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    五十嵐

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    五十嵐

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    毎日モブノス 54日目
    ひさびさの全年齢

    11月17日(54日目)11月17日(54日目)
     昨晩はずっと鉄格子を揺らしていたが、日を跨いだ頃から、腕をぶらんと垂らして座り込み、呆然と牢の外を眺めるようになった。何の変哲もない石の壁をじっと眺めている。
     私が牢の外へ姿を見せた途端、顔に生気が戻り、鉄格子に飛びついたと同時に泣き崩れた。
    「おうちに帰してくださいっ……みんなに会わせてくださいぃっ……!」
     声を裏返して、格子に顔を食い込ませて、ノースディンは頼み込んできた。
    「あと5日で帰れるぞ。」
    「い、5日もっ、堪えられませんっ……!」
     大きくかぶりを振って、涙が周囲に飛び散る。たった一月半前には、こんな短い期間に自分を従属させられるわけがないと、この生活を鼻で笑っていたというのに、随分と弱くなったものだ。
    「なぜ帰りたいんだ。」
     訊きはしたが、壊れるのが嫌とまた言い出すと思っていた。しかし、違った。
    「ドラウスとのおはなしが、楽しくて、ご真祖さまに、振り回されても、うれしくてっ……、ドラルクの軽口を、いとおしく……思って、そういう、生活に、もどりたいっ……。クラージィが、幸せか、知りたいっ…………。」
     そう言っている間、私へ焦点が合わず、遠くを見ていた。まるでそこに竜らがいるかのように、微笑みかけ、顔つきに光が宿っている。人格が壊れる寸前には、走馬灯のようなものでも見えるのかもしれない。
     しばらく黙っていると、彼は再び口を開いた。
    「……あたたかい紅茶が飲みたい、すきな本をよんで、棺でゆっくりねむりたい……、だれかと、一緒にいたい……っ、」
     以前渡した本はまだ読まれずに置いてあるのだが、彼の言う本とはそれを指しているのではない。安心と安全が保証された我が家で、心身を解放して趣味に没頭する時間、それ自体を欲しているのだ。
     それならば、与えてやればよい。彼が私に身を委ねる邪魔となっている願望は、ひとつひとつ潰していこう。 
    「そうだね。今日はおしゃべりしよう。温かい紅茶も飲もうね。」
     彼の隣へ移動して、両頬を優しく手のひらで包み、目を合わせ、そう言った。
    「は、は、は、」
     彼は浅く速い呼吸をして、冷や汗をかき始めた。心まで明け渡してしまうことへの恐怖心が強く表れている。
    「大丈夫だ。畏れるな。私はすべて叶えてやれる。」
     頭を撫でると、緊張ではない理由で息が上がり始めた。今は下手に発情させるべきではないから、直ぐに手を離して、身体を抱え上げた。
    「ぅあ、あ……♡」
     口端から漏れるか細い声を無視して、牢の端まで歩く。そこへ屋敷のソファを転移させて、座らせた。
    「少しだけ、待っていなさい。すぐに戻ってくるからね。」
     彼は幼児が母に向けるような愛着の眼で私を見上げ、こくりと頷いた。
     屋敷へ行き、ケトルに湯を注ぎ、電源を入れた。そして、数秒足らずで彼の隣へ戻ってきた。
     彼は俯いていたが、突然ソファにふわりと座った私に気づくと、あからさまにほっとして肩の力を抜いていた。
    「すぐ帰ると言っただろう。」
     微笑むと、彼は目を細め頷いた。
    「何の本を読もうか。お前の好きそうな本を何冊か持ってこよう。……さあ、選んでいなさい。」
     屋敷から呼び寄せた本をソファに重ねて置き、選ばせつつ、ローテーブルも出して、その上に必要なものを並べていく。ティーポットに茶葉を入れ、湯を注ぎ、蓋をする。彼は本を一つ一つ手に取り、最初の数頁をゆっくりと捲って、今に相応しいものを吟味している。静かに、緩やかに、時が流れている。
     真剣な表情で書物を手にしている美丈夫にミスマッチな全裸の姿。普段は性欲や支配欲が唆られるはずのそれが、今はなぜか哀れに思えたので、新品のブランケットを肩に掛けてやった。
    「っ?」
     すると、顔を上げてこちらを見てきた。集中から急に呼び戻され目を丸くしている。
    「暖かいだろう。さあ、ゆっくり選びなさい。」
    「……ありがとう、ございます。」
     身体が物理的に暖められると、心も溶かされるものだ。わずかに顔を綻ばせて、彼はようやく言葉を発した。緊張が着実に緩んできている。
     彼は胸の前でブランケットをぎゅっと握り、身体をより覆うようにしてから、私へ一冊手渡してきた。
    「これが、読みたいです……。」
     様々なジャンルの本を持ってきたが、児童文学に属するファンタジー小説を選ぶのは意外でもあり、私の望んだことでもあった。たった半世紀前に出版された作品であるから、彼が子供の頃に読んでいて懐かしみたいという理由で選んだのではない。彼の精神が退行し、また疲弊していて、そういった世界へ入り込みたいと願っているのだ。幼少の自分という、深く脆い深層が表に出てきている印だ。
    「読み聞かせてあげようね。」
     つまり、今の彼はこれも喜ぶはずだ。予想通り、瞳の奥がきらめき、笑みを抑えられていなかった。

