放送室組「なんかさぁ」
三人分の乱れた呼吸が響く。青みがかった暗い通路で、上着を脱いでいる時のことだった。
グラウンドでコドモたちに襲われ、廃棄部屋に落とされた彼らは、早々にかいぶつに追いかけられてここまで逃げてきたのだ。
大雨に打たれた体は疲労困憊だが、いつの間にかそれなりに回復しているみたいだ。しかし濡れた体に地下の冷たい空気は毒で、ぶえっくしょい!! と袖で押さえながらも豪快なくしゃみをした千切は、鼻を啜りながら乙夜を見た。
「なに」
「なんかマジ、ムカつかね?」
濡れそぼった長い前髪を掻き上げて乙夜がそんなことを言った。それに対して、長い髪をぎゅっと雑巾絞りの要領で水分を飛ばす千切と、対照的に丁寧に水気を切っていく蟻生は、全く同じタイミングで顔を見合わせる。
「ほんとそれ」
「わかる、超ムカつく」
二人はギャルみたいなノリで同意した。
これは恐怖と怒りによって一周回って無鉄砲という名の無敵の鎧を手に入れた男たちの、奮起の物語である。
「あの黒いバケモン、なんなの一体」
「知るかよ。あれにも反抗しちゃいけませんってか?」
「抵抗せず無様に痛めつけられるのは御免だ。俺は戦う」
強く光る蟻生の瞳に勇気づけられたように、乙夜と千切は頷いた。気分はさながらゲームの勇者のようだった。
壁に背中をくっつけて顔だけ僅かに廊下側に出し、黒いモヤの動向を探る蟻生は、タイミングを見計らってサッとGOサインを出す。すると青い監獄の韋駄天こと千切と、忍者である乙夜が目を見張るスピードで廊下へ飛び出していった。
「ブチ抜く」
加速していく千切に気を取られ、背中を見せた化け物に狙いを定め、
「隙だらけだぜ」
途中の教室で見つけた三角定規(教師が使うような大きいサイズのものだ)を、乙夜は手裏剣の要領で投げた。美しく回転したそれは丁度鋭角が獲物の頭に刺さり、ギャウと叩き潰されたカエルみたいな変な呻き声を上げ、化け物は崩れ落ちる。
だが崩れて黒い塊になったソレは、暫くするとモゾモゾ動き出した。トドメという概念は通じないみたいだった。それはわかっていることだったので、動きが止まった隙に武器を回収した乙夜と蟻生は、先に行く千切と合流する。
「投げ方に無駄がなく美しい。お前の腕、オシャだな」
「おー。俺もまさかこんなスキルが役に立つとは思わなかったわ」
三角定規を人差し指で器用に回す乙夜は、今のところ百発百中で獲物の動きを抑えることに成功していた。
「今時手裏剣だけ投げたって芸ないじゃん? ガキん頃から指引っかかる隙間さえあれば、何でもかんでも的に投げて遊んでたんだよね」
「フーン。昔修行でもやってたのか?」
「あたぼーよ。俺は狙った的も女の子も逃したことないから」
「おい蟻生、コイツに攻撃役任せるのやめようぜ」
「そうだな。俺のリーチがあればお前たちより比較的安全に攻撃が……」
「信じろよ!」
そんなことを笑いながら言って、三人は表世界にカチコミをかけていた。そう、カチコミである。正面から殴り込みに来たのだ。
何故なら、なんかマジムカついたからである。
なんとか地上に出る螺旋階段を発見し、化け物に襲われ、教室に駆け込んで様子を見ていた時、蟻生が急に言い出した。
このまま教室を目指して潔たちと合流するべきなのか? と。
これを聞いて二人は悩んだ。これからどうすればいいかわからなかったからだ。
コドモだという幽霊に襲われ、目が覚めたら視界は真っ暗だしゴチャゴチャした汚い部屋にいたし雨に降られた全身がクッセェしで、メンタル的にもしんどいところにいた。
加えてこちらでもかいぶつや化け物に襲われ、攻撃が通じるかわからないから下手を打つことはできないし……と三人は慎重に辺りを探索しているだけだった。
『俺が考えるに、ここは最初にいた教室がある伍号棟とは違う。あちらは窓の外が白く明るかったが、こちらは暗い。加えて幽霊たちが俺たちにも見える。俺が急に霊力に目覚めた可能性もあるが、それが三人同時というのは妙だ。変わったのは、俺たちを取り巻く環境の方だろう』
『……おー』
『となれば、皆がいる教室がここにあるとは俺は思えん。探すのは徒労だ』
『マ、バケモンがうようよしてっから、無闇に動けないのは同意だわ。そんでどこ目指すワケ』
乙夜に尋ねられて、蟻生は顔を覆った指の間から二人を見た。自然乾燥した長髪は普段の輝きを失い、パサパサしている。
蟻生は暇さえあればずっとキューティクルのない自身の髪をジッと見下ろし、指でくるくるいじっていた。艶を失った髪を一房掬い取り、ワナワナと震えている様子を何度も目にした二人は、オヤと気づく。
『大元を叩く。この俺のオシャを奪った者たちを、決して赦しはいない……ッ』
表に出していないだけで、蟻生はブチギレていたのである。
