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    五十嵐

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    五十嵐

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    毎日モブノス 56日目

    11月19日(56日目)11月19日(56日目)
     昨晩から添い寝し続けているが、未だ起きない。穏やかな寝息を立てて、眠り続けている。ある時、変化が起きた。
    「……っふ、ぅううっ…………、」
     眉根に皺を寄せて、歯を噛み締めたのか唇が引き絞られて、唸り始めたのだ。性的なものではない。脂汗さえ浮かび、苦しそうだ。
     頬を撫でた。早く目を覚まして欲しい。すると、調教によってくすんでしまったベニトアイトの髪色が、みるみるうちに輝きを取り戻していく。
     私の手に安心したことで、悪夢を見なくなったのだ。そう思った。だが、違うようだ。彼はまだ唸っている。
     私は、彼を想う余り、前のめりになって、接着せんばかりの体勢であったが、一度身体を起こし、俯瞰で彼を見た。すると、驚くべき光景を目の当たりにした。
     深海を秘めた落ち着いたブルーの肌が、エネルギッシュな、光に照らされた浅瀬のような色味に変わっている。それに、年嵩を象徴する眼窩の深みも、癖を持った目尻の強張りもなく、不精していた口髭も消えている。
     まるで、若返ったようだ。
     やがて、寝言が始まった。やはり、私の知る彼ではなかった。
    「っ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ここからっ、だしてくださいっ、」
     また私に反抗するような言葉だったが、その声色、舌遣い、アクセントは、彼に似通った部分もあるが、別人のものだった。子供だ、と、直ぐにわかった。
     彼は夢を見ている。それも、幼い頃の夢を。閉じられた瞼から涙が滲んで、膨らみ、落ちる。
     私は堪らずに、彼を揺さぶった。すると、意外にも数回揺さぶっただけで、彼は目覚めた。顔を上げ、私を見てきたが、その瞳に私への忠誠はなく、かと言って、嫌悪の類が浮かんでいるわけではなかった。ただ孤独に揺れ、情に飢えた者の瞳だった。母親に捨てられた幼子は、こんな瞳をするのではないだろうか。
     彼は、私を見ていながら、私が見えていないようで、這ってシーツごとマットレスから滑り落ち、這い続けながら、何もない空間をきょろきょろと見回し、声を張り上げた。
    「やだあぁっ、やだあっ、たすけてっ!どらうすさまっ!ごしんそさまぁッ!よるまおじさまぁッ!たしゅけてぇっ……!」
     甲高い子供の声が響く。何度も何度も叫ぶ。しばらく、そうしていたが、次第に呂律が回らなくなり、言葉の態を為さなくなって、ついには泣き喚くだけになった。
     完全に幼児退行してしまった。この子は言わば、ノースディンの精神の核だ。これを堕とすのが、この調教の終着点だと言えるだろう。
    「よしよし、」
     彼の目線に合わせて屈み、野生動物を手懐けるように手を差し出してみる。彼はその手を不思議そうに見て、泣くのを少しだけ抑えた。近づいていっても怯える様子はない。私の動きをつぶさに観察して、戸惑いを見せるだけだ。 
     彼の仄かなぬくもりを感じる距離まで近づいた。それでも彼は逃げない。腕を広げ、一瞬止まり反応を見る。未だしゃくり上げているが、それが酷くなることはなかった。だから、私はそのまま、小さくなった彼の背中へ腕を回し、抱き締めた。
    「……!」
    「大丈夫だ、怖くないよ。」
     彼は困惑や緊張からか、身体を強張らせている。察するに、彼の幼少期は、十分な愛情を得られなかったのであろう。竜らはそんな彼を救い、愛情を与え、彼にとっての救世主となったのだ。彼はその見返りに、─例え強制されていなくとも─、竜らの役に立つことを、生き甲斐と感じている節がある。
     この"彼"が、竜らと接触したばかりの彼ならば、私が先に愛情を与えることができれば、私の存在は竜らより大きく深いものとなる。更にそれが、見返りを求めない、無条件の愛情であると、言葉で伝えたのならば……。
    「私を愛しているか?」
    「……っ、」
     その問いに、少し和らいでいた身体の緊張が、悪化してしまった。背を撫でてあやしながら、芯を持った声で、彼の耳へ囁く。
    「お前が私を愛する限り、私もお前を愛すると誓おう。」
     身体の震えが伝わってくる。様々な感情が綯い交ぜにされた、小さな震え。彼は静かに顔を上げた。気難しい皺が失くなった、若芽のような眼が、希望を夢見て潤み、私を見つめてくる。
    「それだけで、いいの。」
     おそるおそる、彼は口を開いた。救いを欲する気持ちが秘められた声だった。
    「ああ、それだけでいい。」
     堕落した自分を認めてくれる存在。愛さえ誓えば、自分を丸ごと愛してくれる存在。その私を拒絶する理由など、彼にあるはずがなかった。
    「愛して、ます……。ご主人様っ……。」
     きらきらと輝く瞳、柔らかに持ち上がる頬。桃に色づき、まさに花の咲くような笑顔だった。いつしか、嗚咽は止んでいた。
    「なぜ泣いていたんだ。」
    「……なんでだっけ。」
     彼は独り言のようにそう言った。なぜ拒絶していたのか、わからなくなったらしい。深層心理から私を受け入れた証だ。彼は両手を重ね、胸に当てて呟いた。
    「そうか。ここにいていいのか……。」
     外見がゆっくりと成長していく。口調や声の調子も、元の彼へ近づいていく。
    「そうだ。お前は私の奴隷なのだから。」
    「えへへ……。」
     撫でてやると、心から嬉しそうに、それを受け入れた。眼の形が凛々しくなり、鼻筋が通り、口髭が生える。元の姿になった彼へ命令する。
    「私は壮年の姿のお前が好きだ。保ちなさい。」
    「はいっ。」
     これで、彼を手放した時、彼が絶望の余り退行することもないだろう。無意識の歯止めがかかるはずだ。やはり、私が丹精込めて作り上げた贈り物を渡すのならば、最高のコンディションで行いたい。

     牢から離れる時、呼び止められた。
    「ご主人様、行かないでっ、ここにいてくださいっ……!」
     哀れな声だった。落ち着いた渋みのある声に戻っていて、より痛ましい。今にも泣き出しそうな顔へ手を添えて、声を掛けた。
    「心配するな、また帰ってくる。いい子にして待っていなさい。」
    「……はいっ。」
    「ちゃんと眠るんだよ。これは命令だ。」
    「はいっ…………。」

     夜が明けるまでずっと、鉄格子の傍、膝を抱えて、私のことを待っていた。時間などわからないはずなのに、朝になると、寝具へ潜り込み、目を瞑った。私の命令を正しく遂行しようとする姿は立派だったが、昨晩眠り続けた弊害から、眠りに落ちることはできないようだ。それでも彼は身体を起こさず、眠ろうとし続けた。
     正午すぎになり、静かな寝息が聞こえ始めた。だが、人間の午睡程度の短い時間で、彼は目覚めた。しかし、何時なのかわからない彼は、十分眠ったと判断したのか、寝具から降りて、再び鉄格子の傍へと足を運んだ。そして、正座をして、私のことを待つ体勢に入った。
     それから日が没しても尚、彼は忠犬よろしく、主人の帰りを待ち続けていた。
     もう、彼は完成しただろう。明日、私の屋敷へ連れて行こう。
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