     その時間は、穏やかに過ぎた。彼は脱力して、深い呼吸ができていた。私の声で発情することもなく、心地良さそうに目をとろんとさせて、朗読に耳を傾けていた。紅茶に口をつけては、身体の毒気を抜くように大きな息を吐く。香りを楽しんで、ほのかに笑う。
     私も、息子の小さい頃を思い出して、幸せな気持ちだった。息子を殺した張本人だというのに、その姿を息子と重ねていて、それに嫌悪感を抱けない自分がいる。
    「……おしまい。」
     読み終わり、彼の方へ視線を移す。今や、私の肩へ体を預け、微睡むまでになっていた。
    「ん、」
    「ノースディン、起きていますか。」
    「ぅん…………、」
     彼が頷き、多少姿勢を正すと、肩にかかる重みが少し減った。そして、舌足らずにぽつりぽつりと呟き始めた。  
    「急ぐより、こうやって……、ゆっくり、したほうが……、ふふ、幸せ、なんですね……。」
     今実感した感覚を共有してきたことが、言葉の調子から伝わってくる。読んだ児童書は、余暇時間が謎の組織に奪われて、人々はできるだけ時間を切り詰めようと忙しなく働くようになり、そんな世界を元に戻すため一人の少女が奮闘する、といった内容だった。彼の中で、この内容と自分が結びつく部分があったらしい。
    「そうだね。私も幸せだよ。」
     受容し、髪を梳いてやると、彼はぼんやりと言った。
    「私はずっと、何か、急いでいた気がする……。」
     遠い目だった。この監禁生活でのことも勿論含まれるのだろうが、それよりも、以前の日常に思いを馳せているように見えた。
    「頑張る必要はない。お前はお前のままでいい。私はそれでも、愛おしく思うよ。」
     自然と口に出てきた言葉に偽りはない。額にキスをし、更に続ける。
    「もう少ししたら、私の屋敷へ行こう。そこでお前を飼ってあげようね。」
     そう言って肩を抱くと、大粒の涙が落ちて、しゃくり上げた。
    「うれしいっ……。ありがとうございます……。」
     竜との過去も、聖職者との未来も、悪魔である私がすべて奪い去ってやろう。
    「お腹が減っただろう。血を飲みなさい。」
    「はい……。」
     数時間前にパックに詰めたばかりの新鮮な血液を、グラスに注ぎ、手渡す。彼は何の躊躇もなく受け取って、口をつけた。
     飲み終わって腹が満たされたからか、彼は私に寄りかかったまま寝息を立て始めた。こんなに安らいだ寝顔は初めて見た。
     深く寝入ったのを確認してから、寝具へ横たえて、ブランケットを掛けて去った。

     19時、目覚めた彼は幸福そうに頬が緩んでいた。良い夢でも見ていたのかもしれない。しかし、周囲に私の姿が無いのを見ると、瞬時に表情を失くし「ご主人様、ご主人様っ……!」と悲痛な声で呼び、泣き始めた。「また来るよ。いい子で待っていなさい。」と伝えてやると心底安心した様子で微笑んでいた。
     21時、本を読み、いい子で待っているようだ。私が来るのを信じることで、取り乱さずに済んでいる。
     23時、本を読んでいるのは変わらないが、表情が硬いように見える。今日で完全に堕ちたかのようにも思えたが、違ったらしい。何やら別の思考が浮かんだのだろうか。明日何を言ってくるのか楽しみだ。
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