ここに来てから散々だ。自らの手で髪を引きちぎることを強制され、雨に濡れた体は汗と汚れが混じって最悪の匂いを発生させ始めている。
こんな仕打ち、耐えられない。
蟻生は激怒した。必ず、かの原因の怪異を除かなければならぬと決意した。蟻生には怪異がわからぬ。蟻生は、普通の男子高校生である。学校に行き、部活をして暮して来た。けれどもオシャに対しては、人一倍に敏感であった──。
などというかの有名な一節を連想していた千切はニヤリと笑う。
『いいじゃん。熱っちぃ』
『うん。アガる』
あの馬狼でさえ慎重に動いていたというのに、こちらの三人は怒りに身を任せて戦うことに決めたのだった。
この場合、一番に待ったをかけるだろう冷静な男・蟻生が最もキレ散らかしているので、オモシレーと二人は膝を打った。怒り狂うオシャ・熱くなる赤豹・面白がる忍者という頓珍漢パーティの誕生である。
『つっても結局わかんねーじゃん。何したらいいの?』
『……チャイム』
『?』
『チャイムが鳴ったせいで俺たちはグラウンドに閉じ込められた。馬狼のときも、チャイムが鳴ってから怪奇現象が加速した……つまり』
『放送室と呼ぶべきか。そこに強敵が潜んでいると考えるのが妥当だな』
教室組がそのような推測を立てていた時、乙夜は既に蟻生らと合流していて、確信を得られるほどの情報を三人は手に入れていない。
けれどこれが間違っているとは思えなかった。
ではその次。どうやって放送室を見つけるか?
『館内マップとかねーの』
『ないな。潔が青い監獄と反転した間取りだと言っていたが、元の建物の全貌を知らないから、難易度は跳ね上がる』
『放送室って、多分絵心が試合とか見てる部屋だろ? アイツがどこにいるとか気にしたこと一回もねーもん』
『あー、俺さぁ。前にアンリちゃんにいつもどこにいるの? って聞いたことあんのよ』
『オオッ』
『で、マネージャーはなんと?』
『職務上お答えできませんって。俺らと直接会う機会はそうないからって』
『それはそう』
青い監獄の施設の無駄な広さは体感しており、あそこを当てもなくたった三人で探し回るのは危険が大きい。
俺らこれからバケモンが彷徨いてるトコ探索しながら場所も知らないトコ目指すの? 無理じゃね?
乙夜が嫌そうに舌を出す。
『直接会えない……か』
『あ。逆にわかりやすいかも』
千切が挙手をし、普段使う施設を外した残りの候補が放送室である可能性が高いと述べた。
『まず、俺らが一次選考で使ってた施設全般。あと地下があるか知んねーけど、二次選考で行ったトコも除外する』
『うん』
『絵心もマネージャーもずっと青い監獄に缶詰ってワケじゃない。外の人間と直接繋がる通路や部屋があって当然だと思う』
『あー、なるほど』
『だから俺らが行ったことのない場所を探してみねーか? 例えばこう……伍号棟と伍号棟の間とか』
『間ぁ? 独立して建ってんじゃねーの。それってただの通路じゃん』
『それは絵心に教えられた情報だろ。伍号棟の仕組みとか色んなことを隠してる絵心が、施設情報を正しく教えてくれてるなんて思ってねーだろ?』
『四階に行ってみよう』
『ああ、グラウンドの上の』
『今のところ四階がどうなっているか予測がつかない。二階や三階のような構造をしているのであれば、ここから先わざわざ上階にあがる必要は無くなるだろう。先に確認しておきたい』
四階を探索するというよりかは、一階の捜索に集中したいから四階の可能性を潰す為にやっておきたい。蟻生の提案に乗っかる形で、三人は四階を目指した。
教室で入手した三角定規を始めとした武器で化け物を足止めできた時の感慨は筆舌に尽くし難い。
『こ、攻撃が効く! コイツら物理に弱いぞ!』
『叩け!! グラウンドの憂さ晴らししてやんよ!』
グラウンドでコドモたちに一方的に蹂躙された経験から、気持ちを昂らせて三人は戦った。今度は何もできず消されることはない。戦える。戦おう! そんな気持ちで、生まれて初めて殺意を抱き、バケモノを攻撃した。抵抗しなければ殺されると思ったら、信じられないくらいの馬鹿力が出た。
攻撃した時に、人を叩いたり殴ったりした時のような感触はなかった。変に固いというわけでもない。抵抗感がないのだ。しかし軽いというほどでもない。なんとも薄気味悪い感じだった。
けれど、確かに高揚した。
何かを害せる手段を持った自分に少しだけ酔った。
そしてソイツらは、ある程度のダメージを与えても消えることはなかった。
「成仏とかしねーのかよ」
「こーゆーのってお経唱えたり、塩撒いたりすんじゃねーの? 俺ら叩いてるだけだぜ」
「蟻生、なんか知らない? 名前古風だし知ってそうじゃん」
「あっおまっバカッ」
「ノットオシャ!」