見えたんだ」
「羨ましい。哥哥に見つけて貰えただけじゃなく、願いまで聞き届けて貰えるなんて。幸せ者だ」
「そうだといいな」
「そうですよ。それ以外あり得ない」
　あまりにも強気で話す花城の口調に謝憐はつい笑いが漏れた。
「君を喜ばせたいと思って探していたんだ。そうしたら見つけた。きっと、この子も君を喜ばせたいと思っている」
「……嬉しい」
　花城は心からそう思った。
　花が咲くのが楽しみだ、きっとたくさんの花を付け優しい香りでこの人を包み込んでくれる。
「哥哥、此の木犀の花が咲いたらそれでお酒を作ろう」
「いいね！　私も手伝うよ」
　花が咲いていないのに木の見分けが付くなんてさすが三郎だ、そう感心して謝憐はいう。大したことじゃない、花城はそういうと謝憐に少しだけ寄りかかるように体を寄せた。あたたかな体温が伝わる。
「哥哥、お腹はすいていない？」
「そういえば…」
　花城は手を伸ばし謝憐のお腹の辺りを擦ってみると少し体がピクリと跳ねた。
「さっ三郎！　私はとてもお腹が空いているみたいだ！　早餐にしよう！」
「そうですね。そうしよう。僕が作るよ」
「ありがとう、楽しみだ。お昼は私が作ろう。以前よりは上手くなったと思うんだ」
「本当？　とても楽しみだな。早くお昼にならないかな」
　ほんの少し先の話が出来る安心感に謝憐はほっとする。少し前の不安とか悲しみが嘘のようだ。
　ぎゅっと花城の手を強く握る。
「哥哥、そんなにお腹が空いた？」
　花城は少し心配そうに謝憐の顔を見た。
　謝憐はだいじょうぶと微笑んだ。